【マガジン・エイトデイ】 坂の多い街に暮らすと
坂は、草臥れる。
あの歩幅の合わない階段も
リズムも何もあったもんじゃない。
私の息は途端に乱れる。
心臓は無駄にドクドクする。
汗もベッタリ。
私の歩幅考えて、どうにかしてよ!と
言いたくなるけど、この世には
「私」がいっぱいいるから
階段の方は合わせるにも、合わせようがない。
道を通っていて、心地よいということは
どういうことなんだろうね。
引越してきたこのエリアは、とても
場の持つ気配が、整頓されている。
坂が、非常に多い。
私は、坂が苦手だ。
それなのに、坂のことはあんまり
気にせず、越してきてしまった。
坂があっても心地よいなあと
思っていたのだ。
心地よい場を見てみると、その場の持つ
心地よい「間合い」がある。
区画の境界線が、あんまりぶっとくない。
強固な壁はあることにはあるけれど、
どこかで、この土地全体をみんなで
共有しているように見える。
大きな街路樹を迂回するように、縁石が
ひかれている。木にも居場所が設けられていて、それをよけるように、車が走る。
この木を切れば空間は生まれる。
でもそれをしない。
それぞれの家の構えからは、それぞれの
美意識があるものの調和を感じる。
景観には、生活感はないかわりに、
花や草木で彩られ、造園の職人の出入りが
あちこちで見られ、手入れが行き届いている。
みんな、この場所が大好きなんだろうなあ。
そうか、私はそこを好きだと思ったのかあ。
近所の、別のエリアの混み行った坂の階段に
身体がぎゅーっと縮こまる。
私が、坂で心臓がバクバクするのは、
土地のもつリズムや、場の持つリズムとは
関係なく、お構いなしに埋め立てたり
作り込んでるという都合を受け取るからだ。
コンクリートで塞ぐのであれば
土地をふんわり覆ってて欲しいし
階段を作るのであれば、場のリズムを
汲んで欲しい。
私の歩幅でも、他の人の歩幅でも
それだと合うのではないか??
そう思った途端、
私の持つ身体の軸や体感が、
ぐにゃりと一変し、街の持つ角度が
なだらかになった。
坂の階段を登る感覚も、さっきとは
打って変わっておおらかに受け止められる。
自分の意識を変えたら、世界が変わるとは
このことなのではなかろうか。
私と、場との間合いが、
ちょっとわかったのかもしれない。
イライラして、はい、排除という
解決しない選択ではなく、
受け取って自分が変わるという
スキルが増えたのではなかろうか。
おお、私よ!
配慮や、慮る由来の美意識に触れたら
私の坂嫌いが解けて、受け取るキャパが
ひとつ増えたというお話でした。
では、また。
果歩
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