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オーラソーマの歴史から見たオーラソーマの無限の可能性『LIVING ENERGIES⑧』

リビングエナジー8

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江谷信壽

オーラソーマカラーケアシステムが日本に初めて紹介さ れたのは 1993 年のことでした。  ヴィッキーさんが瞑想のなかでオーラソーマのヴィジョンを見たのは 1883 年のことですから、ちょうどそれから10年あとのことです。

ヴィッキーさんは瞑想のなかで「水を分けなさい」という啓示を聞いて、ガイドに導かれるままに2色に分かれた液体の入ったボトルを作りました。

しかし、ヴィッキーさん は自分で作ったその2色のボトルを見たときに、それがなんのためのものなのかわからなかった…ところから、この オーラソーマの物語がはじまりました。  

では、日本では、どのようにしてオーラソーマがはじまっ たのでしょうか? 実は、日本でも瞑想からはじまりました。 そして、それが紹介されたときも同じように、私にとって はそれがどういうものなのか、よくわからないものだったのです。  

当時私は、現在はユニティインスティチュートのディレク ターをしているリーラがガイドする、瞑想のワークショップを主催していました。そのなかでリーラが使っていたのが、 オーラソーマのポマンダーとクイントエッセンスだったのです。  

そのワークショップが終わると、参加者の方たちが私の ところにやって来て「これはなんですか? どこで手に入 りますか?」と質問責めにあうことになりました。

しかし、 当時の私は、聞かれてもわからなかったのです。 ヴィッキーさんのオーラソーマも、日本のオーラソーマも、 瞑想からはじまったということは単なる偶然の一致でしょうか? 

それとも天の計らいなのでしょうか? それをどう解釈するかは人それぞれだと思いますが、オー ラソーマのルーツを探ることは、オーラソーマとはなにか を知ることであり、また、その可能性を知ることにもつながるのではないかと思います。  

そこで、私が体験したオーラソーマのはじまりを、みなさんに分かちあうことで、現在、そしてこれからオーラソー マに携わる方たちに、オーラソーマに秘められている無 限の可能性について考えていただくひとつのヒントにして いただければと思うしだいです。


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私はオーラソーマに出会って、その無限の可能性をみなさんに伝えたいと思い、オーラソーマ機関誌「リヴィングエナジー」を創刊(1996 年)するとともに、ヴィッキーさんの「オーラソーマ奇跡のカラーヒーリング」の出版(1997 年)を手がけました。

そして、インターネットが普及しはじめたこともあって、オーラソーマ総合情報サイトのウェブサイトを立ち上げ(1999 年)、まぐまぐの殿堂入りを果たしている「オーラソーマ通信」というメルマガを2004年から配信しています。

また、オーラソーマのコースを日本で開催するにあたり、最初のコースのワークブックを翻訳し、まだ日本でもオーラソーマが普及する前の1995年、セドナでのオーラソーマコースを企画し、2000年まで毎年開催をしていました。

1996 年からは毎年、世界に活躍するティーチャーを育てたヌラを招待してのオーラソーマコースの開催などにより、オーラソーマを日本で広める活動を行ってきています。

そして、1997年には、マイク氏を初めて日本に紹介し、山中湖のラフォーレにてセミナーを開催しました。さらに、1996年からは、和尚アートユニティとしてオーラソーマの輸入を開始しています。

1998年には、オーラソーマのプロダクトを日本に輸入するため、株式会社オーラソーマジャパンを立ち上げ(2003 年解散)、オーラソーマプロダクトの輸入総合代理店として役割を担っていました。

つまり、私がこれまでオーラソーマで担ってきている役割というのは、ひとことで言うと、オーラソーマを日本のみなさんにお伝えし、そのプロダクトを紹介することでした。

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では、このような紹介を通して、私はオーラソーマのどこに無限の可能性を感じているのでしょうか?
それは、ヴィッキーさんの言葉、「オーラソーマは、新しい革袋に古いワインを詰めるようなものだ」というところにあります。


ヴィッキーさんはこの言葉によって、古代からの叡智が新しい革新的な2色のボトルのなかに詰まっている、ということを言いたかったのだろうと思いますが、では、その2色のボトルには、なにが詰まっているのでしょうか?


