ティアキンのストーリーの雑さについて雑に愚痴を言う記事

「ゼルダの伝説 ティアーズ・オブ・ザ・キングダム」をプレイしました。流石に全コンテンツを制覇したわけではないですが(と言うか無理だろそんなの)、メインストーリーに関わってくる部分は一通りクリアし、とりあえずゲームのプレイとしては一段落したところでしょう。

で、今回はそれについての感想記事なのですが、元々レビューを書くつもりでプレイしていたわけではないのでスクリーンショットも全然撮っていないし、今更記事用にスクリーンショットを撮るのもわざとらしいと言うか、とにかく気が進まなかったので今回は文字だけの記事です。なので普段以上に華のない記事ですが、ご了承くださいませ。

また、終盤のストーリーまで含めてネタバレは一切自重していないので、ネタバレされて困る方もお引取り願います。そんな人は多分こんな記事開いてないと思うけど。一応な!

「ブレワイ」のストーリーは完璧だった

私はゲームにせよアニメにせよ、ストーリー面には文句を言うことが多いのですが、前作「ブレスオブザワイルド」については特に何の不満も持ちませんでした。
綿密に練られた伏線だとか、衝撃的などんでん返しのある展開だとか、そういった驚きのある内容ではありませんでしたが、とにかく作りが丁寧で、英傑などの「プレイヤーに好きになってもらわないと困る」キャラクターについては一人ひとりが丁寧に描かれていたし、とにかく遊んでいるプレイヤーが何を感じるかをしっかりと計算した上で、決して陳腐で退屈ではない「みんなが大好きな王道」を描いていました。

最も印象的なのが序盤に入手する「パラセール」の扱いです。
雄大な世界へと駆け出し、謎の老人と触れ合い、シーカータワーを起動。
塔のてっぺんから慎重に降りてきたところで、滑空して現れる老人。
ちょうどプレイヤーが「高所から楽に下りる手段ないかなー」と思っているタイミングで現れるのが巧い見せ方です。

そして、そのパラセールを譲る条件として、まず1箇所の祠の攻略を求められ。それが終わると「やっぱりあと3箇所の祠を攻略しろ」と求められるわけですが、これも非常に良く計算されています。
祠の攻略も楽しいとは言え、いきなり何の理由もなく「ゲームの進行のために4箇所の祠をクリアしろ」と指示されたら、やはり多少の作業感は受けるものです。
そこで、パラセールを餌として提示し、「パラセールのため!」と祠の攻略のモチベーションを与える。
また、最初から「4箇所」と言わずに、一箇所攻略した後に追加で3箇所を提示する点についても、「今攻略した1箇所と同じような感じで、残り3箇所回ればいいんだな」と安心感を得られるようになっているし、ついでに老人に対して「ズルい!」と思わせて不満と同時に親しみを感じさせつつ、「既に一箇所攻略したんだから、ここで引き下がれない」と、プレイヤーをズルズルと祠攻略の沼に浸からせていく、恐ろしい誘導となっています。
ついでに、この老人との会話の際にリンクの側も「パラセールは?」と催促できたり、「話が違う!」と文句を言えたり、ちょうどプレイヤー側が感じるであろう感情をそのままリンクに代弁させられるので、リンクをプレイヤーの分身として親しめる存在にしています。

そして、ついに4つの祠を攻略すると、老人の正体がかつてのハイラル王だったと明かされます。
最初に祠を出てから、よく分からない状況のまま何となく散策していた世界についての詳細が語られ、一気に物語に引き込まれていく。そして、いよいよ本当に手に入るパラセール。
こうして、「これでどこへでも行ける」という開放感と、「この世界を救わなくては!」という使命感の2つを手にして、ワクワクが最高潮に達した状態でプレイヤーはハイラルの大地へと降り立ってゆく
この流れが本当に素晴らしくて、いつもストーリーに文句ばかり言っている私でも、この展開には本当にベタ褒めしかしません。だって最高なんだもん。

やたらと一方的な男、ラウル

さて、「ティアキン」においても前作の謎の老人、ハイラル王のような立ち位置のキャラクターとしてラウルという重要な人物が登場するのですが、まず、彼がイマイチ好感の持てない人物でした。
と言うのも、このラウルという人物、本作の物語の核心となる部分の出来事を殆ど知っているにもかかわらず自分の口からは全然説明してくれず、代わりに「ここはこういう場所で、自分たちは過去にこんな事をしていた」と聞いてもいない自分語りを繰り返します

