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振り返る①

子どもの中学受験について
少し冷静に考えてみたい。

元々は都立中高一貫を目指していた。
子どもは特に何も考えてなく、親だけ思考先行。

子どもが小2でパンデミック発生。
都立は東京都や国の意向に大きく左右され、制限も多い。
パンデミックの中においては、私立の方が柔軟に対応している。
外的要因による制限は少ない方がいい。
これも親の勝手な判断だ。


では、なぜ、中高一貫なのか。

自分の中学時代と、高校時代を考えると、3年間ずつの分断されたコミュニティは、もったいなかったと感じる。
可能であれば、高校の附属の中学から6年間をあの学校で過ごしたかった。

自由な校風ではなかった。
校則も厳しいし、その校則の意味や意義も、昔は誰一人として正しく教えることはできなかった。
それほどまでに不条理な校則だったのだ。
それでも、仲間との出会い、数少ない理解ある先生との出会いは、感謝しかない。3年間しかなかったのが、本当に惜しい。


しかし、当時は高校受験が当たり前。
中学受験なんて、ほんの一握りしか経験しない時代だったのだ。

だから、中高一貫で青春を謳歌してほしい。(古い💦)

そして、自身の中学時代は暗黒の時代だった。特にやりたいこともなく、勉強はしてはいるが親が期待したところには到達したり、しなかったり。親のイライラを感じながら、やり過ごす日々。自由も制限され、自身のやる気もふわふわと安定せず、ただ、ただ、自分はダメな人間。何故こんな程度なのだろう。
今で言う自己肯定感の低い子どもだった。
自分に原因があったのはわかっているが、一学年9クラスのマンモス公立中学という環境に流されたのもある。

マンモス校は、揉まれるから良いと言う反面、流されもする。
中学生なんて、流されやすいものだ。
今思えば、あの中学は人種の坩堝だった。多種多様。いまなら多様性のある学校となるが、あの時代も家庭環境にも左右され、公務員家族の我が家は、何かといえばインテリ側にいたい…母親の見栄が子どもから見ても明らかだった。

従って、普段遊ぶお友だちも制限された。同じ公務員の親を持つ子どもはウェルカム。その他は母親の中の階級制度により、電話すら取り次いでもらえないこともあった。

だから、自分も親になって、母親と同じようになりたくない…というのも、あるような気がする。
自分が流されたように、子どもも流されるのでは?という思い。
同じ多様性でも、親が安全だと感じた場所での多様性を感じて欲しかったのか…勝手なものだよ。

振り返ってみると、まるで我が親は毒親のようだが、子どもへの愛情も感じることはできた。
母親は人生の勝ち組は公務員であり、生活の安定には勉強が必要で、いい学校の卒業が、そして良い会社への就職が必要だと、信じて疑わなかっただけだ。彼女の「良い」定義は単純だ。名前が知れている。いわゆるブランド力があり、なんとなく洗練されているということだ。なんとも心許ない彼女だけの基準だ。
それでも、大きな望みは掲げなかった。例えば東大へ!とか、早慶へ!とかである。さすがにそこまでは…と思っていたようだ。ま、これも中途半端だが、そこは愛嬌だ。

彼女はとても小さい世界の中で生きていただけなのだ。そういう時代だったとしか言いようがない。

続く…

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