そのことを考える際に、最初にお話ししたオーラソーマのルーツについて、思いだしていただきたいのです。


ヴィッキーさんがオーラソーマを誕生させたとき、オ-ラソーマについての情報はありませんでした。ただ、なにもない瞑想のなかから、このボトルが作りだされました。


そして、日本でリーラがオーラソーマを紹介したときは、まだオーラソーマのコースもなければ情報もありませんでした。ただ、瞑想のなかでポマンダーやクイントエッセンスを体験しただけだったのです。


けれども、それを体験した方たちが、プロダクトに魅せられ、手に入れたいと願ったのでした。

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それは、どうしてでしょうか?

実は、リーラや彼女の同僚であるプラサードやアルヴィナは、日本でオーラソーマを紹介する数年前からプロダクトを知っていて、すでに自分たちのトレーニング等でオーラソーマを使った実験をしていたのです。

もちろん、そこにはオーラソーマのテキストもなければ、予備知識があっ
たわけではありませんでした。彼らは「メタフィジカルサージェリー」というエネルギーワークのなかで、オーラソーマのプロダクトを使っていたのです。

それは、オーラやチャクラのエネルギーバランスを整え、カルマや障害となっているブロックを取り除いて、エネルギーの自然な流れを回復したりするもので、現在はユニティインスティチュートで教えている「サトルボディ
ヒーリング」の前身となるワークです。


ヴィッキーさんがイクイリブリアムボトルを、当初はバランスボトルと呼び、エネルギーのバランスを整える働きがあると視ていたのと同じように、リーラたちはオーラソーマのコースを学ぶことなく、オーラソーマのプロダクトを瞑想とともに使用しながら、ヴィッキーさんと同じように、それがエネルギーワークに非常に有効なツールであるということを発見していました。

そして、そのような体験があったからこそ、リーラはオーラソーマを日本に紹介することを私にすすめてくれたのでした。「オーラソーマは美しいし、繊細な日本人にきっと受け入れられるし、助けになるでしょう」と。


リーラやプラサードは、オーラソーマのティーチャーではありませんが、にもかかわらず、当時彼らのトレーニングを受けていた方たちから、世界で活躍するオーラソーマティーチャーが数多く誕生しています。


ドイツで初めてオーラソーマのショップを開き、ドイツでオーラソーマが広がっていくきっかけともなり、初期に和尚アートユニティのオーラソーマティーチャーだったコマラ・ローデや、日本にオーラソーマが上陸したころから和尚アートユニティでオーラソーマを教えてくれているヌラ。

ヌラは初期から世界各地でオーラソーマのコースを教え、ヌラのクラスの生徒からも世界で活躍しているオーラソーマティーチャーが数多く育っています。

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ところで、オーラソーマのコースを受けたこともない彼らに、なぜそのように即座にオーラソーマをマスターし、教えることが可能だったのでしょうか?

ヴィッキーさんとリーラたちとの間には、共通点があります。それは、そこにオーラソーマのプロダクトがあり、瞑想があったということです。


ヌラは、オーラソーマのコースで語っています。
「自分がオーラソーマを学んだ初期はテキストもなく、ボトルと瞑想をしながら得たメッセージをノートに書いていた」と。


ヴィッキーさんは言っています。
「大いなるガイドは、あなたの内側にあります。オーラソー
マは魂の鏡です」と。


オーラソーマの無限の可能性とは、オーラソーマに映しだされた私たち一人ひとりの無限の可能性なのです。オーラソーマは、あらゆる無限の可能性を引きだしてくれるツールだと私は思います。


オーラソーマは、古代の叡智の集積だとヴィッキーさんは言います。
それは私たちの内なるガイドであり、何度も転生してきている私たちの魂であり、潜在的可能性であり、クリエイティビティを映しだす鏡なのです。

私は誰か? という問いかけから、エネルギーのバランスを整え、ヒーリングまで。

オーラソーマのルーツは瞑想にあり、瞑想とは内なる探求であり、内なる大いなるガイドにつながることです。瞑想は内なる意識を映しだす鏡とも言うことができます。

人間の内なる意識には、宇宙の無限なる可能性が秘められています。瞑想とともにあるオーラソーマは、私たちの無限の可能性への扉を開くツールなのです。

そのように私は考えています。

江谷信壽 プロフィール:
株式会社 和尚アートユニティ 代表
お問合せ先:
和尚アートユニティ
http://aura-soma.jp/
Email:info@artunity.com
TEL:0467-23-5683 / FAX:0467-60-1024

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