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【最新作云々㊷】猫の世界的地位を向上させた稀代のイラストレーターが生涯抱え続けたトラウマと愛と稚気... 人生を生きるにはピュア過ぎた男の受難の映画『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
 猫といえば、アニメ映画版の『銀河鉄道の夜』を観たままに宮沢賢治の原作でも登場キャラクターは猫だと思い込んでいて中学生頃に国語の先生に指摘されて恥をかいた覚えがある、O次郎です。

作中に人間も出てくるから余計に錯誤して覚えてるのよね…。
このどこか無機質な瞳と雰囲気がちょっと恐ろしくもあり。
ちなみに、原作本を夏休みの読書感想文のテーマにしようとしてその難解さに
挫折している級友が結構いましたな。( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

 今回は最新のイギリス映画『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコです。
 19世紀末から20世紀にかけて、をモチーフにしたイラストで人気を集めたイギリスの画家ルイス・ウェインの生涯を描いた伝記映画。
 その類い稀なる絵の才能と瑞々しい感性でとみに独創的な猫のイラストを膨大に生み出すも、その一方で度重なる親族の死や生活苦、さらには心の病が重なって幼少期のトラウマに苛まれながらも我が道を貫いた波乱万丈のその生涯。
 動物愛護にも尽力し、特に猫の社会的地位を向上させたとして評価されていますが、その人となりは子どもそのものであり、言い様の無い孤独から常に愛に飢える痛みと苦しみに満ちた日々を過ごしていたようです。
 己のイラストで以てして厳しい世間となんとか対峙してきた彼にとり、自らの描く絵は如何なる心象と境遇の中で生み出されたものだったのか、理論的に紡ぎ出すよりもそのショッキングな心象風景を共有することで我々を彼の愛と孤独の地平へ誘ってくれる感性重視のアート作品に仕上がっています。
 猫好きな方、カンバーバッチ好きな方はもとより、物語筋よりも感覚に訴えかける映画に惹かれちゃう方々、鑑賞の参考までに読んでいっていただければ之幸いです。ネタバレ含みますゆえご容赦を。
 それでは・・・・・・・・・・・・小鉄!!

じゃりン子チエ
90年代に再放送で観たと記憶してますが、"観ていても何が面白いのか
サッパリ解らないけどなんでか毎回観てた"という印象です。
関西出身だからといって必ずしもこうした下町人情不条理みたいなものが染みるわけではなし…。
この猫たち、二足歩行なうえに普通に喋るけど人間とは会話出来ないのよね。
声充ててる声優さんが渋いおじさんばっかりなうえにビジュアルもずんぐりむっくりですが、
それゆえに"可愛くないのが可愛い"という。(=^・ω・^=)



Ⅰ. 作品概要とルイス=ウェインについて

 伝記映画ということでルイス=ウェイン(演:ベネディクト・カンバーバッチ)の晩年までを描いていますが、幼少期については触れられず、成人後に教師の職から転じて新聞社嘱託のイラストレーターとなるところから物語が始まります。
 名家の長男、それも成人頃に父親を亡くしたとあって、5人の妹たちと母を養っていく責任が圧し掛かります。伝手を辿って自分の得意とするところの絵を生かせるイラストレーターを得るまではまずまず周囲の理解を得られていたのですが、妹の住み込みの家庭教師のエミリー(演:クレア・フォイ)と出会ったことからその波乱の転機が訪れます。
 序盤はこの二人のまるでおままごとのようでありながら、それゆえにピュアでいじましい恋愛模様が観ている側に潤いを与えてくれます。女性経験が無いゆえに彼女の部屋をノックもせず開けてしまったり追い出されても後ろ髪を引かれる思い出ウロウロしたり、勇気を絞って自身のコンプレックスである口唇口蓋裂を隠す髭を剃って彼女にありのままの自分を晒し、妹たちの教育を口実にオペラにデートに誘う…。
 すでに大学も出ているような年齢なのですが、まるで少年のような恋を演じ、それに応じるエミリーも彼よりも10歳も年上なものの彼の初心なスキンシップに歩み寄るようにゆっくりと距離を縮めます。
 身分違いのそれも女性の方が年上、という当時としては眉を顰められるような道ならぬ恋ではありますが、この二人の場合は禁忌ゆえにより一層燃え上がるのではなく、世間体抜きにただ純粋にお互いがお互いを離れがたく感じていく過程がなんとも自然で作為的でなく素敵です。
 思えばこの時点からこの二人は浮世離れの傾向があるということでもあるのですが、なればこそ混じり気無しの愛がそこに有ります。

