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【最新作云々58】昨日の友が今日の敵になるのは理不尽か、それとも必然か... 二人の男の断絶を通してガラパゴス的モラトリアムの是非を問う映画『イニシェリン島の精霊』

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。
 昨日朝、会社の近くの病院で定期検診を受診してきたのですが、問診を担当してくれた年配の男性の先生が「理想的な数値だね!・・・遺伝の要素も大きいから両親に感謝だね!」「ゆっくりな心拍、素晴らしいね!自分でも聞いてみて(聴診器を渡される)・・・まるでアスリートの心臓だよ!」とやたらと患者を持ち上げる手法だったので面食らいましたがやっぱりそう言われて悪い気はしない、O次郎です。

加えて「"アッカンベー"やってみて!」とも言われて
この貧血チェック方法も教えていただきました。ふむふむ。(´・ω・`)

 今回は最新の洋画『イニシェリン島の精霊についてです。
 舞台は内戦に揺れ動く1923年アイルランドの、紛争などどこ吹く風といった一見のどかで平和な架空の島“イニシェリン島”。
 この平和で島民全員が顔見知りの小さい島で、純朴で陽気な中年男パードリックが初老の親友コルムにある日突然絶縁を告げられ、そして…という筋立て。
 "国内での政治的対立"という、ともすれば非常にタイムリーな問題を背景として扱ってはいますが、その実、二人の男の諍いを通してモラトリアム的社会引いてはモラトリアム的関係性の欺瞞と脆さを衝いた寓話的面白さのある傑作だと思います。
 予告編等で本作を知ってそのパッと見での話の矮小さや背後の難解さを感じて敬遠された方々にこそ読んでいっていただければ之幸いでございます。
 なお、いつも通りラストに至るまでネタバレ含んでおりますので、その点はあらかじめご了承くださいませ。
 それでは・・・・・・・・・・・・・・"VB"(バージン・バリウム)!!

一般的に健診でのバリウム検査は35歳から、ということで数年前に
バリウムデビューのところだったのですが、その一年前ぐらいに大腸炎になった絡みで
先に胃カメラデビューしてしまいました・・・あの検査後も終日食道に
管の"ゾワッ"とした感じが残るのがなんともかんとも。(゜Д゜)
かといって一方でバリウムはミルク質でもリンゴ味での微妙なうえに
検査後の体外排出のための下剤でヒーヒー言う羽目になるのでそっちもアレなんだけども。(´・ω・`)



Ⅰ. 作品概要

(あらすじ引用)
 
1923年アイルランドの小さい平和な孤島・イニシェリン島に暮らすパードリック(演:コリン・ファレル)はある日、親友のコルム(演:ブレンダン・グリーソン)から突然絶縁を告げられる。
 長年友情を育んできたはずだった彼が何故突然そんなことを言い出したのか理解出来ないパードリックは、賢明な妹シボーン(演:
ケリー・コンドン)や風変わりな隣人ドミニク(演:バリー・コーガン)の力を借りて事態を好転させようとするが、コルムから「これ以上自分に関わると自分の指を切り落とす」と恐ろしい宣言をされてしまう。

 隣人ドミニクが「12歳かよ…」と評したように最初はただ機嫌を損ねているだけかと過去の己の暴言を謝罪したり一旦は近付かないようにするパードリックでしたが、コルムの意志は固く、彼にとり退屈で単調な羊飼いの生活の中で何の前触れも無く理由も解らず失った楽しい時間を取り戻すべく足掻きまわることになります。

お前は家畜の糞の話を二時間もした」と、
パードリックとの雑談が如何に実りの無いものかを説くコルム。

 親友から突然に絶交を告げられたパードリックは寂しさを紛らわせるためかミニロバのジェニーを家に入れて可愛がるものの、同居する妹のシボーンはそれに苛立ちを募らせて兄の不惑の原因であるコルムのもとを訪ねて事の真意を問い詰めます。
 それに対してコルムはパードリックを「ヤツは退屈な存在」と言ってのけますが、シボーンは「そんなのは以前からわかってたはずで、島の男全員同じだ」と言い返し・・・
 コルムはさらにシボーンに「あんたなら理解できると思うが」と前置きしつ、「自分の余生は音楽や作曲に費やしたいため、パードリックとのバカ話の時間は無駄でしかない」と。
 
 シボーンは中々に思索深い人間であり、島民では珍しく読書を嗜む趣味があり、それに対してパードリックは普段の彼女との会話でそれについて尋ねたりすることはあるものの自分も読書をしようとか芸術を嗜もうとかいった発想は有りません。
 さらには上述のロバを家に入れる件からもわかる通り自分なりの聖域や尊厳というものに頓着が無く、時おり対岸から聞こえる砲撃音を耳にした際にも「せいぜい戦え、何の戦いか知らんが」と呟くのが象徴的なように島外の情勢について知ろうとも知りません。

