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ヴィッキーさん物語『LIVING ENERGIES⑧』


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今年 2013 年は、オーラソーマイクイリブリアムボトルが誕生して、ちょうど30周年となります。  

イクイリブリアムボトル(誕生当時はバランスボトルという名前) が、どのようにしてこの世界に登場したかを語るのならば、ボト ルを生みだしたヴィッキー・ウォールがどんな人生を生きたのか を抜きに語るのは難しいでしょう。

また、ボトルが登場してからマイクと運命的に出会い、ヴィッキーがこの世を去るまでについても、すでにみなさんはご存じかと思います。  

ここでは、ヴィッキーの誕生からボトルが誕生するまでを、 ヴィッキーの自伝『オーラソーマ 奇跡のカラーヒーリング』をも とに、コンパクトにまとめました。

改めてヴィッキー・ウォールの 人生をふりかえることで、オーラソーマの流れを見直すきっかけとなれば幸いです。

ヴィッキーが最初に作っていたボトルは100ミリ(右から順番に)
その後、75ミリのボトルになり、50ミリのボトルになっていく。

■誕生、そして家出

1918 年 8 月20日、ヴィッキー・ウォールは、ロンドン で誕生しました。 彼女の父親、そしてその両親もハシディズムという敬虔なユダヤ教徒で、また、父はハシディズムのマスターだったこともあり、ヴィッキーは幼いころから意識せずに霊的な教えを受けて育ちました。

たとえば植物との関わり方や、自然と心を通じあわせる 方法、そして癒しの力についてなど…このころに培った知 恵が、今後のヴィッキーの人生を導いていきます。  

ヴィッキーが生まれた年、母親はスペイン風邪で亡く なり、父親は残された家族のために再婚する道を選び ました。  義理の母は子どもには恵まれなかったため、まだ生後数か月のヴィッキーを、自分の子と思い込むかのように育てました。

ヴィッキーもまた、彼女を母として受け入れて育ちましたが、ある日、ひとつの事件が起きてしまいます。  義理の母親とうまくいかない兄弟姉妹たちは、すでに実家から離れていましたが、ときどき来ていた姉に、彼女がほんとうの母親ではないということを知らされました。  

それは幼いヴィッキーの心に残され、あるきっかけで その事実を母に告げてしまうのです。その言葉は義理の母親との関係性を崩壊させるにはじゅうぶんで、その日を境に継母にとってヴィッキーは愛情の対象から憎悪の対象へと変化してしまいます。  

それからというもの、継母はヴィッキーに辛くあたり、試練の日々の唯一の慰めは、愛する父親が帰宅して、彼女の部屋に必ず「おやすみ」の挨拶を言いに来てくれることだけでした。  
そうしたある日、ヴィッキーはヴィジョンを見はじめます。


突然、まぶしい光が部屋中に満ちたかと思うと、背の高い、 痩せた女の人が立っているのです。飢餓の様子が、ありありと見て取れました。

にもかかわらず、彼らには育ちのよさと、 威厳が感じられ、その気高さは、それはまぶしいほど。

私は、ほんの三歳ほどの子どもでしたが、恐怖も不安もなく、くりかえし現れては消える彼らを見守っていました。


また、8歳の誕生日、ヴィッキーは自分が他の人間と違うということに気づきます。
 
私は声を詰まらせました。
「私はただ、あなたたちのまわりにきれいな色が見えるわって言っただけよ」  
父は私を真剣なまなざしで見つめて、「それじゃ、パパのまわりには、何色が見える?」  

私はびっくりしながらも、見たままを言うと「ふむ」と、 父は言い、茶色の瞳が暖かく微笑みました。
「おまえのまわりにどんな色が見えるか、知りたいか」 そのひとことで、再び太陽は輝きを取り戻しました。

愛する父が、私を認めてくれたのです。



人のまわりに色が見えるということ…驚くことに、父親も (その父親も)同じ資質を持っていたのです。その資質に ついては、二人だけの秘密にしようと父はヴィッキーにや さしく提案しました。  


古い魂を持った父は、理解を分かちあう対等の存在とし て、私に呼びかけていました。  「おまえは、遠い先祖のこだまの、こだまの、こだまなのだ」と。 

ヴィッキーが七番目の子どもの、そのまた七番目の子で あるということ。それらを含め、父はヴィッキーが先祖か ら連綿と受け継がれた、ある資質を受け継ぐ存在である ことを意識していたようです。  