前作のハイラル王も最初は詳細を伏せていましたが、これは「記憶を失っているリンクにいきなり全部を話しても混乱させるだろうから」と、一応の理由付けがしてありました。対して本作のラウルは特に事情を伏せておくべき理由もない、と言うか後に明かされるストーリーを考えるとさっさと全部話して協力を仰ぐべき立場なのに、なぜか「自分はリンクのことをゼルダから聞いて知っている」などと中途半端に匂わせるようなことばかり言っており、言動が支離滅裂になっています。
言うなれば「ゲーム的にプレイヤーに情報を伏せておきたいから黙っている」という理由が露骨に透けて見えている状態です。これが「」と書いた第一の理由です。

それにこのラウルという男、ゼルダからずっと聞かされていた英雄にようやく会えたのだからリンクという人物にもっと興味を持って良いはずなのに、リンクについて知ろう、理解しようとする気が全く感じられないし、ハイラル王のようにお茶目な一面を見せてくれることも(少なくともリンクとのやり取りの範囲内では)全然無いので、どうにも親しみが持てない人物です。
後のムービーで、ラウルに対してガノンドロフが「高慢」と言っていましたが、実際そんな感じはリンクとの会話内でも何となく感じられました。それを計算してわざとラウルを一方的なことばかり言う奴にしたのか?
だったらキャラ造形としては面白いけど、やっぱりストーリーの最初に会う人物としては失敗だよ。

4回同じ話をするだけの賢者

本作では、前作の英傑のような立場としてラウルと共に戦った4人の賢者が登場し、これらに力を託される形でリンクの仲間が「賢者の力」を覚醒させます。
ここで問題なのが、この4人の賢者が過去の出来事についてムービーで話してくれるのですが、これが全部同じ内容なこと
大雑把に書くと「私達は過去に魔王と戦ったが、勝ち目はなかった。なのでラウルが自らを犠牲に魔王を封印した。その後ゼルダが『未来でリンクを助けてくれ』と頼んできたので了承した。さあ子孫よ、力を受け取ってくれ」といった感じです。
それぞれの賢者によって微妙に言い方が違う箇所はありますが、内容は完全に一緒です
ついでに第5の賢者とされるミネルも、微妙に情報が増えてはいるものの大筋は同じ話をするので、一周のストーリー内で同じ話を5回聞かされます
なので賢者の話は飛ばしてしまいたくなるのですが、説明後の賢者の子孫たちの反応は一応チェックしておきたいのでムービーを丸ごと飛ばすのも気が進まない。と言うわけで我慢して同じ話を聞くしかありません。
これは本当に、なぜこんな欠陥仕様でOKが出たのか全く理解できません。実際、本作についてのレビューや感想を既にいくつか見かけましたが、この点は何度も指摘されていました。

それに加えてこの4賢者、どういうわけか全員ゴーレム仕様の兜を装備しており、顔が全く見えません。過去の出来事に関する語りが全く同じこともあって個性が一切なく、言うなれば前作の英傑に相当するような、非常に重要な過去の英雄であるにも関わらず、魅力的なキャラクターとは言えない……どころか、そもそもキャラクターとして成立してすらいません。
どうせ大したポジションにしないし、大物っぽいキャラクターデザイン考えるのが面倒だから兜で隠しちゃおう
そんな理由で兜を付けたんじゃないか?と邪推したくなります。
と言うか、一応「邪推」と書きましたが、それ以外の理由が考えられるか?とにかくこの4賢者は魅力の欠片もなく、ひたすらに雑な人物でした。

前作のプレイを前提にしたいのか、したくないのか?

シリーズ物の作品において「前作での出来事」をどう扱うかは毎回の課題だと思いますが、本作はその中でも最悪の部類に入ると思います。

おそらく本作は基本的に「前作をプレイしていない前提」で作られているようで、例えばブレワイにおいてストーリー進行に必須のイベントで関わる人物以外は、ほぼ全員がリンクと出会っていない扱いになっています。
一応は全無視しても進めるが、普通にプレイしていたら何度も関わる人物」も、当たり前のように初対面扱いです。

そして何より、ビックリするほど前作の人物や出来事への言及がない。おそらく「ブレワイ」から数年後の世界なのだから人々の考えはそれほど大きく変わっていないはずですが、前作で散々語られていた英傑については会話中で名前が出ることさえ滅多にない。
それどころか、英傑ダルケルの子孫であり、その能力を受け継いでいるユンに至っては、どういうわけかブレワイで何度も使っていた「ダルケルの護り」を一切使わなくなっており、使わないことに対する言及も一切ありません。英傑の存在について触れたら死ぬ呪いでもかけられたのかな?