 ドミニクの父である警官のビーダーは粗暴な性格で癇癪からドミニクを折檻し、堪りかねて逃げ出した彼を一晩自宅に泊めたパードリックにも言いがかりをつけて殴りかかるものの、コルムが割って入って傷を負ったパードリックを自宅まで送ってくれます。
 がしかし、やはり会話はしてくれません。パブで若者たちとセッションをしたり作曲の話しをしたりと教養のある一時を楽しむコルムに対し、不満を溜め込んだパードリックが盛大に絡み酒しますが、とうとうその翌日にコルムは昼食をとるパードリックとシボーンの自宅の玄関扉に己の切断した指を叩き付けてきました…。

 指を一本喪っても相変わらずパブで作曲を続けつつ島外の若者と談笑するコルム。嫉妬に駆られたパードリックは明くる日にその若者に「君の父親が車にはねられたらしい」と嘘を吐き島から追い返してしまいましたが、いつも卑屈で島のみんなから馬鹿にされていたドミニクにその経緯を武勇伝のように話すと、彼はハッキリとパードリックに対して失望したそぶりを見せます。

曰く、「あんただけは他の島民と違って意地悪じゃないと思ったのに…」と。
娯楽らしい娯楽が無く、向上心にも乏しい大概の島民たちは他人の不幸話や
他人をからかったりして憂さを晴らし、自分たちより高みにいる他人は
異物として排除しようとするのです。

 悪いことは続くもので、近々夜中にベッドの中で訳も解らず涙を流していた妹のシボーンが「島を出ていく」と言い出します。
 コルムのみならずドミニクにも愛想を尽かされ、そのうえ妹が居なくなった自宅で寂しさMAXのパードリックはまたもや自宅内にヤギやロバを入れて紛らわすも、立て続けにコルムが自宅周囲に叩き付けた他の指の一本を咥えて喉に詰まらせたことでロバのジェニーが死んでしまい、いよいよもって二人の諍いは収拾不可能の様相を呈します。

 そうして二人が良くパブで待ち合わせしていた昼2時にコルムの家を燃やすことを宣言し、遂にはそれを実行したパードリック。
 自身は邸外に逃れていたコルムは海岸に佇み、やってきたパードリックに対して「これであいこだ。終わりにしよう」と言うものの、対するパードリックは「どちらかが生きてる間はあいこではない。終わらない方がいい戦いもある」と告げて物語は幕を閉じます。

周囲の人々の懊悩の背景に思いを馳せ自省することを学び得ず、
結果として彼らからの信を失ってしまった男。
そんな彼にとって目の前の諍いにでも全力で執着するしか
生きる甲斐が無くなってしまったのかもしれません。


Ⅱ. 人が人と縁を切る、ということ

 アイルランド内戦は英愛条約アイルランド自由国建国を巡って、アイルランドで行われた内戦であり、独立か帰属かで昨日までの仲間同士が敵対関係となった経緯が有りますので、本作での物語推移も多分にそれを意識してのものだと思いますが、"内戦"といった大きなモチーフが無くともある日突然に人と人が縁を切る、ということは十二分にあり得ます。

 例えば、同じ会社の同僚たちで集まった飲み会仲間あるいは趣味サークルなんかでも、そこから誰かがある日唐突にメンバーから抜けていってしまうことは往々にしてあるでしょう。
 それは別に誰かから強烈に侮辱を受けたとか決定的な原因ばかりとは限らず、むしろ本人にしか判り得ない理由でゆっくりとその気持ちが生まれていくことが殆どのはずです。そのメンバー間で交わされる他愛無いいじり合いの会話が苦痛だとか、毎回同じことの繰り返しで飽きてしまったとか。

 これがもしティーンエイジャー同士であれば再団結の可能性は十二分にあるでしょう。"意見の合わないところやお互いに言ったり言われたくない言葉は打ち明け合ってより良い関係を築こう"と歩み寄るのはそれはそれで素晴らしいことです。
 しかしながら仕事人となれば幸か不幸か余暇の時間は少年期に比べて格段に少なくなっている筈で、余計なことに手間暇を掛けたくありません。限られた余暇の時間は自分と感性の近い気の置けない仲間とだけ付き合えばよく、そこで嫌な思いをする瞬間が有ったり自分にとって無意味に感じられるようになったりすればそれは本末転倒というものです。