そして、ヴィッキーは幼いころから、自分の意識とはうらはらに周囲に対して癒しの力を発揮していきました。 その後、ヴィッキーと継母との関係は、さらに悪化しま した。

ヴィッキーに対するいじめは激しさを増し、暴力を振るわれるようにまでなったのです。そして、耐えきれず ヴィッキーは16歳で家を出る選択をします。


■ホースレー、そしてテディントンとの出会い

第二次世界大戦がはじまった一年後、ヴィッキーはミド ルセックスのウエスト・ドレイトンにある一軒の古い薬屋に惹かれ、店主であるエドワード・スモールブルック・ホースレーと、娘のドリス・マーガレットと出会います。

ホースレー は、そのころはすでに80歳近く、またドリスとも年齢は離れていましたが、友情はすぐに深まっていきました。  私はホースレーのところに住まいを移し、三人で過ごしたそれからの数年は、小春日和のように心地よく、その間にたくさんのものを吸収しました。

それは私にとって、すでに知っているものをもう一度学び直しているかのような時期でした。 まもなく私は、ちょっとした奇跡に巻き込まれている自分 を発見することになりました。  

戦争という制限を受けつつも、ヴィッキーはホースレー の薬屋で薬や軟膏を作りはじめますが、ある日、ちょっとした失敗から奇跡的にフェイスクリームが生まれます。

そのクリームによって皮膚のトラブルが癒されたという報告が入りはじめ、クリームは継続的に作られるようになりました。 そのうち、ホースレーから引き継がれるように、少しずつ薬局の運営は、薬の調合はドリスが担当し、ヴィッキーはクリームやローション作りに従事するようになっていきました。


そして、しばらくたったある日、高齢だったホースレー はふたりに見送られ、安らかにこの世を去っていきます。

ホースレーの亡きあと、薬局の継続についてさまざまな問題が浮上しましたが、当時の薬局ではめずらしく、客 のニーズに合わせた製品の販売や、その場で調合するなどといった営業で、客は薬局の役割以上にヴィッキーたち を信頼するようになり、店は繁盛していきました。  

そして、薬局での勤めのかたわら、ヴィッキーはキロポディ (足治療)を学びはじめますが、その学びはヴィッキーにとって自然な流れだったのです。 キロポディの資格を手に入れたヴィッキーは、1960年代はグレート・ミッセンデンでしばらく開業医としての活動をはじめますが、そこである物件と出会いました。  

山の中腹に立つ「テディントン」というコテージ。そこは、 景勝地としてガイドブックに載るような、すばらしい眺めの 場所で、そのコテージが売りに出されていることを知ったのです。  

しかし、そのころのヴィッキーはあまり裕福ではなく、 けれども「こんな場所に住みたい」という夢に突き動かさ れ交渉してみるも難しく、あきらめようとしたところにメッセージが飛び込んできました。

その夜、心を慰めようと聖書を手に取り、ぱっと開いたと ころを読んでみると、こんな言葉が目に飛び込んできました。  
「あなたがたの足の裏で踏むところはみな、あなたがたのものとなる」(申命記 11 章 24 節)

私は間髪入れず、車に飛び乗っていました。真夜中をゆうにすぎており、月だけが旅の道連れです。そして「テディントン」に着くと、道の端に車を停めました。

目の前には銀色の月の光を浴びて、深い谷が遥か彼方まで広がり、辺り には、優しい静けさと胸躍る空気が満ち満ちています。  私は敷地の境界に沿って、ゆっくりと歩きはじめました。

そして奇跡が起きました。  

コテージのオーナーはヴィッキーの名を聞くと、自分の姉を治療していた人だということに気づき、ヴィッキーの 希望する金額で使ってほしい、という連絡をしてきたので す。

ヴィッキーは大喜びで、それから一年間かけてお金を 必死にためつつ、コテージのケアを少しずつはじめていましたが、状況が一転するような出来事が起こりました。  

コテージに届いていた二通の手紙。両方とも差出人は 地方議会でしたが、一通は建築の許可が下りたことにつ いて書かれてあり、もう一通は取り壊し命令について書 かれていたのです。

