道路の夜景が好きだった

 夜なので思い出について書こうと思う。僕は自動車のライトの列を楽しむ子どもだった。夜、それなりに混んでいる道路では列をなす自動車の一台一台が複数の明かりをともしている。ヘッドライト、スモールライト、テールライト、ブレーキライト、ウィンカーと色々ある。僕は列をなす車のそういった明かりが少しずつずれながらも整然と並んで揺れて進んでいく様を見るのが好きだった。

 夜、母の職場への用事についていった帰り。父の実家へ車で帰省した帰り。僕の家では泊まりで移動することが滅多になかったから、夜の自動車の思い出はいずれもどこかしらへ出かけた帰りの思い出だ。だいたいどの日も日中は子どもらしく感情と身体を動かしているから帰りの車では疲れて後部座席に一人で転がっていた。転がっていたらそのうち家に着く。心地よかった。全身で脱力してまどろんで、ふと外を見たら他の自動車の明かりが並んで少しずつ動いている。いい眺めだった。

 僕はわりとロマンチストなところがある。子どもの頃からそうだった。夜景はかなり小さい頃から特別好きだった。そんな夜景の中でも道路の景色が気に入っていた。色とりどりの明かりがゆらゆらと動いていて、自分は話しかけられるでもなく寝っ転がっていて。乗っている車は微かに振動を伝えてくる。今の語彙でいけばエモいとかになるのかもしれない。

 小学四年生くらいから乱視がだんだんひどくなった。乱視になると目のピントが合わなくなり、物の輪郭がぼやけたり物が二重三重に見えたりするようになる。ちなみに今の僕はかなり乱視がひどいので裸眼だと物が文字通り十重二十重に見える。乱視が出てくると道路の夜景もピンボケになった。それでも夜景は好きだった。ピンボケの景色もそれはそれで趣がある。ライトはぼやけて形がどれも同じの楕円に見えるようになるが当時の僕は「花火みたいで綺麗」と言っていたらしい。

 道路の夜景が好きなのは僕だけではない。10年ほど前に大流行りだった『中二病でも恋がしたい』というアニメでは、道路の夜景は物語の鍵として扱われる。「中二病」のヒロインは車のライトの列がなす光の線を「不可視境界線」と称して亡くなった父への複雑な思いを投影する。あのアニメを僕が観たのも中学生か高校生かの頃だった。夜の道路に並ぶ車のライトの列にそれだけの魅力があることには自然に共感していたように思う。
 中高生の頃には遅くまで部活をしたり習い事をしたりして、車で迎えに来てもらうことがしばしばあった。疲れきって後部座席に寝転ぶことはやはり多かったし、やはり窓から見る道路の夜景はどこか暖かみをたたえて安心するような美しさだった。

 最近の僕は、昔のようには道路の夜景を楽しまない。楽しんでいたのは三年前くらいまでだったと思う。きっかけがあったわけではないのだけど、僕は少しずつ楽しめなくなっていった。

 自動車は、疲れた時に寝転んでいれば家までワープできるポイントではない。自動車は、複雑な機構を持っていて大きくて重い移動の道具だ。時に凶器になる道具だから、適切な知識と技術を持つ人が複雑な規則によって動かしている。明かりはそのための合図であり、特別に危険な夜の運転を比較的安全にするためのものだと僕は理解してしまった。理解しただけではない。自動車の明かりの役割を何度も認識する中で、自動車の明かりをそうした実用的な物として捉える概念のレンズを作り上げ、そのレンズを常に身に着けている。道路の夜景を夜景として楽しむ気分にはならない。

 疲れたからといって後部座席に寝転ぶこともなくなった。大人だから。助手席が空いていれば助手席から埋めて運転を補助するものだし、運転手は自分に代わって事故の加害者になるリスクを引き受けてくれている。自分も事故の関係者になるリスクを引き受けて、運転手を頼っている。その緊張感と立場性を背負いながら後部座席で寝っ転がるなんて、よっぽど体調が悪くて病院に連れて行ってもらう道であるとかでなければしない。夜景をぼんやりと眺めたりはしないでせめて同乗者に感謝の気持ちをもって会話しようとか、思う。
 歩行者として夜景を見る時も同じだ。車の列はたまたま運転手がみんなきちんとしているから秩序立っているのであって、あれは凶器の列だ。ぼんやりと楽しむものではない。

 道路の夜景であれ何であれ子どもの頃楽しめた楽しみ方をできなくなることに対して寂しい気持ちはある。一方で知るべきことを知って新しい楽しみ方を模索することは必要なことだとも思う。とはいえ、童心に帰って楽しみたい時もある。複雑な心境だ。
 複雑な心境だけれども、確実に言えることは道路の夜景を「エモい」の一言で済ませる大人にはなりたくない。子どもの頃に感じた気持ちはもっと複雑だったはずだし、今だからできる新しい楽しみ方だってあるはずで、どちらにせよ既存の一単語で表したりるわけがないんだ。
 子どもはみな詩人だというフレーズを聞いたことがある。確かに子どもの頃の僕も今はできないような夢見がちでシンプルで危うさを孕む、思い切ったものの見方をしていたんだろうと思う。あの頃の感受性に戻ることはできない。ただ、完全に忘れてしまわないように、思い出した時には記録したい。そして何よりあの頃の自分に戻りたいと思わなくていいように、新しい自分の感受性を鍛え上げ続けたい。

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