noteが記録してくれてる「〇週連続です!」を途切れさせないようにするのがなんとなくのルールだったりする。
ちょっとしんどくなってきたので言葉を生んで食べる時間を私に与えます。


昨日まで4日?連続とかで人と会っててさすがに疲れた。まず早朝ってのがいただけない。私は人が寝静まる夜に文章を食べるのがいっとう好きで、昼日中に人間と接触でもしようものならその時間とイコールになる量の睡眠を摂るか言葉を食べなきゃ回復しないから、連続で人間に会うってのは中々にハードだ。
社会人になったらどうなってしまうんだろうか?ゾンビみたいな顔でX(未だにTwitterと呼んでしまう)のTLをずっと眺めているかもしれない。XのTLは私にとってスナック菓子と同じなので、止められないし、止まらない。早く寝ればいいのに。それはそう。


マッチングアプリ。ちょっと再開して、ここ数日の人間ラッシュに食傷になり、またやめた。ごめん、メッセージ途中の人。そういう失礼な真似よくないって本当にわかってるんだけど、多分今の私はあなたと会えないので、早めに機会を摘ませてください。ごめん。ごめんなさい。
友人の友人(知らない人だ)によると私はマッチングアプリやめた方がいいらしくて、そうだろうね!!!!!!って感じだけど、別に実生活に出会いなんかないからなんとなくアプリは入れっぱなしだ。お金かかんないしね……。ああ、つくづく、ごめんなさい。
ボランティアとか、した方がいいのかなってちょっと思うし、言われた。それこそ出会い目的で、とか。人間との身体接触が基本無理か無関心だし、出会い目的で集うって状況が私含めキモくてオってなるし、そもそもボランティアするほど世界に対して真剣じゃないんだけど、ああこれ言い訳かな。言い訳だな。でもまあとにかく気が乗らなくて、何もしてない。ガクチカにするつもりもない無償労働なんて、意義を自分で見いだせなきゃやれるわけがないのだ。
ただ、4年の夏休みを浪費するのも勿体ないので、最近家庭内アルバイトを始めた。研修中だけど。要は家事手伝いの見習いで、とりあえず私は料理が苦手なため、それを習っている。

料理が苦手だ。
別に家庭科の才能がないわけじゃない。決して褒められるレベルじゃないけど、りんごの皮を途切れさせないで剥くくらいには包丁も使えるし、火も油も怖くはない。
ただ、私には食べたいものがあんまりないのだ。偏食気味であり、かつ、雑食気味なので、食にこだわりがないから献立が全然決められない。知識もないから、冷蔵庫の中身でも決められない。人のいない日のご飯なんか、三大栄養素(だっけ?)の米、肉類、野菜類を一個ずつ食べておけば万事解決だと思ってるクチだ。
それでまあ、今日はメイン1が賞味期限の関係で決まってたので、メイン2を30分悩んで母に相談して決めた。それも別に私が食べたいわけじゃなくて、過去の献立の編成的にこういうのにはこんなのが横にあったかな……?みたいな知識で選出した。もちろん、料理の名前も壊滅的に覚えてないので、最後はレシピ本の言いなりに作った。当然美味しかった。人類の知識の蓄積は素晴らしい。

私は考えることが多い作業が苦手だ。もう少し詳しく言うと、パラメータが多く、流動的な作業が苦手だ。やろうと思い、きちんと手順を踏めばできるのでできないわけではないのだけれど、やらねば、と腰を上げる前に能が一瞬忌避を発する。……発達障害説が最近如実に思考をかすめるのだが、私は私のポリシーにより余程切羽詰まらない限り診断には行かないつもりでいるので、真偽は不明だ。

さて、私のいっとう苦手な家事は洗濯機を回すことである。これは料理嫌いにも繋がっているのだけれど、要は「正しく行うために考えなくてはいけないことが多い」そして「変化は急激かつ激烈に生じる」ことに忌避感を覚えてしまうのだ。
例えば、洗濯表示。材質。色落ちの有無。生地は伸びやすいのか、伸びにくいのか。ネットに入れるべきか。使っていい洗剤。使ってはいけない洗剤。柔軟剤はいるのか、いらないのか。その分量は。洗いは何回が適切か。すすぎは何回が適切か。
これらのことを正確に考えた場合、洗濯機にボンボン服を投げ入れるのは全く推奨されることではないし、洗剤は何種類も所持すべきだし、洗い方とて毎回同じにしてはダメだ。でも人間そんなことまで構っていられないから、だいたい毎回同じ設定で、同じ洗剤で服を洗う。99%の衣服において特に支障はないのだからそれでもちろんいいのだけれど、適合できなかった1%にはほとんどの場合決定的なダメージを与えてしまう。正確にやれば避けられるミスを、生活のため正確にやらないことを許し、それがゆえに切り捨てられる1%がどうにも私は気持ち悪くて、苦手だ。
料理も大体そんな感じなので、上記の理由も含めてもちろん苦手である。まあ、ゲーム性があることは理解出来ているので、研修中に克服できるといいなと思っている。