自宅ガラスに自分の世界を縦横無尽に描きながら、その向こうにエミリーを見つめるウェイン。
公図からすれば少年の出歯亀根性と相違無いのですが、兎にも角にも自らの絵を
現実への働き掛けの端緒とするところはこの頃より一貫しています。


 そして周囲や何より家族の反対はありつつも二人の愛と決意は深く、そのまま当然の流れとして結婚。
 ロンドン北部の邸宅で夫婦水入らずの生活を送りつつ、仕事の絵は内外で高く評価されて時には外国にも出張し、好きなものに囲まれ好きなものに耽溺して過ごします。

間違い無くこの時期がウェインの人生の最良の時でしょう。
しかそそれゆえにこの後、あらゆるものを不幸にも失っていってしまう彼は
演繹的にその時点でベターな生き方と幸福を見出し得ず、
終生をかけて帰納法的にこのベストな日々に心だけでも必死に帰ろうと藻掻き続けるのです…。
二人でも幸せな時間の記憶を出来るだけ強く脳裏に刻み付けておく。
彼女との最後の日々を過ごすことも彼にとっては創作だったのでしょう。

 そしてそれからわずか3年後、エミリーはガンで早々と残世を去っていってしまいます。 
 その経緯について本作では直接的にエミリーの遺体を観客に見せず、ある朝彼女のベッドに朝食を運んできたウェインがその光景を拒否して別の部屋へ後退りすることで表現しています。焦りに焦って煙草に火を点けられず悶えるウェインがなんとも悲痛です。 もともとは彼女の死に顔を挿入する予定であったようですが結果的にオミットされたようで、それに合わせるようにそれ以前の彼女が病魔に侵されていくその姿も敢えて強調はされず、それが辛い現実を忌避するウェインのピュアさと稚気そのもののようでなんとも巧みです。  
 そのウェインのピュアさと幼さを誰よりも愛しつつもそれが彼のその後の人生の大きな枷になると見抜いていた生前のエミリーは、死を目前にして彼に約束をさせます。

それは生涯を掛けて愛を以て猫を描き続けること。
もともと彼は人物画は得意とするところではありませんでしたが、
二人が邸宅の庭先で拾った迷い猫をピーターと名付けてから
彼を描くウェインの絵の愛に感得。
自分というパートナーを失った後、ウェインが過酷な現実と向き合うフィルターが
無くては生きていられないと憂いた彼女が彼の猫への愛にそれを託したのでしょうか。

 ある意味で彼女の目論見通り、ウェインは彼女の死後も精力的にイラストを描き続けます。愛(彼は作中では自分自身ではそれを"電気"と呼称していますが)無しでは厳しい現実を生きていけない彼が、少なくとも表面的には彼女の死を乗り越えたわけです。
 しかし他方で彼女の意に反して、ウェインの思考は幸せだった過去へ、辛い現実を取捨選択できる自分の内奥へと沈んでいってしまいます。作中で「不思議なことに自分の悲しみが深いほど作品が生み出せた」という自身のモノローグが有りますが、それゆえに自ら悲しみを深くしていった、自ら自分を追い込んでいってしまったという面も多分にありそうです。

世界的な高い評価も彼の孤独には何の癒しにもならず。
それどころか並々ならぬ"生みの苦しみ"を理解せずにその彼の作品を
誉めそやす世間の声は彼にとり自分を追い込む一方だったのかも。

 そして自身の創作の源泉であり世を生き抜くうえでの師匠でもあった愛猫ピーターが死去。
 それすらも創作活動の糧に製作に邁進しますが、それが同時に彼の心を確実に蝕んでいきます。 

その最たるものが度重なる悪夢。
先述のように幼少期の記憶については触れられていませんが、
嵐の海の中を置き去りにされ、母と父の助けを求めて泣き叫びます。
人生で一番幸せだったエミリーと愛猫ピーターとの日々に心を旅立たせる中で
副作用のごとく幼少期のトラウマにまで心象が振り切れてしまったようです。

