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瑠璃色の地球「至上のラブソング」2001年の記

1986年6月リリース。松田聖子さんのアルバム「SUPREME」の最後の楽曲。
2020年、見えないものに世界中が翻弄される事態となり、またこの歌を何度も口ずさんだ。自分に言い聞かせるために。
19年前2001年の秋、わたしは瑠璃色の地球をずっと心の中に置いていた。9.11のあと。

19年前の記をようやく発掘。(探していた時には見つからず、違うものを探しているとポロリと見つかるものである)この年の紅白で松田さんは「瑠璃色の地球」をお歌いに。

2001/11/12up
「瑠璃色の地球」歌・松田聖子 1986.6.1 SUPREMEより

青の弧。

至上のラブソング。

この秋(2001年)いつも心の中に置いている歌。
わたしのくしゃくしゃになったカナシイというキモチが
無闇に飛んでいかないように
この歌詞で括って置いている。
想像の瑠璃色のリボンで括っている。

「瑠璃色の地球」を最初に聞いたのは、
大晦日の「レコード大賞」だったと想う。
友人と行った斑尾帰りのスキーバスのテレビでみた。
スキーバスの中でわたしは泣いていたと想う。
友人が ぎゃはぎゃはおしゃべりしている中で、泣いていた記憶。
聖子さんが出産後、はじめてテレビ出演された時だろうか。

そういうこともあってこの歌を最初に聞いたとき「母性観」を受け取った。
聖子さんの声は、地球の緩やかな弧を描き 瑠璃色をステージに広げる。
まさしく歌声が光の矢だった。
その矢は、バスで移動中のわたしの胸にも綺麗に突き刺さった。

去年ベストbox「SEIKO SUITE」を手にいれ、最近ようやく
DVDで「瑠璃色の地球」のプロモーションVを観た。
包容の愛。
視線は「あなた」ばかりじゃない。
本当に、素晴らしい歌詞だと改めて感じる。

1番は「個」の内面への視点。
個から弧。
海の向こうの銀河。
視線の解放。
思考の解放でもある。

時間軸の移動も聞き逃せない。
夜明けという「瞬間」をとらえた時間から 人生の時間、宇宙の時間へと拓くための言葉たち。

>>地球という名の船の誰もが旅人
たび。当時のわたしには「旅」の実感がなかった。
今では「生」から出航して、そして「死」へ辿り着くことなのかも。
と、この仮定に気付いてから、このフレーズでいつも鳥肌になる。
確かに、地球に間借りしているイキモノたち。
ニンゲンは、せいぜい80年くらいの間借りである。
それなのに勝手に境という線をつけて、威張っていたりする。
太陽系の時間にとって、なんて80年は儚い。
「生」から「死」
それぞれの旅の長さと濃さは違っていても、
平等に与えられた切符なんだ。

この船の上、這いつくばって自分の場所に立て札をしても
所詮「旅」なんだ。
そう想うと、網膜の窓を通す自分を囲む風景までも
一期一会と感じる。
そういう「瞬間」を意識していれば、わたしも瑠璃色に染まることができるかもしれない。
やはり「永遠」は嫌い。
「永遠」は傲りを生むような気がするから。

瑠璃色、わたしにとっては無垢な色。
貴い・尊い。とうとい色。

>>だけど愛する力もきっとあるはず
このフレーズ。
今だから、またこの歌をたくさんの人に聞いてもらいたい。
わたしの眼や耳は ナイモノを行間に勝手に探るのです。

たくさんの人に、瑠璃色のリボンを。
攻撃されるひと、攻撃するひと、
どちらの人達にも、膝の上に包み込んで髪を触ってゆっくりと歌ってあげたい。
夜明け前の闇から 光。
それは希望の光の矢でなくてはならない。

同じ「時代」の船に乗船している人々へ。

20011112 

以上。

2020年。この歌でまた救われる。距離を取っても唇に乗せる歌は共有できる。

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