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傷つけられた側は、誰が笑ってなかったか覚えてる

言語化が遅い。もともと雑談が苦手な上に、自分の想いを言葉にするのが苦手だ。

話しことばの時はどうしても相手の顔色を伺ってしまう。相手を怒らせることが何より恐ろしい。嫌だったことをされても、すぐそこで逆上することができない。

親友だと思ってた人にマルチ商法を勧められた時は、さすがにすぐ断ることはできた。でも「どうして嫌なの?なんで自分の気持ちが言えないの?」と聞かれても、自分の気持ちをすぐ言語化できなかった。

強いショックを受けると、人は心身を守るために混乱状態になる。
感情を一時凍結させることで、その場を生き延びさせる可能性を上げるシステムらしい。心が弱いからとかそういう根性論ではなく、ご先祖さまたちが厳しい環境で生きていくために、そうしたシステムを長い歴史の中に取り入れて行った結果だそうだ。

そう頭でわかっていても、いざというとき足がすくんでしまう自分が嫌だった。
田舎なら家一軒帰るくらいの金額を自己啓発の学びに注ぎ込んできたというのに、結局自分は何も話せないじゃないか。大事な場面で動けなくなる自分は最低だ。人と話すとき言語化が遅いことが大きなコンプレックスであった。

ただ最近、今話題の朝ドラ「虎に翼」の脚本家インタビューを読む機会があった。

ヒロインの寅子は強い。理不尽な状況にあっても相手に対して声をあげられる女性だ。しかしこのドラマの脚本家・吉田さんは「声を上げられる人間だけがすごい訳ではない」と述べている。

例えばドラマの序盤、寅子の友人・梅子の夫が、梅子のことを大勢の人の前で妻である梅子の容姿を馬鹿にするシーンがあった。ここで男子学生たちは声を上げて笑うのだが、2人だけ笑わない男子学生がいた。花岡と轟である。

吉田さんの「傷つけられた側は『誰が笑ってなかったか』をちゃんと見てるんですよ」という言葉にハッとした。

同調圧力に逆らうのは難しい。特にこの国は、矢面に立つ人は傷つけてもいいと思ってるような風潮がある。でも理路整然と美しい反対答弁を行うことができなくても、一人で集中砲火を浴びなくても、一緒に笑わないとか黙っているとか、他にもできることはある。

それに学校で「みんなと仲良く、ことを荒立てないように」を教えられた私たち日本人は、波風立てることが基本的に苦手だ。理不尽なこと、おかしいことも笑って済ますのが◎、みたいな空気がある。

だからすぐ反論できなかったとしても、それはある意味仕方がないのだ。理不尽なことがあった時すぐ反撃に出るのは、慣れない人にとっては0から100に行くくらいのエッジがある。
大事なのはおかしいことをおかしいと感じる感性を育て、0を1に、2にと少しずつ育てていくことではなかろうか。

感情でがんじがらめになって言葉が出なくても、動けなくなっても。自分が許せないと思う流れに乗らないことを、選択することはできる。

ないものに目を向けずあるものを見るように、出来ないことにこだわりすぎず、出来ることを一つずつ増やしていきたい。







週の中日、お疲れ様です。
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気温差や天気の変化が大きい最近。
明日もご自愛多めで、適当にしっかりで参りましょうね。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。