233. 情報優位で経験劣位の男にありがちな「性欲軽視」という落とし穴

こんばんは、梅田王子です。
今回は、男は性欲に正直に向き合わないと人生を破綻しかねないというちょっと辛辣なことをお話ししようと思います。

小学生の時に堀江貴文に憧れた少年たちの今

ここ何年かの傾向として、30代近傍の男性が「これからはネットとテクノロジーの発展によってあれがなくなる、あれがこうなる、もうこんなことしなくてよくなる、みんなハッピー!」と言った理想論というか観測論というか、地の時代とか風の時代とか、なんかそういう「これからはこうなる」的な話を聞く機会が増えました。

ここで30代近傍とわざわざ特定したのは、私がちょうど20代前半だった頃、堀江貴文がニッポン放送の買収劇場ともいうべき「稼ぐが勝ち、既存の体勢は悪」という強烈なスローガンで社会を挑発していたのに合わせて、「今の子供たちは堀江貴文さんに憧れている」「ああいう自由で活動的な大人になりたい」という声が上がってきていると、確か読売テレビの辛坊治郎が東京だけで放送されなかった某番組で話していたことに端を発します。

私も「そんなことあるもんか」と思っていたのですが、どうやら当時の10代の子供たちというのが今の30代近傍の大人たちなので、計算がぴったり合うわけです。ああ、本当だったのかと。

みんなハッピーに必要な「性欲の充足」

今回はそんな「これからはこうなる」的な話の真偽ではなく、彼らに欠ける論点、そして彼らが子供の頃に憧れたスーパースター堀江貴文にも通じる人生の盲点をずばり指摘するのが目的です。

はっきり言いますが、彼らのいう「みんなハッピー!」の世界観に「性欲」がごっそり抜け落ちているのです。

私の経験では、食欲、睡眠欲、性欲のどれか二つはプラスにしておかないと、体と精神を壊すという戒めがあります。人が幸せに生きるには、特に男性が幸せに生きるには、性欲を正しい方法できちんと満たすことが必要で、それは画面に現れる美少女ではなく、血生臭い、生身の女できちんと満たすことが、何よりも重要になるのです。

人は、どんなに自由でお金があっても、寂しさに耐えることができません。そして、その寂しさは突き詰めれば「性欲」に突き当たります。人間は、食って寝ることにいくら不自由しなくても、「愛」つまり「性欲」の充足がなければ10億ドル(1000億円)を超える資産を持つビリオネアも、寂しいと言って精神科医のもとを訪れ、どんなに社会的に成功している人気俳優や経営者であっても、フラッと自殺したりしてしまうことが現実に起こったりするのです。

性欲をコントロールしきれなかった男たちの末路

これからどういう時代になっていくかはわかりませんが、ただ一つ言えることは、時代がどう変わろうが、男は女なしには生きていけないのです。
どんなに自由でお金があって、彼らの主張ではお金というより信頼やフォロワーがいて、精神的に満足がいく「苦」のない生活を謳歌しても、性欲が満たされていなければ古今東西を問わず、必ず(特に男性は)人生に躓いてしまいます。

何故でしょうか。それは、性欲は本能であり究極的な欲求であり、どんなにテクノロジーを駆使しようが理想を実現しようが、我々が人間である以上、性欲の苦楽から逃(のが)れるなんてことはうんこを死ぬまで我慢し切って快適に暮らす並みに非現実的な無理ゲーであり、そもそも人間は性を求めるもので信頼やフォロワーを作って精神を満足させるための存在ではないからです。

大袈裟かもしれませんが、私はどんなに風の時代で大量の信頼とフォロワーを獲得し自分らしい自由な生活を手に入れても、もし好きな人がいて声もかけられずモジモジしていた傍で、他の男がさらっとその女性を口説いてその男の部屋に連れ込んで、今もしかしたらその男の部屋のベットで裸になってイチャイチャしてるんだ、もしかしたらセックスとかしちゃったりしてるのかとか、そういう妄想を抱いただけで精神を崩壊させ、不必要なツイートを連投し、その大量の信頼とフォロワーを瞬時に失ってもうダメだ!と言って繁華街だか電気街だかに出かけて行って、刃物を持って、振り回して、、これ、これが人間というか私たちの現実なのです。

あの子が他の男に取られたら?

いつの時代も、好きな女性に声をかけて仲良くなってイチャイチャしたりエッチなことをしたり、そこにストレスがない状態が実現するのであれば、土だろうが風だろうが、フォロワー100万人だろうが200万人だろうがリモートワークだろうがなんだろうが、そんなのどうでもいいから「あの子と仲良くなりたい!」この欲望に敵(かな)う何かがあるとは到底思えないのです。

確かに大量の信頼とフォロワーの時代でリモートワークで自由な時間と自分らしさは大切だとは思います。しかし、その根底というかその前提として私たちは人間であって、どんな社会的な自由・財産よりも「あの子と仲良くなりたい!」、この欲望に勝てるような存在ではないし、ここを無視というか、男子たるもの自己の性欲をきちんとコントロールし主導権を握り続けておかないと、「女一つで全てが台無し」なんて結末を迎えることも普通にあり得ます。

性欲を正しく制す者が次の時代を切り開く?

そして、この「正当な性欲の充足」は、なんと言っても生身の女性と正面から向き合い、血生臭い、生き物としてのまぐわい、光や音、文字や記号といった情報ではない物質同士の接触という経験によってしか達成されない、この現実から目を背けるわけにはいきません。

時代がどんなに移り変わろうと、特に人間の男は女一つでダメになる、自己の性欲から逃げていては常にそのリスクに片足を突っ込んでいる非常に脆い、弱い存在であるという現実から、目を背けてはいけないのです。

性欲の軽視(充足)は、もしかしたらこれからの時代に最も深刻な、我々人間の男に突きつけられた命題になるのかもしれません。


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