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七草はづきという"ストーリーテラー"の存在について




はじめに


アイドルマスターシャイニーカラーズ、6周年おめでとうございます!

6周年ともなると、その歴史の中で紡がれてきたストーリーの量は膨大であり、それに比例して私たちプロデューサーの、アイドルたちへの理解度や解釈の幅は大きく膨れ上がってきたものと思う。

かくいう私は、1年強前からシャニマスに触れ始めた新参者であり、時にはガシャによって出会ったアイドル達の育成を介して。時には"アルバムの鍵"を駆使しながらユニットとしてのコミュを読み解いていくことで、少しずつこのコンテンツの理解度を高めているさなかである。

ロー・ポジションはいいぞ、本当に。


読み解いていく
、というと偉く大層なものに聞こえるが、この言葉を使った最たる理由は、シャニマスのコミュに対する「読み手の解釈」の依存度が相当に高い、というところにある。


シャニマスにおける"プロデューサー"と、自身/他者の"解釈"の在り方


シャニマスにおける"登場人物としてのプロデューサー"とは、私たちプレイヤーとは完全に異なる個を有している。と、私は思っている。

特にenza版の”プロデュース”において、アイドル達とのコミュニケーションが都度選択式であったり、その選択肢の中でパーフェクトコミュニケーションの判定が設定されていることからも、コミュの中でアイドル達と向き合っているのは、"プロデューサー"に他ならないことを認めざるを得ない。

そのため私たちは、"プロデューサー"のアイデンティティを認めつつ、彼(ら)からほんの少し離れた位置からコミュを観測する中で生まれる乖離の積み重ねによって、アイドルたちの解像度を上げていく。

そしてその積み重ねによって解釈を得ることとなる、と私は考えている。

また、各種コミュの中で描かれる物語は、基本アイドル達や”プロデューサー”、関係者同士の会話のみで完結することが殆どであり、それを補足するストーリーテラーも存在しないことから、結果として「読み手の解釈」に委ねる形を取らざるを得ない、ともいえる。

分かりやすく言うなら、"プロデューサー"と凛世の間にすれ違いが発生する度に、
「あぁ、もうじれったいな!俺なら凛世の気持ちをわかってあげられるのに!」
というクソデカ感情が爆誕し、それを積み重ねることによって、凛世に対する解像度を上げるとともに、自身の解釈を構築していくという体験を得る。

ただし、凛世の心情を語るストーリーテラーは存在しないため、自身の解釈が正しいのかについては、いつだって曖昧さが残る。

それでも、俺はいつだって君の味方だよ。凛世……

>ふふっ、はい……


この解釈を得るという営みが、シャニマスの醍醐味であると考える一方で、私はよく思うことがある。

「他の人はこのコミュをどのように理解し、どういう解釈を持ったのだろう?」と。

そんな時には、コミュ名やカード名などでインターネット検索をかけて、SNSや個人発信の記事サイトを読み漁ることによって、解釈の多角化や深堀を行うことにしている。

読み手の解釈の発生箇所とは、

1,そのコミュの時間軸より前にあったこと、アイドル個人やユニットメンバーとしての過去
2,アイドルやプロデューサー達との会話内容、特にアイドル達が語る言葉選びの理由
3,コミュを介して得られた(時には得られなかった)アイドル達のその先
4,その他、各種シーンに描かれる情景などからのメッセージ性の読み取り(花言葉など)

の大きく4つに分類されると考えている。

特に1,4,に関しては、私自身が知っている、気づくことの出来る範囲が限定されていることもあり、他の人の解釈に救われた(?)ことは数しれず……。

3人集まればなんとやら、というが、特に正解が設けられていない本コンテンツにおいて、自身が感じたことや解釈を一番大切にするのは勿論のこと、他者の視点や解釈に触れ、時には自身の解釈を見直してみることで、自身だけの解釈としての強度を上げることが出来ると信じている。

そして、暫く前から連載がはじまった漫画が、新たな解釈の角度を得るための最高のコンテンツになっている、と私の中で話題になっているので、この場を借りて紹介させていただきたい。


アイドルマスターシャイニーカラーズ 事務的光空記録
(ジムテキ・シャイノグラフィ)
通称:ジムシャニ



である。

第1話&公式のあらすじはこちら

"サンデーうぇぶり (sunday-webry.com)"というWebサイトであれば途中から課金をすれば/スマートフォン用のAppであれば初回は全話無料で読める(2024年5月時点)ので、まだ読んでない人は読もう!
そして、コミックス第1巻を買おう!!

