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15歳の戦争中毒

小学生の頃、ハリー・ポッターが流行った。
俺が「にゃんたんのゲームブック」を読んでいる隣で、どいつもこいつもハリーポッターの話だ。当然俺も幾度となく読むことを薦められたが、ついぞ読むことはなかった。
理由は簡単で、初めに母親から「この本は本当に面白くて、子供も漫画やゲームなんかより夢中になっている」と、漫画やゲームを排斥する道具のように言われたせいだ。そのせいで書籍自体に罪は無いと理解しつつも、今でもハリーポッターには悪印象が拭えずにいる。

俺の母親は「学校の勉強だけできるバカ」の典型みたいな人間だった。
当時の女性としては珍しく大学まで出ていて、実際に学はあった。おおむね利発で、頼もしい人物だった。ただ、学問の知識があったとて、それは詐欺やエセ科学への耐性があることを意味しない。
厄介なことに母は「自分は賢い人間だ」と自覚的で、とにかくプライドが高かった。だからこそ騙されたときには、決してそれを認めようとしなかった。こんなに賢い自分が騙されるはずはないし、騙されたなんて認めたくない。そういう人物だったのだ。

そして母は、環境ホルモンだとかゲーム脳だとか、当時に流行していたエセ科学を次々に鵜呑みにしては、俺が好むものを取り上げようとした。
俺は母の血を受け継いで利発で頼もしい――つまり、ひねくれた面倒な子供だったので、黙って母に従うことはせず真っ向から反論した。なにせ相手がエセ科学なので、小学生の俺でも言い返すのは難しくなかった。
母は始めのうちこそ理性的に反論するが、いずれ言い返せることがなくなると、いつも同じことを言う。「親に対してその口の利き方は何だ」か、あるいは「だったらこの家から出て行け」の二つだ。
そこまで行かずに母が謝って終わる場合もあるにはあったが、その言葉は常に「あーはいはいごめんねごめんね、もういいでしょ?」と、「子供がぶーたれてるから一応謝って機嫌を取ってやる」程度の考えでいるのを隠そうともしない。
自分が間違ったことを言ったとか、反省をしたとか、そういう考えは一切無いのだ。俺は母のそういう部分が本当に嫌いで嫌いで仕方なかった。

どこの家の子供でも、大人に対する不満は大なり小なり持っているものだ。親に限った話じゃなく、時には親戚だったり、親の知り合いだったり、あるいは学校の教師だったりする。
子供というのは当たり前のように親の扶養下に置かれながら、気に入らないことがあると「大人は汚い」「大人は敵だ」なんてことを口にする。
とは言え、いざとなれば大人が「嫌なら家から出て行け」なんて無敵のカードを切ってくる理不尽な環境に置かれていれば、そうなるのも当然の話だ。
俺はあまり交友関係の広い子供ではなかったが、大人に対する不満を言うときだけは大抵の奴と話が合った。大人とは、絶対的な力を盾にして理不尽を正当化し、子供を一方的に縛り付ける邪悪そのものだった。
何が悪いのかも分かっていないくせに漫画やゲームを取り上げ、炭酸飲料やお菓子をゴミ箱に叩き込み、「これがお前の将来のためだ」と言ってゲンコツと共に退屈な教科書とマズい野菜の煮物だとかを押し付けていくのだ。
俺たちは大人に対する不平不満を語ってひとしきり盛り上がった後は、「自分たちはあんな大人にはならないぞ」と誓っていた。
小学校でも、中学校でも、変わらなかった。
それがもう、15年前だ。

2022年6月24日。誕生日を迎え、30歳になった。
未成年の頃は、歳を取るのが楽しかった。誕生日にはプレゼントが貰えるし、進級、進学、あるいは18歳、20歳以上でなければ禁止されていたものが解禁される。誕生日を迎えることは成長と開放だった。
それが20歳を過ぎた頃になると、もう得るものは何もない。ただの純然たる老化だ。牛乳が消化できなくなって、甘いものや脂っこいものが苦手になる。できる事は何一つ増えず、苦手なもの、できない事ばかりが増える。
子供と呼べる歳ではなくなって久しく、ついに20代ですらなくなった。

20代の俺の人生は、焦燥と誤魔化しの連続だった。
自分から行動を起こさなければ何も生まれない。何もできない。どんどんと不自由になって、いずれ死ぬ。
一日、一日を過ごす度、希望だとか憧れだとか抽象的な、けれど大切なものが少しずつ失われていく気がして、ただそれが怖くて、「何かしなければ」という思いだけが背中に付いて回っていた。けれど、ただ恐怖で無理やり手足を動かしているだけで、何か目標や夢があるわけでもない。
必死に闘って、耐えられなくなりそうで、だから遊んで苦痛を忘れようとする。けれど遊んだら遊んだで、頭の中で「こんな事をしている場合か?」と囁く声が鳴り止まない。何をしても気が休まらなくて、気を休めるための方法を必死に探して、また神経をすり減らす。
そのうち戦う気力も失われてくる。頭の中の声は鳴り止まない。また神経をすり減らす。動かない手足を無理矢理に動かす。そんなことの繰り返しだ。
あっちこっち手を出して、特に何が身に付くでもなく、何のために生きているのかも分からずに時間が過ぎた。
それでも死ぬのは怖くて、みっともなく命を繋ぎ続けている。