まあ、本作があくまで本作だけで完結するように作られているならそれはそれで良いのですが、そうして不自然なほどに前作の情報を秘匿している部分が多々ある一方で、本作でリンクの仲間として活躍する賢者の子孫については「もちろん前作をプレイして知っていますよね?」とでも言うかのように、本作では何の説明もありません。
普通なら「前作ではこんな事があったよね」と過去を振り返る会話やムービーを入れて、前作プレイヤーには懐かしさを感じさせ、本作からのプレイヤーには簡単に関係を説明する展開があるはずですが、本作では本当にそういったものが一切なく、当然のように仲良しで現れて、まるで過去の説明をしないまま仲間として活躍します。

特に本作の賢者の一人であるチューリに関しては、ブレワイのスピンオフ作品である「厄災の黙示録」までプレイしている人にとっては「ついにあいつが参戦!」と感じられるものだと思いますが、ブレワイだけプレイした人から見れば、ブレワイで共に戦ったテバを差し置いて仲間になるキャラクターとして抜粋されたことに納得できる人は多くないでしょう。

言ってしまえば本作は、やたら過去作の情報を伏せて本作だけで完結しているかのように装いながら、結局ストーリーの核心となるキャラクター描写はひたすら「前作で描写した内容」に甘えきっています。
本作のキャラクターが、本作だけでしっかりと魅力的に感じられるか?と言ったら、明らかにノーと言えるキャラばかりです。
個人的に、本作の新規登場キャラで一番魅力的と感じたのはヴィオランでした。単純に美人なので。

何のために「ガノンドロフ」を出したのか

事前情報で、本作に「厄災ガノン」ではなく人間としての「ガノンドロフ」が登場すると明かされたとき、私はかなりストーリー面への期待を高めていました。

良くも悪くも前作のガノンは「邪悪な思念体」くらいの存在で、人と意志の疎通もできない相手でした。まあシンプルに悪そのものとして認識できるのは良いものの、やはり人格や意志のない相手というのは味気ないものです。
それが本作では「ガノンドロフ」としての登場なわけですから、人間としての彼が辿った境遇とか、彼の主義主張、感じてきたものが語られたりするのかと思っていました。

龍の泪のムービー中では、実際にそれが少し垣間見えそうな場面があり、例えば彼が秘石を手にして、ラウルに対し「貴様らが高みから見下し、当たり前ように独占していた神のごとき この力」と発言した場面。
それからガノンドロフが魔物を操りラウルたちに戦争を仕掛けている場面では、彼に協力しているゲルドの戦士の姿が見られた点。
そのあたりを考えると、「実はガノンドロフも元々は普通の王様で、ラウルたちの側にも非があったのでは?」なんて感じられたので、その後のストーリー展開に結構な期待をしていました。
(先述の通りラウルの人格には割と高慢そうな部分を感じたので、その辺りも回収されるのかと思った)

ですが結局その後のストーリーはと言えば「魔王ガノンドロフが全部悪い」くらいの内容で、そのままガノンドロフを倒して終わり。これじゃ何のために人間としてのガノンドロフを登場させたのかさえ分かりません。
個人的に最も期待外れだった点がこれです。

再登場したコーガ様が、ブループリントを手にしたリンクに対して「お前だけ便利な力を手にしてズルい!」と言うシーンは規模の大小こそ違えどガノンドロフがラウルに抱いた感情と同じものだよな、と思うと、ギャグっぽいコーガ様のセリフも中々深いよなあ……なんて思ったりもしたんですが、この内容を考えると多分筆者は何も考えてなくて偶然重なっただけだろうな

ゼルダの復活は流石にご都合主義すぎでしょ

さて、ラストまで遊んだ方はご存知と思いますが、本作のゼルダはマスターソード復活のために龍となりました。そして、永劫に人としての体と意志を失った……はずですが、結局エンディングでは五体満足で復活しました。
前作で例えるなら、「ガノン倒したら4人の英傑もハイラル王も、当時の姿のまま生き返りました」みたいな展開です。