コテージを手に入れるという夢が、もう少しで叶うと喜んでいた矢先の出来事にヴィッキーはパニックに陥り、あらゆる可能性を模索しましたが、好転の兆しは見えません。

そうして落胆しかけたところ、相談に 出かけた弁護士事務所で、偶然あるメッセージを目にしたのです。

涙を見られたくなくて、顔を背けたとき、新しく壁に掛けられた、ぴかぴかの認定証が私の目に入りました。  

うつろなまなざしで、私はそれを、読むともなくぼんやりと眺めていましたが、「ゴッドビヒア(神はここにいる)」という彼の名前が目に入った瞬間、思わず息を呑みました。

これは、間違いなくなにかのサインです! もし本当に神がここにいるなら、どうして私は自分の信仰を揺るがされているのでしょうか。私はすっかり元気を取り戻し、たっぷりと彼にお礼を言って、オフィスをあとにしました。
 


その夜、ヴィッキーは瞑想のさなかにヴィジョンを見ました。柄に埋め込まれた、色とりどりの宝石がきらきらと輝くサーベルが円を描き、カチャカチャという音が聞こえ、 それが数日続いたあとに、「一戦交えなさい」というメッ セージがひらめきました。

そうして、はじめにコテージの売買の仲介をしたバーカムステッドの弁護士、ゴッドビヒア氏と話しあい、さまざま な障害を乗り越え、取り壊しを免れることができたのです。


■マーガレット・コックビンとの出会い、そして明け渡し

その後、1964 年 6月にヴィッキーは重要な出会いを果たします。  
マーガレット・コックビンとの出会いは、すぐさまお互いの魂と、それぞれの仕事の質を認めあう関係となりました。 整骨医をしていたマーガレットとは、70年にはコンビを組 み一緒に暮らすことになったのです。  

毎朝仕事のはじまる前に、マーガレットと私は、クリニックで祈りを捧げました。  クリニックの雰囲気は、安らぎと調和に満ちており、患者と私たちの間には、心の通いあいと完璧な信頼がありました。  


苦労して手に入れた愛する場所で、二人の仕事はどん どん拡大し、さらにスタッフを雇い入れて、忙しく働く充 実の日々のなかで、ヴィッキーは小さなささやきを耳にしま した。  

まだ、やるべきことがある、と。

1973 年、ヴィッキーは休暇でマヨルカ島へ出かけますが、そこで突発的に重い冠状動脈血栓を起こし、危うく命を落としかけました。数日、生死の境をさまよいましたが、 少しずつ持ちなおし、イギリスに帰国。地元の病院で治 療を受けるところまで回復しました。  

しかし、精神的なダメージは大きく、また長期にわたっ てベッドでの生活を余儀なくされたのですが、辛抱強く耐えぬいたのです。 しかし、動けない生活は、ある意味では瞑想や思索にふけるには最適でした。

今までは仕事が忙しく、そんな余裕がなかったのです。 そんな日々の思索のなかで、ヴィッキーはこの出来事に「私には別の仕事がある、だから前に進んで、新しい方向へと 足を踏みださなくては」というメッセージがあることを感じ取っていました。

けれども、少しずつリハビリをして、数か月後には5キ ロ先まで歩けるようにまで回復していましたが、人生を変化させる時期ということを感じていたにもかかわらず、仕事を復帰することばかりに焦点をあて、内からのメッセー ジには向き合おうとはしなかったのです。  

しかし、ヴィッキーの言う「天のひと突き」は、これだけでは終わりませんでした。  ある朝、マーガレットの使うフードプロセッサーの機械音の衝撃がヴィッキーの頭のなかをピストルのように貫いたのです。

それは網膜剥離ではなく、左目の視界のほとんどを奪う 重い眼底出血でした。  

「ただ、時間をかけて待つしかありませんね」と、医者は 言いました。  
出血はある程度でおさまったものの、左目の視力は戻りません。  

困難を乗り越え、勝利に至ったと思われた瞬間、病気からの回復の絶頂期に、もう一度無へと投げ返されるとは。

それはあまりに残酷で、人間が耐えられる限度を超えている。


たてつづけに起きる衝撃的な出来事…それは自分自身との戦いのときであり、そうして最終的にヴィッキーは初めて自分を明け渡すのです。  
自分の限界を感じつつも、仕事はつづけていましたが、 もう一方の目も悪化するだろうという医者の警告は、ヴィッ キーの心から離れることはありませんでした。

そして、い つか失明してしまうときに備え、トレーニングをはじめたのです。  しかし、その出来事がヴィッキーに新たな変化を起こしはじめていました。  

肉眼の視力を失うにつれて、新しい次元のオーラの知覚(オーラを見ること)が洪水のように押し寄せ、ときには苦痛に感じるほどになってきたのです。  

そしてそれは、次第に他の感覚にも及び、あらゆる感覚が研ぎ澄まされていくようでした。 子どものころからずっと、オーラを見る能力はあり、それは私の血筋が与えてくれた天賦の才だったのですが、 それがどんな意味を持つのか、当時の私にはまだじゅう ぶんに理解できてはいませんでした。


