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自分にとっての『正解』


note  39日目。


今日は、月に2回通っている算命学の個人授業の日。


習い始めてから、もう4年。最初は、将来何かしら自分でやっていくための手段なればという思いで習い始めた。


算命学はよく『占い』だと思われている。もちろん占い的な要素はあるけど、それ以上に『自分で自分を知る』ための手段のひとつ。


誰にでも、色々なことがスムーズに進み、面白いように何でも上手く行く時がある。ついつい、その時 その好調がずっと続くと勘違いしてしまう。

でも、実は好調期の後には、必ず下り坂が待っている。下り坂はスピードを落として進めば、チカラを入れず今まで加速してきた勢いを保ちながらスムーズに進むことが出来る。

『下り坂』は悪い事が起きたり、辛い目にあったりする訳ではなく、絶頂期に負荷をかけたカラダやこころを休める時期。映画を観たり、本を読んで知識を吸収したり、リフレッシュの旅に出たりして 次の好調期に向けて体力を温存する。


だけど、人は絶頂期に アクセルを踏んでしまいがち。体力も気力も満ちている感じがするから、もっと先へと進もうとしてしまう。特に、会社を経営していて業績を順調に伸ばしている人は、そのやり方や自分が正しいと思い、慢心して失敗してしまうケースも多い。

だからこそ、大企業の社長や、沢山の社員を抱える経営者ほど、専任の鑑定士が付いていることが多い。

自分のチカラではどうしようもない事があることを知り、謙虚になれる。

自分ひとりではなく、上手くいく時は『大きなチカラ』が手を貸してくれていると感謝し、人生の向かい風の時期は『自分のチカラ』を開花させるための準備期間。そうとらえるためのもの。


だから、いつラッキーなことが起こるかを知るためのモノではなくて、

自分をきちんと見つめるためのモノ。



私は長い間ずっと、社会的な『正解』とされる人生の道筋があると感じてきた。『ちゃんと』真面目に生きていれば、『正解』から外れることはないし、普通に生きていけると思っていた。

『理想』の生き方をする人は 世間から称賛され、そこから外れることは『人生の落ちこぼれ』で恥ずべきこと。だから、一生懸命 出来るだけ『理想』と言われる生き方はどこにあるのか探していたように思う。


『正解』から外れることは恐怖でしかなかった。

なのに、強い違和感があり『正解』とはちょっと違う生き方を選んできてしまった。

『あー、ハズれてしまったなぁ。』すこし 遠い目で自分の人生を振り返ったりしていた。


先生とは、色々な話をする。当然、今回は『コロナ』の話題になった。もう『緊急事態宣言』が解除されても、依然と同じ生活はかえって来ないだろうと。日本だけでなく、世界が突きつけられた『現実』。


そう『正解』なんて、なかった。


算命学を初めてからずっと、先生から 一貫して『自分自身で生きる』ように言われてきた。


これからは、自分で責任を持って自分の生き方を見つける時代。

決められた『正解』なんてない。自分の内側が『こっちだよ』と示す方向が自分にとっての、正解。


そう。しっかり自分の内側にある。

それを教えてくれたのが、私の場合は たまたま『算命学』だった。


私たちは『頭』で考えて物事を解決することに慣れすぎていて、

そこにストックされた『経験の範疇』からなかなか抜け出せない。

きっと、今のこの状況は『頭』で考えて答えを出すことから、『こころ』に問いかけて自分なりの答えを出す必要性を、わたしたちに教えてくれている。


自分にとっての『正解』は自分にしか分からないから。

これからの時代は、今までの社会的な『正解』がどんどん外れていく。

世界がどんなふうになっていくのか、楽しみでしょうがない。




ワクワクしながら、今日も一歩前へ。



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