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【マガジン・エイトデイ】       昨今のスピリチュアルにおかれましては。


身体と、こころを整える仕事をしていると
結局行き着いてしまう概念。精神性、霊性。
そう、スピリチュアル。

小さい頃から、ややこしい大人が
周囲に多かったので、私の発言、
ひとことで、大惨事を避ける癖から
洞察力を駆使して、昔から人を見る
ときに、こういうのが欲しいのかなと
発言したり行動していた。
それがうまくいくと、私は
その実績経験を成功として、積んできた。

例えば、カレーとドリアがメニューに
あって「ドリアがいいかな?」と
たずねると「なんで?」「え、だって、
昨日の夜カレーだったでしょう?」と、
よその献立とかがなんとなく
浮かんでくるというような性質だ。
(関連するものが、浮かぶのだ。)
(浮かんでこないときもあるのだ。)

その延長で、身体に触れると、
その人の状態、思考、気配が
なんとなくわかる。
相手の感覚を実際に共有することもある。

そうすると、直感的に必要な言葉が
出る。それを口にしたり意識したり、
行動するとするするとうまくいく。
それは触れている人、私、どちらにも
必要だから、私も粛々と受け取る。
(言葉じゃない時もあるのだ。)

でもこれは、特別でもなんでもなく
どの人にもある、普通のことだと思う。

私が少し過敏なだけで、
全くわからないという方は
わからない方が生きやすかった。
それだけだと思う。

これがスピリチュアルなのか
ちょっとよくわからないな。
(このエッセイ、雲行き怪しい大丈夫か)

ともかく、あるとかないとかいう
ものではなく、普遍、ふつー。

たとえば「声」は目に見えないけど
あるとかないとか疑う余地もない。
普遍、ふつー。
たとえば「紫外線」はふつうにある。
そんな感覚で、
身体と思考と、もういっこ。

それをなんと呼んだらいいか
しっくりくるのは「心」「たましい」
だろうか。
これも見えないけど、あるよなあ。

そして、その奥の意識というか
自分ではどうしようもない
何か大きな影響をもつものが
「ある」かんじ。

つながることで、解決の糸口が
見つかるような。
そしてそれは、どうやら私と全てをつなぐ
根源で、とんでもないスケールなのに
どこかで自分の一部のよう。
ここに安心してゆだねれば、
進みたいように進み
休みたいように休める。
という感覚が育ってきた。

はい、ここら辺が精神的なもの。
いわゆるスピリチュアル。

ニックネームは「愛」「創造主」
「うちなる声」「宇宙」とかでしょうか。

ここに宗教が重なると、それぞれの
「神」になるのでしょう。
(専門性が強すぎるので、ここは専門家に
お任せします。)

身体のことをやってても
心をととのえてても
知識や思考では、追いつかない
なにかがあるのだ。

そこら辺と、いい塩梅につながりたい。
色々教えてもらって、やってみたい。
どうも思考や知識では、つながりきらない。

つながるには、何か整頓されていたり
自分を感じたりする必要がある。
つながるツールは人それぞれ。
つながるために、行うルーティンも
その人にとってのもの。

それを表面だけ受け取って
真似してる人は、おもちゃの
魔法ステッキを振り回したり
かめはめ波ごっこをしている
小さい子供と一緒なのかもしれない。

つながり方を教えてもらって、
実践して、自由になった気持ちなら
うまくフィットしてるんだろうね。
実践して、窮屈で辛抱してるなら
そのやり方は、フィットしていない。
(根っこが生えて、定着するための
一定の努力は伴うとは思う。)

もっというと、つながり方は
ちゃんと私たちってわかるように
できてる気がする。
生まれ方なんて知らないのに
生まれてきたでしょう。

死に方なんて知らないけど
全員、死んでるでしょう。
つながり方を自分で気づく冒険ってのも
面白いじゃない。

さて、私の精神性は。
ホンモノ?ニセモノ?

あの生まれる言葉の発信も、どこからか。
私の自我なのか、心なのか、
もっと奥からのアドバイスなのか。

そうやって思考でジャッジすると
精神性から遠くなってフィットしない。
純粋な良心から生まれたなら、由来は
どこでもいいと思っている。
全然、スピリチュアルど真ん中で
なくてごめんなさい。

コントロールでもなく、ジャッジでもなく
純粋な良心。(地味に難易度高し)

おもちゃでも、ホンモノでも
それがいいのであれば
どっちだっていいじゃない。
まだ、冒険の途中だもの。
色々のぞいて、私の精神性は
今、このカタチでフィットしています。

ありがとうは伝染する。
こころの平和から世界の平和に
つながっている。
どっちにしろ良くなる道すがら。
そんな感覚が、スピリチュアルの
いいところ。

どの波長が、良い悪いというのは
ジャッジなので、スルーでいいさ。
海の波の高さ低さに、なんの意味も
ないもの。
どこにおかれても、面白くて
ヘッチャラなのが
高波動ってやつなんじゃないかな。

軽いも重いも、ここは物質の世界。
物量、あるさそりゃ。
味わえばいい。
軽い方がいいのかと時代に乗ろうと
やっきになってたけど、
重さを感じる深み
円熟さもいいもんだ。
深みが極まって軽やかであれば
品格まで、備わるだろうし。

コーヒーだって浅く焙煎したら
スッキリするけど、酸味もあるよね。
深く焙煎したってコクだけじゃない。
私は深みのなかの、とろみと甘みを
求めている。

ようは何を求めているのか。
ここを決める必要があるのだ。

高波動とかも、専門家に任せておいて
私は私と、つながればいい。

つながるためには、周辺の整理整頓。
あれこれ手を出して、聞きかじって
やり散らかすのではなく、始末する。
身体と心が、喜ぶことをする。

世間の常識やら競争やらにうつつを
抜かしてるとき、たましいの成長はない。

この世をメリットデメリットで見る時
思考優位で、こころやたましいの
声は聞こえない。

見えない部分を磨きたい。
自分の身体を使って、たましいが
表現するもの。
(ふふふスピリチュアルぽい)

これは行動から始まる。
(ああ結局現実的)

積み重ねることで生まれる。
(ああああ現実でしかない)

ええっと、スピリチュアルって
なんだっけ。
難しいのは専門家に任せて、
私は自由に駆け回って
私をしがらみから開放して
自分と他と大きな存在の
三方を心地よくしたい。
そーゆータイプです。
(タイプとかあるのかしら)

開放の仕方をみんなと共有するのが
私の役割らしいので、いい加減、
やれって言われてるからやってたの。

でも、そうじゃないって
ずっと言われ続けてるのに
頑なに、鬱まで到着。

言われてやるんじゃないのだよ。
全て自分で選択するんだよ。
自分で「やる」と
決める時が、来たようです。

私なんかができないと
自分いじめを拗らせていました。

すみませんでした、他責。
ようこそ、自責。

ここからが面白いよねえ。
これが私のスピリチュアルみち。
脳内でPUFFYちゃん達が歌う。

わるいわねえ、ありがとねえ。
これからもよろしくねえ。
では、また。

果歩







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