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治すな直せ。直せば治る、きっと。

半年に一回の定期健診で9cmだった子宮筋腫が12cmに膨れていた。事態は悪化していた。

「手術も視野にいれないといけないですね」という医師の言葉が重くのしかかる。病院を出ると、曇り空にしとしとした雨が降り続いていた。傘を片手に雨の道を行く。この世の全てから音という音がなくなった気がした。

しばらく歩いているとセブンイレブンが見えた。
ちょっとしたイートインコーナーが見えたので、カフェラテを買う。友人の「乳製品ばっかり取ってるからね、筋腫になるんだよ」という言葉を思い出すが、気分的にブラックよりもふわふわのフォームミルクが欲しかった。あたたかいカフェラテをコンビニの片隅で一口すする。

かろうじてコーチに「筋腫が悪くなってました」とメッセージを打って送信する。でももう誰からも言葉も受け取りたくなくなって、スマホもポケットの中にねじこんだ。パートナーに離婚を切り出されたときというのは、こういう気分だろうか。

9cmの子宮筋腫が発覚してから、毎月お灸に通っていた。毎日湯船にも浸かるようになった。友人のボディワークを受けに滋賀まで行った。良いといわれることは試した。それなのに、どうして。

カフェラテをすすり、鼻水をすすり。
それを繰り返しながら雨の中を歩く人をコンビニのガラス越しにただ見つめていると、気持ちもいくぶん落ち着いてきた。そうしているとだんだん、自分は「からだの声を聞こう」ではなく「他人に何とかしてもらおう」と思っていたことに気づいた。

誰かのセッションを受けたりマッサージを受けに行ったりというのはよくしていたが、1日に50個以上氷を噛まないとイライラする癖は直そうとしなかった。
この世界は、生きるには苦しすぎる。お酒を一気飲みしたり、明らかに身体に悪そうな食事をかまずに飲み込んでいるときだけは、一瞬だけ全て忘れられるような気がした。

でもそんな生活を続けていれば、たまに身体にいいことをしても焼け石に水だ。結局は自分で生活を直さないと病は治らない。
「一緒の時間を過ごしたい」と言っているパートナーに「金ならやってるだろ、何が不満なんだ」といってずっと家を不在にしてる男みたいだ。

全てを忘れたくなるくらい辛いときがある。でもこれ以上からだを悪くさせないためには、その何が辛いのかを見つめる必要がありそうだ。

お酒や食事、氷に逃げない。それらはいっとき私に夢を見させてくれるけれど、本当の意味で私を救うことはできない。

この状況に意味があるとするなら、もう一度からだの声と向き合わないといけない時が来たということだろう。「他人事はひとごと、自分事はおおごと」と言ったりするが、人は病気になったり事故に遭って初めて元気のありがたみを知るようだ。いや、これは私のストレス耐性が著しく低いせいかもしれないが。

カフェラテを飲み干し紙コップをゴミ箱に捨て、コンビニの外に出ると雨がやんでいた。手術の前にはホルモン治療をするらしい。その前にMRI撮影が待ってる。

この雨はきっと止む。そう自分で自分にむりやり言い聞かせてセブンを後にした。