232. とある通信社に就活して得たナンパの知恵

こんにちは、梅田王子です。
今回は、私がリーマンショック前に失業したとき、とある通信社の採用面接に行った時に得たナンパの知恵についてお話しします。

私は就職氷河期最悪の年に大学を卒業し、初めて名前を聞くような大阪のメーカーに新卒としてなんとか拾われたもののわずか数ヶ月でお年玉のような手切金を渡されて突然クビになり、早速転職活動を余儀なくされたことがありました。

今から思い返せばすごい時代ですが、若干20代前半の若輩者にして、これだけの人生の修羅場をくぐり抜けて生きている40代近傍の底力というのはもう少し信用していいと思います。

で、その転職活動で私はとある出版社というか通信社に履歴書を送り、めでたく面接を受けることができました。

業務内容は、本を書く人や広告を出したい人にインタビューをして、それを記事に書き起こしてまとまったコンテンツに仕上げ、その本を書く人や広告を出したい人に納品するという、わかりやすくいうとゴーストライターの仕事でした。

私は新聞社の懸賞論文で大賞を受賞した経歴があるため、客観的に示せる証拠もあったこともあり、一度記事を書いてみるということになったのです。これは採用ではなく、発注に近く、ギャラいくらで実際に記事を書いてみてほしいというものでした。

失業中の私はそのお年玉のようなギャラでもそれを快諾し、契約書を交わした後、その日のうちにあるライターさんに連れられて町工場のような金属加工メーカーに伺うことになりました。
そこは歯科治療用のドリルか何かに使用する金属軸を作っているところで、目的は工業高校や手に職をつけたい人向けの人たちに向けて、工員を募集するための広告を作りたいとの内容でした。

私を連れて行ってくれたライターさんは、その金属加工メーカーの社長さんだかとりあえず偉い人に私を紹介し、加工機の周りを歩いたり操作の説明などを受けながら、そして、いかに人手不足かを力説されながら気づけば数時間が経過していました。

私は時の経過にびっくりし、あとでそのライターさんは私に取材メモと録音した会話テープ、何枚かの写真を手渡してくれ、納期を指示してその日は直帰をしても良いと言われたのですが、私は一応会社に戻りあいさつをしておきたいと希望を伝えたので、とりあえず営業車で一緒に帰ることになりました。

私が気になったのは、その時間の速さです。正直、知らないおじさんと営業車で相席したり、知らない町工場の社長さんだかだれかさんと何時間も時を同じくすることに恐怖を感じていたのですが、気がつけば終わっているほどあっという間に、そしてストレスなく時間は過ぎていたのです。

私はそのことを素直に告げ、不思議だったという感想と何か秘密でもあるのですかという質問をしましたが、そのライターさんは「町工場の社長さんの方が緊張していると思うし、緊張してたらうまく話も聞けないし、君の緊張がほぐせないようじゃ仕事はできないよ」と、なんかそういうことを言い、「帰ってテープよく聞いてごらん」と、素っ気なくアドバイスをくれました。

私の解釈では、そのライターさんの秘密はこうです。

まず、プロのライターさんと私では圧倒的に立場が違います。プロのライターさんは、最初から私を同じ仕事に行く仲間として接し、就活に来た部外者を引率するという格好で私に接していませんでした。何年も前から一緒に働いている仲間、知っている人として、私を見ていたのです。

そして、町工場の社長さんにも、絶妙な言い回しで「ビジネス敬語」を避けて会話をすることに徹していたのです。インタビュワーと言うより、その町工場の社長さんの中学時代の友達で、久しぶりに再開して愚痴や不安を聞いてあげているかのような、そんなに仲は良くないけど会えば話せるかそれより少し関係性は上あたりのポジショニングで、「結構それやばいレベル来てるやん!」を少しお上品にしたようなやりとりを、さらっと何往復もラリーをしていたのです。

私はこのやりとりを何度も聞き、自分の声が録音されている部分に背筋を凍らせながら、とりあえず内容を文字に起こし、それが広告となるように文章を構成し、何パターンかの小記事を5通ほど作り上げ、納期の2日前にそのライターさんに納品しました。

結局その記事は何かの広報誌に使われたようですが、実際に完成した記事はその後にプロの手がかかったことにより、いかにもそれらしい夢と希望にあふれたものに仕上がり、少し世の中の裏側を見たような気がして気分が良かったものです。

私は正規雇用されることはなく、この町工場の社長さんの記事の他に、幾らかの記事作成のお手伝いをして、合計で4万円ほどの原稿料を受け取りました。正直、記事作成の業界は今でいうWEBライターのようなもので、単価としては非常に割安です。もし自分が正規雇用されそれなりの給与を継続してもらうには、最低でもこの10倍は商用記事をコンスタントに作成し続けなければならず、さすがに無理だなと悟ったりもしました。

私は、プロのライターさんと同行すると言われた時、きっと鬼みたいな人が偉そうに私のダメ出しをしながら、お客さん(町工場の社長さん)の前ではヘコヘコし、終わったらまた高圧的に納期やら書き方などを指示というか命令され、まるで奴隷のようにこき使われるに違いないと、そういうイメージを勝手に抱いていました。

しかし、実際の仕事は本当にサラッと終わってしまい、意外にも「楽しかったな」という印象しか残らなかったのです。

思えば、プロのライターさんと同行すると言われた時の私の心情は、ナンパされた女性が連れ出し打診をされた時と同じ反応でしょうし、これからホテルに誘われるのかな、断ったら乱暴にされるのかな、やり捨てられるのかなと感じる心情も、私が営業車に一緒に乗り込んだ時の心情と同じものでしょう。

私が比較的ナンパデビュー時に声かけハードルが低かったことや、ガンシカされるという経験がほとんどないのも、このとある通信社の採用面接の日に起きた出来事が強く功を奏している気がしてなりません。

今から思い返せばのこじつけのような気もしますが、社会を生きていれば様々な経験を組み合わせて大抵のことには応用できますし、ナンパと言うのも人間業ではないようでいて実際にうまく活動できている人もいるのですから、なんでも正しいやり方とステップを踏めば、人間大抵のことはそれなりにでもうまくできるようになっているのではないかと思うのです。

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