カス日記

まあ意味なんてない。

友達のことが好きだ。誰よりも好き。
でも友達は私のこと好きじゃないかなってたまに思って、悲しくなる。
多分好きでいてくれてると思うけど。



あーーーーーーーーなんか、もう、嫌だな。いつもこうだ。「私だけ頑張って馬鹿みたい」っていつも思う。私は心配性で、想定外は好きだけど、思考停止は好きじゃない。だから計画を立てるし、わからないところは調べておく。その上で起こる想定外を私は愛していて、だから、そうじゃない“想定外”はただの怠慢だと思うのだ。見えてる落とし穴に自ら落ちに行く行為は全く美しくないし、正当化もされないと思う。でも、ああ、みんなそれでいいみたいで、また間違えたかなって嫌な気持ちになる。
困った時、どうせあなた達は他人に頼るのに。それをしない努力はできただろうに。 
黙って、無視して、見ないふりして、困ればいいのになってよくない心はたまに思う。私だけが知っていて、私だけは難を逃れて、それでいいはずなんだ。どうするかは個々人の自由なんだから。肩入れする私が変で、馬鹿で、愚かなんだ。でも見捨てずにはいられない。助けられずにはいられない。そもそも私が助けなくたって自分たちでどうにかするだろうに。ああ、ああ。
こんな神経質を他人に押し付けたくなんかないよ。うるせーことまた言ってるって、絶対思われてるだろうな。でもじゃあそうやって、馬鹿みたいに忘れて笑って皆で困ることを、青春なんて言葉で装飾してはいけないと思う。より良い方法を知っているのに、それを隠して笑うことになんの喜びがあるだろう。

私が善人だからといって、神様が何らかの恩恵を与えてくれるわけじゃない。
私の神様だけが、私に恩賞をくれるのだ。
友達が遊んでくれること。好きな物語に触れられること。必要とされること。頼られること。それは恩賞だ。そしてそれが、私の自我を作っている。
それに報いるだけの行いを、しなくては。


まだ彼氏が欲しいって感覚はわからない。
でももし今一人暮らしで、このイヤーーッて気持ちを一人で持て余すしかなかったら欲しくなるの、かも。でもそれって消費行為?守られたいわけでもない。ドキッとしたいわけでもない。ただ誰かと共に在って、笑って、楽しければ、それで。
正しい恋ってなんだろう。代償でも、錯覚でもない真実の愛なんてないんだろうか。
たのしくくらしていきたいだけなのに、人間の心は複雑すぎて、ちょっと嫌になる。

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