自己優位性保持のはなし。

 こんにちは。最近のnoteは永遠に投稿しては非公開にして、と繰り返しているので、流石によくないよなぁ、というのと、最近長文書いてないなぁ、という危機感を持って、軽めに話していこうと思いました。ところで疑問なのですが、私みたいな弱小はどこまで面白いこと言ってもバズるの難しいんですかね? やはりチャンスの差なのでしょうか。いわゆる……いわゆる、伏竜鳳雛というやつです。私にそこまでのセンスがあるかも不思議ですが。
 さて、私は冬休みに入ってかなり経ちましたが、以前学校で面白いことがありまして。今回はそれを学術的っぽい言い方で愚痴っていこうかな、といった次第です。人に戦争は必要ってことですね。

1.食べ物の話


 私のことを知ってる人はご存知でしょうが、私って馬鹿みたいに好き嫌いの多い偏食家なんですよね。それこそ、上はカズ〇ーザーしか知らないくらいで、会ったことある人では私よりも食えない人はいませんでした。そのせいで、相手が気を遣って

「私も食べられないの多いよ」
中学の頃の某クラスメイトS


なんて言うと、結局私の方が多いもんで気まずくなるんですけど、これ私悪くないですよね!? 悪いですね。
 そういう経緯で、食に関しては結構寛容だと自負してるんですよ。絶対美味いだろってものが食べられなくても、まぁ仕方ないよなって。食に関わらず、趣味とかの範囲でもそのスタンスは崩しません。現代的な言葉で表すなら、多様性の尊重ですよね。そう高尚な綺麗事ではなく、「お前の我儘を許すんだから、俺の我儘にも目を瞑ってくれ」みたいな、ちょっとした交渉なんですけど。

 それで先日、学校でまたしょうもない話が勃発しまして。この食べ物が苦手だとか何だとかで、熱い議論を交わしていたんですよ。私はと言えば、蚊帳の外に居つつも聞き耳を立てていた訳です。まぁ、たまに話題になることですよね。私はオールオッケーのスタンスですが、他の人は「自分が嫌いなものはみんな嫌いだろ」か「自分が好きなものはみんな好きだろ」って前提で話していたんです。
 そこで私は、段々腹が立ってきたのと、一つキャラ作り……というかエッセンスになるかな、という勝手な計らいで

「まぁ、別に良いんじゃない? 食の好みなんて人それぞれだし」
この後のツッコミは想定してる私


と諌めてみました。(これ今振り返ると場違いKYですね……)
 すると

「「お前は黙ってろ」」
本当はもうちょっと丁寧な言い方


 と、なんとさっきまで対立意見で争っていた二人が突然の共同戦線を張ってきたのです。これは別にKYな私に対しての苦言とかじゃなくて「お前は偏食だから違うだろ」みたいな排斥でした。詳しく言うと

「〇〇は何でもかんでも嫌いだから、また別じゃんww」
私はこの人嫌いです()


みたいなニュアンス。

 ……は?

2.愚痴


 おまえは何を言っているんだ、と素で思いましたね。いや、攻撃されたが故の自己擁護とかではなく、なんか刺す場所がズレてないか……? と。
 あくまで私は「どっちの意見も認められていいんじゃない?」と言ったのに、何故か意見を否定されたかのような返しをされています。私敵対勢力じゃないんだよ? そんな全力投球で否定しなくても良くない?
 あと、少数意見の淘汰も行ってますよこれ。どうして両者を認めた私がここまでのダメージを受けなければならないのか。あと少数だからまた別、意見は無視って、差別の域じゃないんですかね。……ま、軽口にマジレスするのは良くないのでこの辺にしておいて。私がここまでロジカルバイオレンスされたのは、何が原因なのでしょうか?

3.考察


 一つは、場違いな割り込みに対しての怒りでしょうか。私も気をつけて入っていきましたけど、蚊帳の外人間でしたしね。コミュ強でもないので、完璧だったとは言い切れません。
 ただ、それよりもっと大きいのは、やはり「自己優位性保持」だと思うんです。この言葉は私が作ったので、検索しても意味は出てこないと思います。出てきたらごめんなさい。これは欲求階層説で言うと、社会欲求と承認欲求辺りの部分で、一言でまとめるなら多数派でありたいという願望でしょう。推察ですけど。
 ここで議題を振り返ってみると、「この食べ物は美味しいかどうか」、つまり「どちらの味覚がより正しいのか」にあります。感覚に優劣をつけるのも好ましくありませんが、とにかく「どちらが正しいか」を決するべく議論していたわけです。目標は、勝敗を決することによる自分の正しさの証明でしょうね。
 この状況で、争っている側から見て私という人間はどう映るでしょう。双方を正しいと許容することは、勝負の根底を否定することに当たります。つまり、得ようとしていた勝利の悦楽を失うのです。それだけではありません。私は「ほとんどの食べ物が嫌い」です。私を易々と仲間に引き入れてしまえば、自分の味覚を攻撃されかねません。そういった意味では、私はキラーカードであり、ジョーカーであったのです。なんと不名誉なジョーカー……。
 ここに色濃く存在するのは、人間の勝利への願望、自分が上であることへの執念です。これがすなわち「自己優位性保持」という概念ですね。当たり前ですが、平和的解決よりも自分の欲望を優先するという、身近な事例でした。こう、言うなれば、古典で書かれたりするような些末な出来事ですね。

4.おわりに


 言いたいのは、人間意識しないとどうしても「正しさ」があるって迷信してしまうんですよね。軽口の争いに聞き耳を立ててると、大抵反感を買う言葉・流れの変わる言葉で出てくるのは「普通」とか「常識」というワードです。それ自体は各々の人生で構築されたもので、性格とかにも影響する人間性の一部ですけど、やはり他者にぶつける時は気をつけなければならないんだと思います。どっかの誰かさんが「常識なんて子供の頃の偏見だよ」と言っていましたので、そんなもんだと思ってください。で、自分の常識が他者と違う時は押し付けず、そのまま認める方がいいです。角が立ちません。私は人と常識が違うのは常々で圧倒的な少数派ですから、それがよく分かるんです。だから、少数派を「少数派だから」とか訳分からん理由で排除するな! あと好き嫌いあっていいだろ!
 最後に一つ、この意見を否定するのもまた一興ですよ。でも、私は「嫌い」ます。「否定」するのは厳禁ですが、「嫌う」のは個人の感性の自由ですからね。否定と嫌悪は違うものです。と、言い訳しておきましょう。

 P.S.完全匿名でめちゃくちゃバズりました。嬉しかったです。こっちもバズれ。

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