まあ、流石にゼルダが龍になったまま今生の別れとなるのは切なすぎるし、ぶっちゃけ「どうせ復活するんだろーな」とは予想していたんですが、そこは裏切ってほしかったな
せめて前作の英傑みたいに、「霊的な存在として最後に少しだけ人としてのゼルダに戻り、感謝と別れを告げる」くらいの内容なら全く文句はなかったんですが。なまじ前作の英傑が生き返るようなご都合展開がなかっただけに、ゼルダだけこんな都合の良いことが起こる不公平感が不満となります。

個人的に、最終決戦でゼルダの龍と共に戦う展開は本当に熱いと思ったんですよ。「人としての肉体も心も失っても『リンクを助け、魔王を倒す』という最も重要な使命だけは龍の"本能"として残った」……みたいな感じで。
ゼルダじゃなくなっても、確かにゼルダである
それが本当に良いと思ってた所からの、「普通に人間に戻りまーす」なので冷めっぷりが尋常じゃなかったんですよ。

あと、序盤から世界各地で目撃されていた野生の偽ゼルダについても、「まあ普通に考えれば敵の変装とか、魔力で作った人形なんだろうけど、まさかそんな単純なわけないし一捻りある展開になるだろう」みたいに思っていたんですが、結局普通に敵でしたね。それだけかよ。

本作は、前作以上にゼルダ姫を中心に取り扱っていた印象でしたが、ハッキリ言ってそのゼルダ姫関連が一番陳腐でつまらない展開でした。

作り手の一方的な押しつけを感じる

最初の方で書きましたが、私は「ブレワイ」のストーリーは完璧だと思っていたし、その理由は常に「プレイヤーの感じることを計算している」と感じたからでした。その丁寧さがあったからこそ、「王道」であれたのです。

対して、「ティアキン」のシナリオとかキャラクターは、全体的にプレイヤーの考えを考慮せず、一方的に造り手が「ほら、俺の作ったキャラクターを見ろ!魅力的だろ!?」と押し付けてきている感がキツい内容でした。
個人的にその最たる例がシドの許嫁として登場するヨナで、本作で登場した完全新規キャラのくせに「ミファーと同じ治癒能力持ち、誰よりもシドを理解している、シドを支えられる精神力の強さがある、ゾーラの鎧を修復できる、里のみんなにも慕われている、そして作中でいきなり王妃になる」と、お前だけ異世界チート能力者の世界で生きてないか?みたいな人物像でした。

と言うか、シドって女に支えてもらわなきゃ行動できないような弱い男じゃなかっただろ。確かにミファーを失ったトラウマはあったかもしれないけど、それだけで尻込みするような奴ならブレワイや黙示録の時みたいに一人でしっかりと前を向いて戦えてないじゃん。
ミファーを失ったことの辛さなんてとっくに乗り越えて戦っていた。そんなナイスガイなシドが俺は魅力的だと思ってたのに、それが本作になって突然生えてきた異世界チート女の見せ場を作るために突然ウジウジして、女にケツ叩かれて「ほらほら!姉さん女房のヨナって頼れるでしょ!一人じゃ脆さのあるシドくんをしっかり支えられるよ!」ってな具合に扱われたんだぜ。ぶっ飛ばしてやろうか

ヨナ批判については「シドの夢女がキレてる」と若干バカにしたような言い方で扱われているのをよく目にしますが、夢女じゃなくても純粋に「一人でも前を向いて戦える、強いシドが好き」だった人は不満があって当然だろ。

とにかく本作、そういった点も含めて「本作のプレイヤーがどう感じるか」「前作のプレイヤーがどう感じるか」を全然考慮せずに、ただ作者が見せたいものだけを一方的に押し付けてきた感が強い内容で、それがひたすらに丁寧だったブレワイとの最大の違いだったと思います。

今更になりますが、システム的には本当に素晴らしいゲームだったよ。だからこそ、この雑で退屈で不愉快なシナリオが理解できないし、「なぜこんな事になったのか?」という疑念がまた不満に繋がっていくんだよ。
本当にな、面白いゲームだったんだよ。本当だよ。
なのになんでこんなにグダグダと愚痴を書かなきゃいけねえんだ、畜生。

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