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発信でどれくらい自分をさらけ出せば良い?

よく受ける質問の一つに「文章を書くとき、自分をどれくらい開示すればよいのか?」というものがある。

よく自己啓発の講座では自己開示してナンボとされ、界隈では自分をさらけ出せば出すほど良い空気がある。

確かに自分をさらけ出すことは大事だ。
しかしブログやSNSなど不特定多数の人が読む文章を書くときは、その自己開示が読み手にはどう見えるか、意識することをおすすめする。

特に自分でビジネスをやっている人は、そのさらけ出しがクライアントとの信頼関係にどう響くのか、冷静な視点が必要だ。
対面での講座や対話と違って、文章は情報が少ない。誤解されたりすれ違いが起こる可能性は十分ある。

文章の自己開示ぐあいへのアンサーとして、私はよく「自分が良いと思った文章の開示具合を参考にしましょう」と答えてきたが、先日読んだ本に非常にわかりやすい一つの例えが載っていた。

福井安紀さん著「職業は専業画家」より

例えばあなたがお肉を買うとき。

ふだんから信頼関係のあるお肉屋さんからであれば、トレイに裸でおいてあるお肉でもそのまま買うことはできるかもしれない。むしろ昔ながらの自然な感じがして、その方が好きという人もいるだろう。
しかし初めて行くお肉屋さんなど売り手との信頼関係がない状態では、よくわからない裸のお肉をそのまま買うことに、多くの人は抵抗感があるはずだ。

逆に、ラップでぐるぐる巻きにしてあるお肉は中が見えない。
頑丈でよく守られているけど、買い手としてはどんな肉が入っているのか確認が出来ないので、こちらも買うのに抵抗感がある。

ラップ1枚の状態であれば、買い手はどんな肉か確認できるし鮮度や衛生面を売り手が考えていることが伝わる。
自分をさらけ出すというのはお肉を売るときと同じなのかもしれない、と本には書かれていた。

これを文章に変換してみると、自己開示が過ぎている文章はお肉を裸で売っているようなもの、ということになる。

私個人の話になるが、facebookで「こうして私はセックスレスを解消しました!みんなも早く目覚めて!」と性についていつも発信している知人セラピストの投稿を、あまりその人と関係性がないこともありオフにしてしまった。

これは性についての話題になるとウっとなってしまう私個人の問題もあるし、もしもっと関係性のある人だったら平気だったかもしれない。だけどデリケートな話題について書くときは、いつもよりしっかり目にラップを巻くことで、より本来自分が伝えたかったことを読み手に伝えることができる気がするのだ。

そんなことを言っていたら何も書けないよ、とでも言いたげなラップぐるぐる巻き文章とも、たまに出会う。
基本的に何を書こうが自由だが、せっかくなら誤解を受けるでもなく、自分という世界で唯一無二の存在を、出来るだけ多くの人に知ってもらうような文章を書くのが望ましい。

そのためにおすすめなのは、まず安心安全な関係性が確保されている少人数のコミュニティで、少しずつでいいから発信してみることだ。
利害関係なくフィードバックしてくれる人たちの意見を聞きながら、どれくらいの開示具合が自分にとってのラップ一枚なのかをつかんでいくといいかもしれない。

表現と自己開示の関係はとても深いテーマなので、今後も追って研究して、またnoteに書きたいと思います。

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