お金という紙切れに、意味を見出して生きる

社会人になって4年くらいの間は、給料の大半を堅実に貯金してきた。

しかし27歳のときにコーチングの世界に出会って以降、学びに大金を投じるようになって、自分の中で金銭バランスが崩れた。

コーチングの本はポンポン買うのに、自販機の水150円を払うのが惜しくて熱中症になった。
コーチングの講座には何十万円も平気で支払うのに、お友だちとカフェに行くと一番安いドリンクしか頼めない自分がいた。

コーチングという心躍ることと出会えてワクワクしながら投資する反面、「消費は悪」という感覚も未だ強く、がんじがらめになっていたように思う。

当時私は山道紀子さんというコーチに月に2回継続コーチングをお願いしていた。
金銭の余裕はあまりなかったけど生き辛さがMAXだったので、月2回のセッションは私のライフラインだった。

ある日のセッションで紀子さんに「さあ、今日は何を話しましょうか?」と聞かれ、ほとんど無意識に「お金について話したいです」という言葉が口を突いてきた。
 
紀子さんはいいねと頷いて「それじゃさ、ひーちゃん今近くに財布ある?もしあれば一万円札を出して、お札を直に見てみて」とおっしゃったので、探してみるとたまたま財布の中に一万円札があった。

一万札を目の前に置いて、じっと見てみる。
いろんな角度から見てみてと言われ、手に取って右から左から、上から下からよくよく見る。しかしどれだけ見ても、目の前のお札は紙でしかなかった。

ただの紙切れに振り回されてるよね私・・と思った瞬間、ふと「そうか、お金の正体ってエネルギーなんだ」という気づいた。

このお札という紙の物体は、感謝や愛情・あるいは申し訳なかった・こんちくしょうといった、人の感情によって命を持っている。
この紙切れを貯めていけば、安心や心の平穏という感情につながれることもあるだろう。その代わり私がこの世から去るとき、私のお金たちも一緒にこの世を去るのだ。

今はキャッシュレスが進んで当たり前の感覚かもしれないが、この「お金はエネルギーなんだ」という発見は当時の私にとって新鮮だった。
この日のセッション以来、私の中にあったお金を使う罪悪感がだんだん減っていった。

noteを始めて2か月が過ぎた今年のお正月、ありがたいことに初めて投げ銭を1,000円頂いた。本当にありがたく尊く感じ、頂いた1,000円を神棚にいつまでも飾っておきたいような気持ちになった。

私の友人は大企業で働いていて高給取りだけど、コーチを目指して初めて有料クライアントからもらった3,000円は、今まで受け取った高い給与より、重みのあるお金だったと話していた。

生きるということは、ただの紙切れに意味を見出していくということかもしれない。

「運命がカードを混ぜ、我々が勝負をする」という昔の人の金言がある。
ここで言うカードとは、もしかしたらお金のことでもあるのかもしれない。どんな金額であってもそのお金に意味を見出し、ここぞという場面で手札のカードを切るのは、神でも運命でもなく自分自身だ。
そしてその勝負の結果はすぐにわかることもあるし、何十年後にわかることもある。

物価が上昇する昨今ついつい財布の紐を固くしてしまう私だが、運命が仕掛けてくる勝負のタイミングは見逃さず、意志を持ってカードを切っていきたい。

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