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星の便り⭐︎⭐︎⭐︎

前回の続きです⭐︎


わたしはそれ以来、星の形をした紙が落ちているのを見ると、つい拾いあげるようになっていました。
(小さいものなど 一葉っぱや木の実や石や羽など一 を拾うクセがあり、毎回、ホ・オポノポノでクリーニングしているのですが、拾わない、を選択していることが増えてきたような気もします。拾う拾わないに、いいもわるいもないのですが。またあるときは、突然、拾ったもの(自然に還るもの)を自然に返す、というアイデアが出てくることがあり、集めては放ち、集めては放ち、を繰り返しています。(わたしは何がしたいんだ?笑))

星の便り、とよんでいるのもその一部。
まるでウニヒピリと遊んでいるような、聖霊とコンタクトをとりあっているような、ことばのないコミュニケーション。

あるときは、階段の踊り場で、あるときは、駅のトイレの洗面台で、あるときは、座ろうとした電車の席で、あるときは、神社の境内で、小指の先より小さなものから、手のひらくらいのものまで。

ふふふ、と笑ってしまうときもあれば、「あ、」(以上!)のときもあれば、
「(じんわり〜。泣きそ〜)」のときもあれば、
何かのヒントにつながったり
遊びのアイデアになったり
そのときそのときでちがいます。

でもすべては、わたしの遊び。
そこに、"絶対" も "これだけ" もない。

わたしだけの遊び。

けれども、その頃のわたしは、これらが、こころから信頼できるものであることを、まだ、わたしはわたしにゆるしきっていないのでした。




その日は、1月だというのに、少し春を感じる陽気さが、朝から漂っていました。
それならば、と、きのうごはんを食べに行ったお店にマフラーを忘れてきてしまったので、自転車で取りに出ました。

マフラーを受け取って、その足は公園へ向かいました。いつぶりだろう?いつもの風景になんだか胸があつくなる。

わたしは、わたしが、ひどくながいこと塞いでいたのだと、気づきました。


公園を自転車で走っていると、少しずつ軽くなっていくような感じがしました。何かがはがれてくような、溶けてくような。

暖かいといっても1月。わたしはダウンを着ていました。少し汗ばんできたので、ミルクティーを買ってベンチで休むことにしました。


その足元に、一瞬きらりとしたものが目に入りました。
しゃがんで、枯れた芝をかき分けると、ぼろぼろになった星の便りが、そこにありました。


それをすくいあげたとき、わたしは、もう、「信頼しない、をやめよう」と覚悟しました。

あたたかさと、不甲斐なさと、情けなさと、よろこびと、弱さと強さ…
もう、なんだかとても混沌としているのだけれど、わたしは、次々と流れてくるこの涙たちが、愛おしくてかわいらしくて、たまりませんでした。



ふとテーブルをみると、小枝がたくさんちらばっていました。
わたしの手はそれらをならべはじめました。

なんだかラブレターを書いているみたい、でした。

わたしとわたし
わたしとみえない何か
わたしとすべて


わたしの世界

わたしが世界

共有できないもの

誰もいない世界


それはときにすこし、さみしく感じることもあるけれど、「わたし」を思い出すサイン。

人生をかけて。

人生を駆けて。

ただ遊ぶ。




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