 コルムは島での平穏ながら変わり映えのしない生活の中でゆっくりと己の老いや島外での砲弾の音から想起される命の有限を悟り、そしてある日、たとえ楽しくても何も生産性の無い毎日に見切りをつけて"作曲"という形で自分の人生の証を立てようと決心したのでしょう。

かといって、パードリックや彼と同じような島民たちを馬鹿にするような
態度は感心したものではありませんが、敢えて彼らに敵意を向けることで
心地良いぬるま湯状態への未練を断ち切る意味もあったのかもしれません。

 シボーンにしても同じで、このままろくに己の知識欲も満たせず、尊敬できるパートナーを見つけての家庭も持たずに兄の世話をしながら島のモラトリアムの中で老いていくのは耐えられなかったのでしょう。
 彼女の諭さをよく理解していたコルムも折に触れて彼女に島を出るよう助言しており、彼女は指を次々に切り落としていくコルムの狂気に絶句しながらも、そうまでしなければ島内の言わば無知のまま楽に悩まず生きていける同調気分に抗しきれない危険性を心底感じて実家と肉親への未練を断ち切ったのでしょう。

 「たまには帰ってこい」というパードリックの言葉に首を振らず、後に手紙で島外での暮らしの素晴らしさを書きつつ彼にも"手遅れになる前に"島を離れるよう促したのはそういうことの筈で。

 ドミニクは終盤に海岸で溺死体で見つかってしまい、その原因は事故であろうと推察されていますが、もしかすると自死だったのかもしれません。
 普段からその鈍臭さゆえに親や周囲の島民たちから馬鹿にされていた彼ですが、なればこそ島の不健全さを誰よりも敏感に感じて憂いていた筈であり、そんな中で掛け値無しの善人だと信じていたパードリックすらも嫉妬深い俗物であると判ったうえに、秘かに思いを寄せていたシボーンからやんわりとながらも拒絶されたとあれば、人生に絶望するのもむべなるかなというものでしょう。

 最初の会社同僚仲間の話に戻りますが、そのサークルでの集まりが自分にとってどこか楽しめないものになった時点で気兼ね無くフェードアウトすれば良いのであって、それにもし残ったメンバーが「みんなの空気に水をさした」と非難するとすればそれは筋違いでしょう。
 ただ、もしその活動が自分にとって低俗とか無意味に感じられたというのであればわざわざそれを周囲に告げる必要も無く、それはあくまで自分にとって合わなかっただけであって見下げるようなことは避けるべきでしょう。

本作中に於いても、ある日向上心を見せた誰かを応援し、
"自分も"と続くような気分が島内に有れば
あるいはこうした悲劇は避けられたのかもしれません。

 また、本作に於いて特に個人的にゾッとしたのが、刺激的な噂話を求める島民たちの姿です。
 僕は関西の片田舎出身なのですが、毎晩仕事から帰ってきた父が母と「○○社の代表の息子さんは仕事をお姉さん夫婦に任せてブラブラしてる」「△△さんの旦那さんはよっぽど野球が好きみたいで、テレビ中継が終わったら車庫まで出て来て車のカーラジオで続きを聴いてる」
といった他人の生活の盗み見合いのような話をしているを見るにつけ"田舎って嫌だな…"と子どもながらに思ったものです。
 もし逆の立場であれば自分の一挙一動が他所の家庭の酒の肴にされているということで嫌に決まっているのですが、"そういうもの"として消費し消費されるのを許容する気分が一度形成されてしまえば引き返せないのもまた事実。

自分の聖域を持たず他人の聖域も認めない人間はもう、
自分より下の存在を探そうとしてしまうわけで。

 表面的には戦争のような非人道的行為とは無縁の、誰もがのんびりと穏やかに暮らせる自然豊かなユートピアのような島の生活ながら、そこで何らかの"気付き"を得た人が何かを成し遂げたりそこから抜け出すことが如何に困難かを暗に語るホラーでもありました。



Ⅲ. 終わりに

 というわけで今回は最新の洋画『イニシェリン島の精霊について語りました。
 あらためて"赤信号 みんなで渡れば 怖くない"という類の恐ろしさを感じます。また言い換えれば、"無知の自覚と知ある無知"を説いた作品でもあるかもしれません。

また、ドミニクの死に関しては自分としては
黒澤明監督の『どん底』(1957)のラストを思い出したりもしましたが、、、

 ともあれ、楽しい時や楽をしている時にふと胸に去来する不安感は大事にしないといけませんね。
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。




冒頭のバリウム話の続き。
考えてみればハーネスもなんも無しでひっくり返った状態で
姿勢変えたりとかなかなかアクロバティックなことを繰り返すわけで。
ベッドから落っこちちゃったらえらいことだし、年齢上限とかあるんだろうか...。

  


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