右の二の腕、腋の少し上に、大きな2つのシミができていた。
そのくらいは驚くことでもない年齢だ。白髪も生えるし、シワが目立つことも増えてきた。シミの一つや二つに一喜一憂することもない。
だが、そのシミを初めて見つけたとき、俺にはそれが「言い訳のしようのない老化の象徴」のように見えて、ひどく落ち込んだのを覚えている。
絵本に出てくる悪い魔女とか貴婦人が、自分の顔にシワを見つけて嘆き悲しみ、鏡を割ったり枕を引き裂いたりして暴れる。多分それと同じような感覚だ。生憎、俺には暴れるほどの強い衝動なんて残っちゃいないが。

2024年6月24日。32歳になった。
30歳になったとき、「20代が終わった」と思った。
31歳になったとき、「30代も1年が過ぎた」と思った。
そして32歳だ。あと半年経てば、「30代前半」が半分終わる。
遠からず30代前半も終わるだろう。その次は30代後半になる。次は40代になって、50代になって、いつか死ぬ。
少し前までは20代や30代の方を向いていたのに、今は「死」を見ている。
まあ、30代にも入って2年が経ち、特に何か大きな変化もないのだから当然だろう。

このまま生きていたら、このまま終わる。
そんな当然の答えだけが見えていて、それだけはどうしても嫌で、だからって何をすればいいのかも分からない。何をやっても「これを一生続けたら自分は救われるのか?」とだけ思っている。救いとは何なのか、自分が何をしたいのか、何一つ分からない。ただ生きている。
何かの「可能性」がどんどんと擦り減っていくのを見ながら、ただ生きている。どこかにある終着点だけを見ながら。
まだ、全てを諦めて何も感じなくなったわけじゃない。
何がしたいのかも分からないのに、焦燥感だけは背中にピッタリと貼り付いている。
欲しいのは金か?時間か?女か?それとも名誉か?
何だか分からないが、とにかく今の自分に無いものだ。

どんどんと、擦り減っていく。
新しい靴を買おうと思って、やめた。どうせ誰も見ないからだ。俺自身だって見ない。気に入った靴を買っても、それを履いた自分は見たくない。
20代前半くらいの頃は、ファッションを楽しむくらいの余裕もあった。その頃の服は、もう一着も残っていない。タンスの中で場所を取るばかりで、何年も着なくなったからだ。着たくない。着ても仕方ない。そんなことばかりだ。

嫌いなものばかりが増えていく。
子供の頃は、小動物の動画で喜んでいた。今では、その背後で「こういうのが好きなんだろ?」と言っている人間の顔が浮かぶようで、もう「いかにも可愛い小動物」を見るだけでも不快になってきた。
新しい漫画やゲームの紹介を見ても、気に食わないと突っぱねることが増えた。つまらなくなったのは今の漫画やゲームではなくて、どうせ俺の方だろう。
時代に合わせて変わり続けられるほど俺は器用じゃない。だが、思い出にしがみついて生きたくはない。
何にだってなりたいはずなのに、何にもなりたくない。
無気力だ。無気力は嫌だ。それは変わらない。
何かをする必要がある。何もしたくない。
いつまで繰り返せばいい?

少しずつ、自分だったものが薄れていく。
だが、自分とはいつの自分だ?
5歳の自分も、10歳の自分も、とっくに残っちゃいない。
今の自分が「自分」だ。なのに変わっていく、薄れていくと思っている。
消えるのも嫌だ、このままでいるのも嫌だ。また同じだ。
この堂々巡りの悩みを断ち切ったら、俺は自由になれるのか?
それで、俺は幸せになれるのか?
そう考えるだけで、またいつもと同じだ。
擦り減っていく。何が擦り減っているのかも分からないが、何か大切なものが小さくなっていく。
それを悲しいと思わないくらいに自分が薄れてしまえば、俺は開放されるのか?それで俺は幸せになれるのか?
いつもと同じだ。同じことを考えて、ただ時間が過ぎてゆく。

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