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アートに目覚める生き方 ミラ( 橋本一枝)

アートというものにみんなが目覚めたら、人生が変わります。アートを通し
て瞑想に入っていく人もいるでしょうし…アートは原動力なのです。だって、生きるというのは創ることだから。創るというプロセスを、みんながわかちあうのがアートグループなのです
―ミラ( 橋本一枝)

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絵を通して生きることを学ぶ 

 すばらしいアートを見ていると、そこには明け渡したような状態がアーティストに生まれているのがわかります。ですから、わたしの教えているアートセラピーでは、自我を明け渡すということを教えています。そのことをアートを通して学ぶことで、人生にも適用していくことができるからです。

 「自分が、自分が…」と思っていると、人生でいろいろな出来事が起こってきたときに余計に苦しんでしまいます。でも自然に明け渡して…命や人生に、生きるということに明け渡したとき、自然に自分と存在とに関係性が生まれます。


実は、わたしは小さい人間で「それでいいのだ。明け渡していれば、人生がわたしを動かしてくれて、連れていってくれる」ということがわかってきたのです。すると、そんなに苦しむことはなくなりました。

 「自分が、自分が…」と思っているときは苦しいけれど、そういうふうに物事が起きているなかで、わたしはその起こっている物事の参加者としているに過ぎないのだということを、わたしは絵を通して学び、それをアートセラピーのなかで教えるようになったのです。

与えるとはなにか、受け取るとはなにか

 ペインティングのグループのなかでのエクササイズで、人の手を取って、その人に絵を描かせることをします。そこで描かせている人の気づき、そして同時に受身で描かせてもらっている人に起きる気づき、意識が出てきます。
 ひとりで描いているときは、人間は自分のパターンにはまってしまっていて、無意識になりがちです。でも、人の手を取ることで意識的になり、自分のことがよくわかるようになります。
 「今、自分はマインドにいる」とか、「自分が今、なにかをしようとしているのか」を見ることができるようになります。自分への気づきが起こるのです。

 たとえば、「自分は、黒と青を混ぜ合わせると汚い色になると思っていたけれど、そうじゃない」ということが、自分の目の前で起きているのがわかります。すると、すっと視野がひろがり、描くことのテリトリーがひろがっていきます。
 そして規制された美ではない、ハプニングのなかの美が生まれます。自分が柔軟になっていくのです。同時に、受身で眼前にくりひろげられる絵を目撃することで、自分の癖やパターンにも気づけるようになるのです。

 自分の心理的なものがしっかり見られるようになると、そこから絵も起きるわけで、絵をほんとうにわかるようになれば、人生の生き方もわかるようになることが、わたしのアートグループで教えていることの趣旨です 絵をテクニックとして教えると、人はそのテクニックのなかにはまり込んでしまいます。そこで、それを自然に自分のものとして見つける方法を、アートグループでは提示していきます。なので、なにも教えていないのに、参加者は自分で発見していきます。やはり自分で見つけないかぎり、歓びはありません。そこで、そのプロセスをもっと早めるために、いろいろなセラピーを取り入れています。

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前衛の芸術

 アートのなかで前衛の芸術が起こった背景というのは、それは個人のなかだけで起こるのではないということです。ある時代に、ある場所で、その人のまわりにいる人たちが感化しあってアートは生まれているわけです。
 それと同じことが、わたしのアートグループを通して、みんながアートを見つけていくことのなかでも起こっています。自分には才能がないと思っていた人たちが、実はすばらしい絵を生んだりします。今まで持っていた価値観を崩すようなことが起こります。

 「あなたには才能はないのよ」と言われていた人にも、アートを生みだしていくことができるのです。自分の生きることの本質と一緒になったときに、なにかが生まれるのです。そういう人たちの集まりがひとつのムーブメントを起こしていきます。

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