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【日々】歩きスマホ者に渾身のラリアットをかましたい

なんて穏やかじゃないタイトル🙂

 
歩きスマホをするひと、
歩きスマホ者が苦手だ。もはや嫌いだ。

 
もちろん、家族や仕事で緊急のことがあって、1分1秒でも惜しいタイミングもあるだろう。

その場合は仕方ない、と思いっきりゴーサインするつもりはないけれど、自分が同じ状況だったら歩きスマホをしてしまう(せざるを得ない)かもしれない。

 
ただ、先日、目の前を早足に歩きスマホをする女性が通り過ぎて、「何を急いで……」と後ろからチラッと覗いたら、

Netflix。
チョン・スインが敵の面々と戦っているシーン。

いや『寄生獣 -ザ・グレイ-』!!
面白いけども!!急ぎで寄生獣の情報入れないといけないシチュエーションって何??

 
なんでこんなに、歩きスマホ者を見かけると神経が逆立つんだろう。

ぶつかったら危ないから?

ってのもあるけれど、
対面から向かってくる歩きスマホ者が、2m手前くらいで"ちらっ"と見てすぐスマホに目線を戻す、あの一連が、もう、、、

目線を戻した瞬間にラリアットかましたろか🙂(短気)(物騒)と思う。
 

高瀬 隼子さん著『いい子のあくび』の一節が、清々しいくらい言語化してくれていて、

四十歳くらいのスーツを着た女だった。ちらりとも前を見る気がなかった。スマートフォンは横向きで動画を見ていた。その画面に注がれる目、その顔を、よけた後も何度も何度も思い出してしまう。わたしがよけたからまっすぐ歩けた人だ、と圭さんと笑顔で話をして歩きながら、十分でも三十分でも、よけた人間の顔を思い浮かべて殺したい気持ちになっている

p.62

この部分に激しく頷いてた。

 
なんだろう、こちらが気遣われていないのが寂しい?承認欲求の裏返しなのか、、、と内省したものの、それだけではなかなか腑に落ちないもので。

 
この寂しさ。

 
立場を逆転してみて、
歩きスマホ者の成し得たいことは、①スムーズなスマホ操作と、②安全に目的地に着くことだろう。

そうなると、向こうからやってくる人に対して、道を避ける/避けなくても問題ないと確認する動作は、スマホ操作にあたってのノイズになる。

人ではなく、ある種、
障害物としての扱われ方

その感覚が寂しさを感じた理由、
なのかもしれない。

併せて、多くの場合、向かいのこっち側が対面の歩きスマホ者にぶつからないように避けるだろう。

避ける、イコール歩きスマホ者に配慮する。

歩きスマホ者が首から
[避けてくださいお願いします🙏]なるプレートをぶら下げているわけでもない。

あくまでもこちらが自発的に。
というか、
強制的に配慮を促されている

この傲慢な雰囲気が、歩きスマホ者が苦手、いや不快に感じる理由なのか、と幾分気持ちはすっきりした。

 
条例罰則云々が定められない限り、今後も状況はそこまで変わらないだろうし、何よりいちいち気にしていたら身が持たないだろう。

ただ、しょうがないこととして配慮することに、慣れたくはない。ラリアットは、とっておく。


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