最近のモヤモヤの1番でかい原因は多分、二次創作を書けなくなったことだ。暇だからと再開してみてわかった。
全く書けないわけじゃないけど、終わりまではほとんどたどり着けない。衝動で5000字くらい書いて、この先はこうして、ああして、と想像して、そこで筆が止まる。言葉が出なくなって、でも最初の5000字は本当に私の心を満たすものだから消せもしなくて、そのまま閉じる。そういう書き出しの束が腐るほど私のスマホの中にはある。このnoteの下書きにも、二次創作じゃないけど文章のなり損ないみたいなのがごろごろ転がってる。

まあ、多分、インプットが足りないんだと思う。あと単純に自分の文章に自信がない。
必要な言葉はきっと既にそこにあるんだと、思う。
元々私が読んで楽しければそれでいいわけで、それに関しては至極忠実に書いてきたし、今もそうやって言葉を編んでいるから、いつ読んだって私の文章は私を楽しませてくれる。そのまま書けばいいのだ。私にしか分からない文法、私にしかわからない表現。上等だ。私が読んで面白いものを私が書いて、何を責められることがある。…本当に、その通りだ。

でも書いたからには読んで欲しい気持ちがある。頑張ったから。このnoteだって見られてるから書こうかなって気持ちが半分くらいはあるのだ。もう半分は純粋に、言葉を使うと安心するから。だから、これでも一応伝わる文法を使っている。基本私の文章はかなり夢見がちで、説明もそんなになくて、客観性なんかない、凄くよく言えば詩的、端的に悪く言えば厨二病の文章だ。心を形にするんだから、そのくらいは崩壊してないと、さ。
ただまあ……公開するにあたりそれが他人に読めるものかどうか、ってのは気になるし、実際チェッカーみたいなのも世の中には転がってるので、使ったりしてしまう。愚かにも。で、ここが不足ですねって言われて、本当にそうだなと思って落ち込む。私は情景描写が非常に苦手で、動作描写ばかりするものだから、文章を通せばめちゃくちゃそこを指摘されるし、ぐうの音も出ない。苦手なんだ。映像を想像して書き起こす時、天気や気温や人々の色、形、匂いなんて私の頭の中には存在しないので書けるわけもない。後付けで捏造はできるけど、なんの意味があるのか私でもよくわかってないものを入れて、何か意味はあるのか。

あとはそれこそ、こんな台詞この人が言うのかとか、この人がこの人の事好きになるなんて本当か?とか、そういう根本的な疑念が出てきちゃって昔書けてた続きが書けなくなってる。ねえ!!!恋愛が実体験としてわからんのにどうしてcp小説が書けるんだよ。
確かに、状況が適合すれば互いを深く思う関係にはなれるかもしれない。でもそこから先が理解できない。理解できないものは書けないので、彼らは互いを深く大切に思うだけで話は終わる。そんなものに需要があるのか、私が見たいものはそれだったのか、よくわからない。妥協した落とし所、なのかも。
人類愛と恋愛は別物で、私には人類愛しかわからないから、彼らが抱えると想定された気持ちが上手く言葉にできないのだ。好きってなんだよ。それが好きなら、私だって友人が好きだよ。でもそういうことじゃないんだろ。私が友人を好きなのと、この人がこの人を好きになる論理は絶対違う。ので、書けない。これも原因の一つ。

最後に!端的に、身内がコミケにサークルで出店してるのが凄くて偉くて羨ましい!!!のも多分モヤモヤに関わってる。たとえ売れなくても、何かを完成させて発表の場に持ち込んだ、それだけで崇敬の対象だ。誰だってきっと正しく取り組めばそこにたどり着けるだろうに、足踏みをしてる私が情けなくて嫌いだ。貫けるだけの好きもないくせに。物語を終わらせる才能もないくせに、憧れていて、ああ。無様でどうしようもないな。
褒められたいし、認められたいし、多分、根っこでは、否定して欲しくないんだと思う。私の形の定まらない好きを形にして、否定されてしまうのが何よりもきっと悲しい。私が私の好きなものを作ること、それ以外に意味も価値もないと理性では理解しているのに。誰かにも愛して欲しいって、そう願ってしまう。


モヤモヤは続く。
嫌なこと、苦手なこと、自己嫌悪、結局マイナスに向かい合うばっかりの夏になってしまった。これまで逃げてきた代償を支払ってる、とも言えるけど。9月に控えた海外旅行だけが今の人生を保証している。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?