このぐらいの年になると「自称社会不適合者」と、「本物」の差が明確になってくる。
はるか昔、漫画とアニメが世界の全てのように語っていた奴も。
一日にネトゲを14時間も遊んで、「俺たち廃人だな」と笑っていた奴も。
いつの間にか漫画やゲームの話をやめて、我が子の成長日記を始めている。生憎と言うべきか、残念ながらと言うべきか、俺は「本物」だった。

取り残されることは、辛くはない。
もともと貧乏人だった俺にとって、世の中には手に入らない物の方が遥かに多かった。
親の金で高価なゲームソフトを何十本も買ってもらい、遊んだゲームの本数を「ゲーム好きの証拠」のように語るドラ息子に苛立ちの目を向けながら、ドラクエ7を300時間も遊んでいたのが俺だった。
両手から溢れるようなゲームソフトも、温かな家族も、無いのが当たり前だったのだ。ただ一つあったのは、あの時の仲間たちとの誓いだけだ。
しかし、その誓いもついに崩れ去った。

かつて「漫画やゲームを差別するな」と共に憤っていた仲間たちが、「YouTuberなんて犯罪者ばかりだ」とか、「なろう小説なんか読んでるのは知恵遅れだ」とか、新しいものをよく知りもせずに、断片的に聞いた情報だけで偉そうに全否定している。
大人の目を盗んで残虐描写や性描写のある漫画を散々読んできて、自分がそのせいで有害な影響を受けたなんて微塵も思っていないくせに、いざ自分が大人になれば「我が子に悪影響があるといけない」と規制を考え始める。
そうして、自分たちが散々嫌ってきた大人と同じことを言い始めた点について、「親の心子知らず」だとか、まるで成長したことで大人の真意を理解したかのように誇らしげに語り始める。
そう、どいつもこいつも、結局はその場その場で自分にとって都合の良い立場に乗っかっているだけだったのだ。

星新一は最高だ。
なにせハリー・ポッターすら読まなかった俺が喜んで読んでいたのだ。俺の母親がすべきことは漫画やゲームを悪質なメディアと非難してハリー・ポッターを押し付けるよりも、もっと早く星新一を教えることだったんだろう。まあ、そんなことは今更どうでもいい。
今の歳になって思い出すのは、その星新一の「約束」という話だ。

ある子供たちが宇宙人の手助けをする。宇宙人はお礼として、いつか子供たちの願いを叶えると言う。
子供たちは、大人が嘘をついたりできないようにしてほしいと言った。
時が過ぎて、子供たちが大人になった頃。ようやく宇宙人が子供たちの願いを叶えようと地球にやってくると、でっぷりと太った大人になった"当時の子供たち"は口を揃えて「余計なことはするな」と言った。

まあ、大体そんな話だった。
今まさに、そうなってる。汚い大人たちに憤っていたはずの子供たちは、どいつもこいつも汚い大人に成り下がった。

泣こうが喚こうが、あるいは何もしなかろうが、時間は常に同じ速度で流れ続ける。時間が流れて、自分が生きた時代が終わっていく。
「サモンナイト」シリーズは自らの名に泥を塗り続けて無様に滅んだ。
「ドラゴンクエスト」の公式は、ドラクエ7の物語を真剣に読み込んで心を打たれた人間そっちのけで「種泥棒」なんて不愉快なネタを二度も三度も執拗に繰り返すのが面白いと思い込んだバカに乗っ取られた。
子供の頃に最高のワクワクを与えてくれたエンターテイメント映画の「トイ・ストーリー」は、エンターテイメントそっちのけで政治思想を押し付けるプロパガンダ映像に成り果てた。
他にも、受け入れがたいことは数え切れないほどある。それでも、俺が受け入れようが受け入れまいが、出た作品も、世の中も、何も変わらない。

誰だって、自分が産まれた時代こそが一番居心地が良いんだろう。
けれど自分と共に生まれ、自分と共に育ってきた文化が、自分より先に死んでゆく。そして、誰だか知らない奴が幅を利かせ始める。
そんな新しい時代を生きるうち、ある人は漫画やゲームが好きな子供から我が子の成長を見守る親になり、ある人は嫌っていた大人に成り下がり、そしてまたある人は、自分が産まれた時代に必死にしがみ付こうとして、新しい時代を否定し続けるんだろう。

「流行を追いかけるなんてくだらない」と言って、社会から孤立しても自分を貫き通そうと誓い合った奴も、いつしか一人称を「ワイ」に替えた。
そして、コミュニティで馴れ合うために定型句のスラングをひたすら連呼するだけの九官鳥として、今は同じ九官鳥同士で仲良く過ごしている。
それだって一つの幸せの形かもしれない。それでも、全く憧れはしない。

結局、どう生きようと時間の流れなんてものは何一つ変わりゃしない。
中島らもは俺が知ったときには既に死んでいた。大槻ケンヂはまだ健在だが、検索候補に「若い頃」が出てくるようになった。
マイケル・ジャクソンは俺がファンになってから程なくして死んだ。
臼井儀人が死に、やなせたかしが死に、大塚周夫が死に、すぎやまこういちが死んだ。
俺の母親も死んだ。

俺は30歳になった今も、汚い大人たちと戦い続けている。
誰もが卒業して、からっぽになった、あの日の中学校の中で。


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