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真面目に頑張る人が、幸せであってほしい

先日、丸亀製麺にうどんを食べに行った。GWの中日はそこまで人もなく、スイスイと注文カウンターまで進めた。

調理担当はまだ高校生くらいの男の子だった。真面目で大人しそうな子が一生懸命「明太かま玉うどんですね。卵はお混ぜしますか?」と受け答えしてくれていて、なんだか嬉しくなった。

すると声の大きい先輩格のスタッフが「おい、これ間違えてんじゃねえか!」と彼にうどん弁当を押し付けた。どうやらサイズが違っていたらしい。
「さっさと追加しろよ」と舌打ちしながらその高校生の子に注意し、男の子は「あ・・」と一瞬混乱しながらも、ゆっくり弁当の蓋を外してうどんの量を調整していた。

その子と先輩職員のやり取りを見ていたら、なんだか胃の辺りがギュッとなった。

昔から自分は、学校や社会で求められることがすぐにできなかった。
不登校や部屋に引きこもる勇気もなく、しんどい気持ちを隠しながら周りの皆に合わせるように生きていた。

最初に自分はみんなと違うのかもしれないと気づいたのは、大学受験のときだ。
みんな学校帰りに塾に行って、そのまま23時くらいまで一心不乱に勉強している。睡眠時間も削って勉強に励んでいるという。

一方わたしは1日3食決まった時間に食べないとボーっとしてしまうし、最低でも6時間は寝ないと使い物にならないタイプだ。運よく通っていた塾が家の裏だったので、こっそり塾に行く前に母に頼んで早めに作ってもらった夕食を食べてしのいでいた。でも心のどこかで、定時に食事を食べないと辛くなる自分はできそこないではないかと思っていた。

就職しても、その悩みは続いた。

最初の仕事はサービス業だったのでいつ食べれるかわからない環境だった。
朝食べて出勤、そのまますぐ休憩を取らされて一日働く日もあれば、結局昼食も夕食も食べれない日もある。それがしんどくない人もいるが、不定期にしか食事をとれない環境は自分には向いてなかったらしく、胃酸で胃がやられて胃薬が手放せない状態だった。

事務になるとお昼は12時に食べれるものの、みんな終電まで必死に働いている状況で、夕食を取りたいなどとはとても言い出せない状況だった。
こっそり席をたったとき、階段の隅でささっとグミやチョコで空腹をしのいだ。そして深夜に帰ってからドカ食いするという日々が続いた。

朝昼晩、決まった時間に食事をとりたい自分はどこか欠落しているのではないか。
今は食べれる時間は自分で決められるけど、長い間そんな葛藤があったことをふと思い出した。

うどんを食べ終わり、皿を下げるカウンターから男の子の方に視線を向けてみる。厨房に近い注文カウンターは暑いのか、汗ばんでいるようにも見えた。がんばれ、男の子。真面目で大人しい心やさしい人も、普通に幸せになる社会でありますように。