 現実に於いてはホテルの自室で両親の助けを求めて喚きながら失禁する中年男性・・・・・・それを見て肝を潰す掃除婦の姿が世間の"正常な"反応であり、もう彼の煩悶を理解し得る周囲の存在が居ないのです。
 特撮を用いて実際に水底に沈んで亡き藻掻くカンバーバッチの演技は感動的であり、作中もっとも苦々しいシンパシーを伴うシーンでもあります。

 その後、心の病が進行して晩年は療養所へと入るわけですが、それでも彼は猫を描き続けます。とどのつまりそれが彼にとっての衣食住と同じ生きるということとイコールなのでしょう。
 彼の母は彼の中年期に他界しますが、彼の5人の妹たちはその後も困窮生活をつづけながらも皆独身のまま生涯を終えたそうです。当時としては非常に珍しい筈で、ウェイン自身の格差婚や彼の経済力の乏しさ、無計画な散財がその要因として非難される向きもあったのでしょうが、そもそも彼はいわゆる"一家の大黒柱"を担うにはあまりに不適当だったのでしょう。
 もちろんそれは何も彼が人非人であったというわけでは決してなく、つまりは彼の才能をきちんと社会生活に還元するお金にして管理し、製作だけに没頭させてあげられる青年後見人のごときパートナーを持ち得なかった不運でしょう。
 気性が穏やかでだまされやすく、作品を安く買いたたかれ、権利関係は取引相手に任せっきりで割の悪い契約を押し付けられることもあったということですが、悪意ある世間との防波堤になるべき存在が、本来は伴侶のエミリーがその役割を担うはずだったのでしょうが、その不幸な死後にはそれを代わりに担う友人知己が居なかったのかと口惜しい限りです。

彼の当初の雇い主だったウィリアム・イングラム卿(演:トビー・ジョーンズ)が
その任を担ってくれたらとも思ったのですが。
彼のコンプレックスを理解してくれる同性の友人が多くはなかったのも
結果として彼の孤独を加速させたのでしょう。
とどのつまりは彼の後半生は愛に満ちた妻と猫との日々への反芻。
傍目には彼は衰弱し追い詰められていく一方だったのかもしれませんが、
当人にとって本当に不幸せだったのか否かは規定することは出来ないししてはいけないでしょう。


Ⅱ. おしまいに

 という訳で今回は最新のイギリス映画『ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ』について語りました。
 作品を観て反芻してあらためてその特異な夫婦関係に鑑み、想起させられたのが古尾谷雅人さんと鹿沼えりさんの夫婦の姿です。

奥様によると、古尾谷さんはあくまで硬派な役柄やシリアスな役柄などにこだわり、
軽薄な作品に出ようとせず、敬愛する松田優作さんの死によって俳優としての将来像も
見失って苦しみ続けた、とのこと。少年期には継母と馴染めず孤独を屈折させていたとのことで、以前テレビインタビューで「彼の母になろうと覚悟を決めた」と語られてた姿が胸に残りました。

 エミリーの慈しみの深さとその覚悟に頭の下がる思いもする作品でした。
 月並みかもしれませんが、ウェイン自身も自分中心の世界の中で自由気ままに生きるがゆえに他人と協調して世界を拡げていくことはなかなか難しい、猫のごとき人物だったのでしょうか。
 今回はこのへんにて。
 それでは、どうぞよしなに。




 


猫のおはなし、ということでウチのにゃんこたちでございます。
・・・・・・にゅふ~っっ(=^・ω・^=)(=^・ω・^=)
そしてこの夏ごろの夜中に近所の公園走ってた時に見掛けた野良の何某をついつい一枚。
野良猫は、5mぐらい先を横切ってる野良猫をこちらが発見して「あっ、猫だ…」とジッと見ると
向こうもコッチを見てきて、こっちが通り過ぎておもむろに振り返るとまだその野良猫が
ジッとこちらを見てる…というのがなんとも可愛らしかったり。
田舎の実家に居た頃は夕飯が焼き魚だったりすると軒下からこっそ~り忍び込んできたもので。₍˄ุ.͡˳̫.˄ุ₎ฅ˒˒

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