唐突な宣伝


"事務員"という立ち位置/建前と"アイドル"との相互作用


まずは上記を読んで頂きたいので詳細は割愛するが、とにかくこの物語の主人公は283プロダクション事務員の七草はづきである。

(なんだかはづきさんのことは"はづきさん"と呼ばないと居られないので、以下はづきさんと記載する。わかるよね?この気持ち)

はづきさんは"事務員"という立ち位置/建前において、283プロダクションという事務所、そしてそこにいるアイドル達と極めてフラットに接している。といっても、立ち位置よりも相当に優秀で、建前では隠しきれない程の愛をもって。

はづきさんというキャラクターのバックボーンも明瞭である。
家族構成、283プロダクションと七草家の繋がり、それらから得られた(そうならざるを得なかった)はづきさんというパーソナリティ……。。

ある程度シャニマスというコンテンツに触れている人においては、これらを一定正しく認識した状態で、この漫画に読むこととなる。

とはいえ、事務員という立ち位置で描けることなんて、やっぱり限られてしまうのでは……?と思う方もいるだろう。

私も連載当初はそう思っていた。
そして、その想定は容易く裏切られることとなる。

第6話の前半までが公開されている2024年5月時点において、物語は各話でフォーカスされるアイドル(ユニット)が主軸に置かれながら、彼女たちにはづきさんが直接的/間接的にかかわっていく形がとられている。

そして、そのアイドル(ユニット)のコンセプトに対し、はづきさんは事務員、つまり"アイドル"とは明確に異なる立場や関係性であることを前提としつつ、はづきさんという人間のバックボーンから形成された立ち振る舞いや言動(アウトプット)に接することによって、相互作用が生み出されている様を読み取ることができる。

例えば、

  • 第2話のノクチル回では、はづきさんという最強事務員(ロック魂?)の姿をアイドル達に観察されることで、結果的に大きな影響を及ぼすこととなる。

  • 第4話のストレイライト回では、アイドルとしてのカリスマ性を如何なく発揮する彼女達と、そうでないもの達とは明確に異なる、という、はづきさんのバックボーンから導き出された結論を、当のアイドル達が負の感情を持たない形で再認識されられることになる。

  • 第5話の放課後クライマックス回では、確固たる信念を持つアイドル達に寄り掛かる形をとることで、影響を及ぼされることとなる。

というように、かかわる形や粒度は多様であるものの、そこにはづきさんがいたからこそ生み出されたものが描かれている。

なお、上記では敢えて記載しなかった、第3話のアルストロメリア回──千雪さんや甜花という、「姉(年上)」という属性の中で同じ目線に立つことによってお互いに気付きを得る回──について、このnoteでは核心部分のネタバレを防ぐ形で紹介したい。

なぜなら私はこの話が好きなので。
まだ読んでない人はマジでとりあえず読んできてほしいけど。自分先走っちゃいます。すいません。大好きなので。

千雪さんとは、事務所全体で見た時に「お姉さん組」という同じ立場から、飲み会の中で千雪さんの本音に(少し穿った見方をしつつ)触れようとして、『千雪ってすごいよね~(棒)』という感想(というか千雪さんの千雪さんたる所以)に触れることとなる。

うまストロメリア~とか言っている場合ではない。
千雪さん、つおい。

甜花とは、「妹を持つお姉ちゃん」という同じ立場から、更には"はづきさん"というバックボーンを持つ人間でしか触れられない甜花の柔らかい部分にタッチすることで、甜花を元気づけると共に、『お父さんならきっと……』というはづきさん自身の原点を再認識されられることとなる。

これは、アイドルと事務員という立場が異なっているから出せた──というよりも、はづきさんだからこそ、という要素が強いのかもしれない。

ただ、今のはづきさんを形成しているのは、事務員という役割を全うしてこそだと思っている(からこそ、千雪さんから冗談交じりに提示された勧誘に関しても取り付く島もなかった)ため、はやりこれは事務員としてのはづきさんによって生み出された相互作用なのだろう。


七草はづきという"ストーリーテラー"の存在


改めて。
「解釈」とは、受け手の側から理解すること/及びその内容のことである。

この漫画では、はづきさんに「アイドル達の受け手」という役割を担わせることによって、読み手はアイドル達の営み(≒行動や言動の背景)を、かなり精度高く受け取ることができる。

もう少し詳細に記載すると、受け手のはづきさんから提示されたアウトプットは、アイドル達の営みを私たち自身でイチから解釈するよりも、余地になりえる要素が結果的に狭められている、ということも、この漫画の「事務員から見た世界を描く」というテーマにおいては、いい方向に作用しているように感じている。

