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30歳になった話


ハッピーバースデー俺くん!!
やったね俺くん、30歳になったお!!
いやーーめでたい!本当にめでたいねぇ!!!


はぁ……


表題のとおりです。お前ら祝え。
…いや、別に特別にめでたくはないので大丈夫です。はい。


自分の中で30歳に「なった」、というより、「なってしまった」という気持ちが強いのは、VISAよりも使えるシーンが多いと定評のある、「まだ20代だから〜」という言い訳が使えなくなることに対しての恐れが原因なのだろうな。

(自分の時は20歳から成人という扱いであったことを敢えて付記した上で、)10代から20歳になる節目には、多くの場合成人することによって得られる権利に価値があるのであり、それ以降の加齢は多くのシチュエーションで「節目と蓄積」という情報以外を有していない。

まだ若干のフレッシュさを言外に含められる「20代」という言葉を墓地に送らざるを得ない30歳という節目の何がめでたいというのであろうか。


「もう30歳なんだから〜」という言葉の後に付けられることの多いワードリストでも列挙してみようか?
・結婚
・孫の顔
・職場の責任
・持ち家の購入
・オタクなんて卒業して〜


やかましいわい!そんなこと言われても知るかい!黙れ!!!〇ね!!!!!!!


いいか?よく聞けよ?
そもそも年齢は単なる節目なんだろ?というかそういう風に思っているから、お前らは歳をとったというだけで偉そうに威張り散らかす職場のオッサンとか、街中で怒鳴り散らかしてるあのジジイに対して内心舌打ちしてんだろ?
じゃあ蓄積(年齢)のみに対して何かしらのステータスを求めるなよ!!うるせぇよ!!!


……と、20代の俺はつらつらと言い訳をしているわけなんだが、一方で「蓄積の相応分の経験値」は身につけていく必要はあるんだろうな、とも感じている。


人生は冒険や!!、ではなく経験値を得られる機会を積極的に作った上で、それを自分のやりたい事に昇華出来る人が大人なんだろうなと考えている。

経験値に乏しい領域においては年の功など全くもって意味をなさないにも関わらず、「人生経験」だけは人一倍有しているという矜恃(というか錯覚)だけが膨れた「イケてない人」をこれまで沢山見てきた。
自分自身がやりたいことは最優先で行ないつつも、「自分でやらなければいけないこと」や、「これから自分がやりたくなること」に対して、経験値の不足を言い訳にしてやらない、やれないという状況はダサいと思っているので、そこには視野や視座を高めて真摯に向き合っていくつもりだ。


その覚悟は持ちながら、いつか俺自身が年齢という蓄積だけで人を判断するような人間にならないことを祈りつつ、30代を謳歌したいと思う。



…さて、そんなしょうもないことを言っている場合では無い。まずは目の前の目標に向けて行動しなければ。

ふと目線を横に向ける。そこには、過去数年分の有馬記念のレース展開を見ながら、メモをとっているライスシャワーの姿があった。


12/25、中山競馬場芝2500m。
ファンからの得票数とレース実績から出走者が選ばれる、その1年の集大成とも言えるレースだ。

「最強のステイヤー」を目指すライスシャワーにとって、1番の目標は来年4月に開催される「天皇賞・春」だ。ただ、この有馬記念は「菊花賞」でG1 3連覇を目指したミホノブルボンに勝利したという結果が偶然ではなく、実力であることを証明出来る場でもある。

俺からはそこまでのことは伝えていないが、彼女はそれを汲み取ってくれているようで、日々健気に向けあってくれている。

とはいえ、もう遅い時間だ。そろそろ明日に向けて寝るように伝えようとした…ところ、こちらを見ながら何か後ろ手にモジモジしている。

「どうかしたか?」
俺はライスシャワーに優しく声をかけた。

「お兄さま!その……あのね!」

俺の目の前に、ブリザードフラワーに加工された青い薔薇が3つ、顔を出した。

「お誕生日、おめでとうございましゅ!……あぅ、噛んじゃった……」

なるほど、こうして節目を祝ってくれる存在がいてくれる事こそが、誕生日の醍醐味かもしれないな。
俺はライスシャワーに感謝を伝えつつ、ホットミルクを入れることにした。

〜完〜

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