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「なんでこんなこともわからないんだ!」と相手を責める前に

以前エステの仕事をしていたとき、エステ商品の展覧会に上司と行ったときのことです。

場所は日本最大級のイベント会場・東京ビックシティ。
上司から「当日はビックシティの会場で待ち合わせね」と言われ、私が「会場のどこで待ち合せますか?」と聞いたところ、なぜか上司はため息をつきながら「それくらい自分で調べなよ・・」と呆れてしまい、私は上司をそれ以上怒らせるのが怖く、それ以上突っ込んで聞くことが出来ませんでした。

イベント当日。
早めに駅に向かい改札で上司が通らないか見ていましたが、どうも見つかりません。仕方なく上司にLINEで聞いてみたところ電話がかかってきて「ビックシティで待ち合わせって言ったらメインホールのところに決まってるでしょ!」と怒鳴られてしまい、駅から走ってメインホールに向かったことがあります

人に何かを伝えるというのは、けっこう難しいものがあったりします。

自分がよく知っている事柄について他人に伝えるとき、つい「こんなことくらい言わなくても(もしくは書かなくても)伝わるよね」と思いがちです。

その結果起こったエラーに対し、しばしば伝えた側の人は「そんなことも言われないとわからないの!?」と相手を責めたり「こんなこと言われなくたってわかるでしょ!」と怒ったりしますが・・言われる方としては理不尽という他ありません。

そう考えると、誰かに何かを伝えるというのは料理のレシピを作るのと同じようなものかもしれません。

「カレーを作ります。まずは材料を切りましょう」。

こうした指示一つとっても、ゴロゴロした大きさの野菜がカレーに入っていてほしい人と、キーマカレーのようにすべての材料がみじん切りの方が好きという人もいるでしょう。
「材料を切りましょう」という指示一つとっても「1センチ角に切って下さい」と、ここまで言語化しないと、相手には伝わらないのです。

他人に何かを伝えたり教えたりするとき。
大切なことは「自分が思う以上に、本当に相手は何も知らないのかもしれない」という視点に立つことのように思います。

自分が常識だと思っていることが、必ずしも相手にとっても常識とは限らない。ひとむかし前なら上司の発する言語外の情報を、部下はいかに汲み取れるかが優秀さの証の一つでした。

私の友人でとても優秀な人がいて、彼女は上司の喜ぶことを先回りして達成できるせいか評価も高く早く出世していったのですが、マネージャーになって部下を持つようになると、自分の意を汲もうとしない部下が無能に見えて仕方ないし許せないと言っていました。

優秀な人ほど、数少ない情報から相手の本意を見抜く力に長けていると思います。でもそんな特殊能力は全員が全員できるわけではないのです。

「どうしてお前はそんなこともわからないんだ?」そう相手を責めるよりも、いっそのこと「どんなことでも、いちいち言葉にしないと相手には伝わらない」と割り切って、どんどん相手と自分の意識のすり合わせをした方が効率的な気がします。

今発展しているイケイケ企業で働いている人の話を聞くと、彼ら彼女らはSlackなりチャットなりでお互いの状況をシェアしまくって、忖度に使うエネルギーを正しいやり方で仕事に昇華しています。

文章を書くときも、つい「ここまで書かなくても大丈夫だろう」と思ってしまいがちですが「読者といってもいろいろな立場の人がいる。念のためこれくらい丁寧に書いておいた方がいいかな」くらいで書くのがちょうどよいと思います。

特に専門用語は使わず、固有名詞には説明を入れる。こうしたひと手間が愛される文章を作っていくのだと思います。





愛される文章のコツを全力でお伝えしています。