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ケンタモーニングから考える、人材の多様性について

門限、それは親が子に「何時までに帰ってきなさいよ」という家庭内ルールである。単なる儀礼的なものから絶対的な権力を持つものまで、そのレベルは家庭による。

自分の実家の場合、門限は長らく23時であった。「女の子が外でフラフラするなんて!」という倫理的なそれよりも「娘が無事に帰ってくるか、起きて待てる時間のMAX」だった。

大学生になりアルバイトをする必要が出てくると、やっかいなことになってくる。

スタバのお姉さんに憧れがあり3~4店舗面接を受けてみたが、コミュニケーションに難がありどこも不採用。ドトールも同様の数受けたがダメで、唯一人手が足りない近所のケンタッキーで採用してもらえることになった。

当時のケンタ調布店で働く人間は、閉店が22時なので閉店作業を含めて23時まで、通称ラストまでシフトに入ることが半ば義務付けられていた。しかしうちの門限は23時。ということで自分は無理をいって22時までしか入れなかった。

しだいに一緒に働くスタッフからは「小澤さんはお嬢様だもんね」と揶揄されるようになった。
自分も作業途中で帰ることが心苦しく、といって当時60代の両親は「先に寝ててよ」と言っても「心配で寝れない」と起きて待っている始末で、色んな方面に申し訳ない想いを抱えながらオリジナルチキンを売る日々が続いた。

事態が好転したのはバイトを始めて半年たった秋ごろ。ケンタッキーがモーニングを始めたのだ。

ケンタでモーニング?朝から重くない?と思われるかもしれないが、当時実験的にビスケットとコーヒーのセットや、薄めのフィレサンドとハッシュドポテトのセットを売り始めたところ、これが結構好評で私のいた店舗でも導入することになった。

問題は7時開店なので、遅くとも6時30分には出勤できるスタッフが必要になる。当時の調布店は夜行性の学生たちと、お昼間しか働けない主婦の方しかいない。
そこで私はこれ幸いと早朝シフトを入れまくった。家から徒歩10分で店に着くため電車やバスの始発を気にする必要もなく、学校がある日でも早朝シフトに入れる自分はうってつけだった。

職場からの評価も180度変わった。
これまでは「働きたいときに働くワガママな小澤さん」という印象だったのが「誰もやりたがらない早朝にたくさん入ってくれる小澤さん」と変わり、気のせいか当たりが柔らかくなった。
私という人間は全然変わってないのに、職場の都合に合わせることでこんなにも評価がガラリと変わったことが不思議だった。

古代中国で、ある王様が「一芸に秀でている者なら誰でも構わない、全員うちの国に来い」と発表したところ、前科持ちとか性格に難ありの者が大勢来てしまって、一時大混乱になってしまったそうだ。

しかし王様が敵国に捕らわれてしまった際、王様を助け出したのは鶏の鳴き声がうまく牢兵の注意を引きつけた元芸人と、身体がやわらかく牢まで忍び込める元泥棒の2人だったという史実を聞いたことがある。

会社側から見ると、理想の社員像というのはあるだろう。しかし自分のように「この人は、う~んどうなんだろう」という理想とはかけ離れたスタッフであっても、シチュエーションによっては光ることがある。

多様性がだいじと叫ばれて久しいけれど、それはつまり遅番は出来ないけど早番は出来る人、早番は出来るけど遅番は出来る人、ロングで働ける人、ショートで働ける人、どの人も大事にしておくことではなかろうか。

自分は昔ヨガを習っていた。そこのインストラクターの先生たちはみな、素晴らしいヨガのレッスンを提供する一方、教室の入会手続きとか月謝の支払いに関しては何もできない人たちだった。でもそれでいいのだ。鶏の鳴き声がうまくて牢の仕組みを知ってる人がいないように、ヨガのレッスンも事務も同じくらい素晴らしい人なんてたぶんいない。ヨガが出来る人、事務が出来る人、両方いればそれでいいのだ。

その後ケンタはモーニング自体を辞めてしまったし、自分が勤めていた店舗も閉店してしまったけれど、未だにケンタを食べるときは早起きして店舗へ向かった日々を思い出したりする。








今日もお疲れ様でした。こちらのエッセイもぜひ。


明日も適当にしっかりで参りましょう〜。

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