(当然、はづきさんのアウトプットに対する解釈は発生するものの、バックボーンが明確に設定されているため、大凡の方向性に相違が発生しづらいと言える)


前述の通り、読み手の解釈の発生箇所を、

1,そのコミュの時間軸より前にあったこと、アイドル個人やユニットメンバーとしての過去
2,アイドルやプロデューサー達との会話内容、特にアイドル達が語る言葉選びの理由
3,コミュを介して得られた(時には得られなかった)アイドル達のその先
4,その他、各種シーンに描かれる情景などからのメッセージ性の読み取り(花言葉など)

であると仮定した時、この漫画は、

1,は「はづきさんのバックボーン」や「シャニマス内のコミュ」という明瞭な要素があり、
2,3,はストーリーテラーの存在によってかなり精度高く読み取ることが出来て、
4,はストーリの背景として、シャニマスのコミュが添えられている

ため、解釈の余地を狭められていたはずなのだが、入り口/出口がはっきりとしている分、より深く解釈を得ることが出来るだろう。

シャニマスを始めたばかりのプレイヤーも、まだ読めていないコミュがあれば、それを適宜回収していくことで、より理解度を上げていくことができる。

なおこの漫画において、はづきさんをはじめ、登場人物がどう思っていたのかが(読み手の解釈の余地なく)フル尺で記載されている!というわけではない。

ただしはづきさんという、ある程度バックボーンが明瞭且つ283プロダクションに密に接している立場の存在※をストーリーテラーに据えることによって、こんなにも多角的且つ奥行きを伴った物語となるのは、驚きである。

(※"プロデューサー"もはづきさんと同じ立場(アイドルとは異なる283プロダクションの要員)ではあるものの、"プロデューサー"は私たちのなり替わりという役割を担っていることから、アイデンティティに加えバックボーンまで明確化してしまうと、私たちがプロデューサー職を全う出来ないリスクを有しているため、深堀されているシーンはさほど多くはない(はず)。)


しかし、ここまではあくまで、"アイドル"と"事務員"という、明確に異なる関係性が維持されている前提のもとでの紹介である。


物語が進むにつれて、はづきさんに大きなターニングポイントが訪れることとなる。

はづきさんの妹である七草にちかの、"アイドル"としての挑戦だ。


七草にちかという、最も近い/遠い存在


にちかの、半ば脅すような形で掴んだ283プロダクションへの所属/アイドルとしての挑戦/その先に待ち受けているものは、これまでにちかの視点を中心に描かれていたと記憶している。

にちかのWINGコミュをTrueEndまで読んだ時の事を思い出す。

にちかにとって、この営みすべてが幸福なものであるのか、私たちプレイヤーの中でも大きく解釈が分かれるところだと思っている。

漫画の第5.5話ではその挑戦の入口が描かれていたが、コミュを見た時よりも具体性のある「嫌」がそこにあった。

はづきさんにとって、肉親として最も近い妹であり/事務員として最も遠い"アイドル"は、まず建前としての事務員目線で嫌なことを直接的に起こし、肉親として最も嫌な現実を間接的に突きつけることとなる。

その生々しい、粘性の伴う「嫌さ」をここまで表現されると、もうプレイヤーにとってはお手上げだろう。
私も読んだその日の寝つきは相当に悪かった。

読んでない人はとにかく読んでくれ!!
ある意味最高の読書体験になると思う。(本当に)


この漫画の脚本がどのように作られているか知らないが、作者は血も涙もないか、血と涙を吐き出しながら作っていることを願う。

というか吐いていてくれ。私も真っ直ぐ受け止めるから。

マジで。


最後に


はづきさんはにちかの登場によって、単に"フラットな立ち位置/建前"ではいられなくなった訳だが、この漫画の物語はどのように進んでいくのか。

にちかのWINGコミュにおいて、その主人公はにちかである。

コミュの見方によっては、はづきさんは後ろで見守っていた(だけ)のように見える。

だが、この漫画の第5.5話を読んだ、読んでしまった私たちは、七草家でなされていた会話も、はづきさんの思いも、そしてWINGのその先にも触れてしまう危険性を抱えることとなった。

シャニマスの中でも最も解釈が難しいであろう"にちかの幸福"というテーマに対し、はづきさんは、私たちにどのような角度で解釈を提供してくれるのか。

もしかすると、WINGコミュとは異なる結末を迎えるかもしれない。
はづきさんがストーリーテラーではなくなってしまうかもしれない。

それでも一向にかまわないと思っている自分がいる。

今後の展開が楽しみでならない。


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