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全く興味のないテーマについて書かないといけない時。「外から、内から咀嚼する」

源氏物語・作者の紫式部が主人公である大河ドラマ「光る君へ」が面白い。

このドラマを見てると「この主人公は作家になるわな」となる場面が多々ある。
例えば、左大臣家の姫サロンに出ていってはうまく場になじめないけど必死で愛想笑いをしているシーン。

まひろは唯一外出できるという好奇心の強さから姫様たちのサロンへ通うものの、その場の空気がいまいちつかみきれず浮いた発言や行動をしたり、反応がワンテンポ遅かったり・・

抜群の演技力で物書きの生きづらさのようなものを表現しているまひろ役・吉高由里子さんを見ていると、ワークショップに出ていってはうまく話せずうまく場になじめない自分を見ているような気持ちになる。よくもここまで「話せないけど書ける人」を再現できるものだ。

こうした再現度の高い演技などのことを、表現の世界では「解像度が高い」なんて言ったりする。

解像度が高い、というと思い出すのが米津玄師さんの作詞作曲の「M八七」という曲だ。
映画「シン・ウルトラマン」主題歌のこの曲は、やはりウルトラマンへの解像度がすさまじく高い。

米津さんはリアルタイムでウルトラマンを見ていた世代ではないと思うのだが、熱狂的なウルトラマンファンの多くを納得させ「一回ウルトラマンにならないと出てこない歌詞」と言わしめた。
わたしだったら絶対「はあ?ウルトラマンが主題の歌なんてつくれませんよ」と言っちゃうところだが、米津さんは成し遂げた。

全く興味のないテーマについて表現しなければいけないとき。
役者さんやアーティストさんの話を聞いていると追及の仕方は2通りあるように思う。

一つは資料や本など、外からの情報をとことん研究して取り込む。二つ目は自分の中にあるそのテーマの要素をアウトプットしていくというもの。

例えば、仮にあなたが納豆について1万字の文章を書かないといけないとする。
おすすめは図書館に行って資料を読み込んだり、納豆について研究してきた学者に会いに行ったり、外からの情報を取り込む。
そして自分の中にある納豆への想いや疑問をなんとかひねり出して、その想いをベースにインプットした知識を組み立てていく、というやり方だ。

テーマへの想いをひねり出すというのはイメージしにくいかもしれないが、そのテーマに対して一つでもいいから心揺さぶられる点を見つけ、そこを足掛かりに進めていくというイメージだ。「こんなおいしい納豆は初めてだ!」とか「こんな色の納豆は初めて見た!」とか、何でもいい。

資料や本、プロの話をまとめただけではただのレポートになってしまう。自分の心が揺れたところを起点に書かなければ、読者の心には届かない。

大河ドラマ「光る君へ」の脚本・大石静さんはドラマ放送前のインタビューで「平安時代とか何の興味もなくて(笑)本当は戦国時代とかやりたかったんですけど(苦笑)」的な答えをしていて大河ファンを不安のどん底に突き落とした。

しかしいざ始まってみるとこれだけ視聴者を夢中にさせているので、やはりプロである。大石先生はおそらく私たちが想像する1万倍は平安時代を学び、咀嚼したと思う。

ドラマを家に例えると、役者は建築材・演出は大工さん・そして脚本家は設計士と言われたりする。

脚本の粗を役者や現場の力でねじふせるドラマも面白い(去年のどうする家康はこのタイプだったかも)だが、やはりスキのない設計の家のような、しっかりした脚本のドラマは見ていて圧倒される。

そんなことを日曜20時に毎週思ったりしているこの頃である。