■失明、そして天の計画


1979 年、マヨルカ島に再度訪れていたときのことです。 ヴィッキーとマーガレットは1ヶ月の休暇を楽しんでいました。 そこで、ヴィッキーは最後の灯が消えるのを経験しました。  

突然、私は凍りついたようにその場に立ちすくみ、反射的に目をこすりました。  まるで、運転中にフロントガラスに泥を跳ね上げたかのよう。

マーガレットがなにごとかと、私を見つめています。  

「見えないの」私は叫びださないように、声を抑えるのに必死でした。

「見えないのよ」  

完璧な失明という最後の一撃を受け、ヴィッキーはとう とう、クリニックとキロポディストを引退する道を選びまし た。静かな生活を送る準備を進め、あらゆる蓄えを資本に、 その利子で生活していくことにしたのです。


少しずつ生活は平穏を取り戻し、瞑想するのが日々の日課となり、静かに過ごすなか、得体のしれない満たさ れない思いがつのっていきました。
魂を深く知りたいという思いが強く湧いてきたのです。

ある日、近所の農場で定期的に集まる、スピリチュアルなグループがあることを知りました。ヴィッキーとマーガレッ トは、さっそくそのグループに加わることを決めます。
 

グループはすばらしい環境にありましたが、維持のための資金繰りに苦労していました。ヴィッキーはなんらか の貢献をしようと、過去に培ったキャリアを生かし、クリー ムとローションを提供することにしました。  

その試みはうまくいき、ホワイトだったクリームに色をつ け、虹色のクリームやローションを作りだしたのです。最初は少しずつでしたが、やがて 1983 年の8月にはウィン ザーで開催されるスブド世界大会に出店するまでに発展 していきました。  

クリームやローション、ハーブやエッセンスを媒体に、 ヴィッキーにとって直感的な知識を生かす新たな機会がやってきたのです。  そうして運命のときが、ようやく巡ってこようとしていました。



けれども天の計画がどれほど大きなものか、私にはまだ分かっていませんでした。  

これがまさか、時の初めから運命づけられ、学んできた ことの頂点になろうとは。  

私にとっても未知のものだった「バランス」ボトルが、いよいよ生まれようとしていました。


スブド世界大会を控えた準備で忙しいさなか、ヴィッ キーは瞑想に安らぎと新しいエネルギーを求めました。いつもと違う感覚、違う色彩のなかに飲み込まれ、自分の存在をその体験に明け渡したとき、また新たな声が聞こ えてきたのです。  


今までもう何度も耳にし、したがってきた、小さな声がやっ てきました。 虚ろな洞窟から響いてくるかのようなその声は、こうささやいたのです。

「水を分けなさい、わが子よ」  

その次の日も同じことの繰り返し、「水を分けなさい」と いう命令まで同じで、私はやはりわけが分からず、瞑想からかなり早く戻りました。  

そして三日目の夜ともなると、さすがにその声を無視でき なくなりました。

無我夢中で作業を行い、気づくと「バランスボトル」はヴィッキーの手のなかにありました。

そして次の朝、マーガレットが、昨晩なにをしていたの かヴィッキーにたずねました。  

「あの素敵なボトルはなあに?」
「さあね」
 

ヴィッキーにとってもわけのわからぬまま誕生したボトル は、こうしてスブド世界大会の会場にディスプレイされることになったのです。  

そこから先、そのボトルが次々に起こす奇跡の物語は マイクへと引き継がれ、そして私たち一人ひとりにつながっていきます。  

…後に、人々にどれぐらい研究されたのかと、繰り返したずねられるたびにヴィッキーはこう答えています。


「それは長い間、研究されたものなのです。
時の初めにさかのぼり、そこで探求し、研究し、思いだ したのですから」


私はいにしえの知識が眠る、時の軌跡に身を浸し、そして自分でもじゅうぶんに理解しないまま、ただ流れを、起こることを許したのです。


■参考資料

「オーラソーマ奇跡のカラーヒーリング」
ヴィッキー・ウォール著/ 伊藤アジータ 訳


DVD オーラソーマ ヴィッキー・ウォール(日本語字幕付き)
ヴィッキーの生前のオーラソーマコース。
癒しや生命について、彼女の体験と洞察が語られています。

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