【趣味人噺④】(続篇)"ラジオの帝王"が語っていた『まんが日本昔ばなし』の強烈エピソードを映画に喩えてみよう、その2
結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。(*´艸`)
小学生の時、身なりは到って普通ながら独特のお上品な言葉遣いの女性の先生がいらして、彼女が学区内の他校に赴任された後、他の先生から「実はあの先生のご先祖様は豊臣秀吉が太閤検地でこの地方を訪れた際に案内役を務めて、その褒美として相当の土地を賜って大地主の家系になった」という話を聞いて変に納得してしまったことがある、O次郎です。
先週、同じテーマで記事を書いたのですが、おかげ様で結構な数の方にご覧いただけたようですので、もう一本書いてみようと思います。
今回も、『まんが日本昔ばなし』フリークである"ラジオの帝王"こと伊集院さんがBSラジオの『月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』で過去引き合いに出されたエピソードについて、自分なりの感想を語りつつ、映画好きとして"あの作品っぽいな~"と想起した作品を添えようと思います。
短編作品オムニバス形式、という繋がりでいえば、未だに定期的にスペシャル特番として放送されている『世にも奇妙な物語』はホラー話とほっこり感動話が半々ぐらい、それらに加えて落語のようなコミカルな話がたまに有る、というような具合です。
一方で『まんが日本昔ばなし』はそれらに加えて意味のよく解らない話、オチの無い話も相当割合含まれており、その不確かさ、不条理さがまさしく民間伝承という感じがして独特の世界観の一翼を担っていたと思います。今回言及するエピソードもまさにそうした捉えどころのない物語を含んでいたりするので、本放送世代もそうでない世代もノスタルジーに浸りながらのんびり読んでいただければ之幸いでございます。
それでは・・・・・・・・・・・・スカーレットニードル!!!
Ⅰ. 伊集院さん'sセレクションから"さらにさらに"セレクションした5本
一. 「三本枝のかみそり狐」(1991年8月31日放送)
伊集院さんが”ヤバすぎてもう一度観る気にならなかった”と戦々恐々とされていた話。ちなみに『まんが日本昔ばなし』には”2回アニメ化されているエピソード”が相当数有るようで、伊集院さんが記憶されていたのは2回目のバージョンの方のようです。
一回目は「かみそり狐」というタイトルで1976年9月25日放送だったようですが、リメイク版の方が残虐描写が際立ってるって相当よ・・・。
リメイク版はとにかく伊集院さんの仰る通り、主人公に孫を殺された老婆が怒り狂う姿のビジュアルが常軌を逸しています。顔が一回転して鬼の形相に変貌する、という表現も最高にキレてます。
また、主人公が狐だと思っていた孫の赤ん坊を囲炉裏の火に投げ込むのも強烈です。赤子の鳴き声をバックに炎の中で赤子が瞬時に骨に…。
冷静に考えると、我が子が焼き殺されたのに悲鳴を一言も上げない母親の姿はおかしいです。(目を見開くカットはこれまた端的で強烈なのですが。)しかも孫を殺された祖母よりも我が子を殺された母親の方が恨みはより強いハズで、復讐のために主人公を追い駆けるにも老婆よりも母親の方が体力が有って合理的ですが、それを言うのは野暮ですね。さすがに殺人を犯して呆然とする主人公が気付けようもなし、ここは素直に怒り狂う老婆のビジュアルの力に注力したスタッフの演出力に敬服すべきでしょう。
ちなみに本作の演出の小原秀一さんは当時のスタジオジブリやGAINAX、サンライズの名だたる作品の原画も担当されていたようで、まさに乗りに乗っていた時期のアニメーターの力がリメイク作品に類い稀なる執念を注ぎ込んだのかもしれません。ラストの狐の体色が赤いのもニクいですね。
物語としては、妖怪である狐が近隣で一番信心に疎い人間を殺さない程度に目に見えて凄惨な形で脅し、彼自身も彼の周囲もよりいっそう狐を恐れた。"狐は人間の犠牲を最小限に抑える形で恐怖を煽り、その人間たちの恐怖心で妖力を保った"と考えれば、人と妖怪のこれ以上ないぐらいの理想的な共存共栄のモデルケースを示しているのではないでしょうか。
〈想起された映画〉『八つ墓村(1977)』
"鬼の形相で追い駆けられる+老婆"といえばコレでしょ、ということで。
小生、リアルタイム世代ではないですが「祟りじゃ〜っ(`Δ´)」はテレビ再放送かなんかで知ってて幼少期に真似しましたな。
二. 「正直庄作の婿入り」(1981年4月18日放送)
伊集院さんが”こんな哀しい話ある?!”とか”(NDSのゲームの)ラブプラスに繋がる話”と評されていた話。
そしてなんと、演出が『装甲騎兵ボトムズ』等の硬派なロボットアニメで有名な高橋良輔監督!
とりあえず思ったのは、主人公の庄作さんのビジュアルが手塚治虫さんチックですね。丸い鼻の感じなんか、いかにも”自分の画は記号でいい”と割り切られた後期の先生のそれらしく。
そして地味に凄いのが徹底したコントラスト。
毎日一人寂しく晩飯を食べるながら、自分のところに嫁が来てくれることを半ば諦めそうになりながら、「いけんいけん。お地蔵様にお願いしておきながら自分の方から諦めておったんじゃあ申し訳が立たん。それこそ罰が当たるというもんじゃ」と思い直す庄作さんの実直さ。
対して、庄作さんが山から担いで降ろそうとした薪や、苦心して掴また鮒を騙して横取りした村の若い男女のいじきたなさと、顔立ちは整っていながらも生気の無い目。
さらには、幻想の結婚式へと庄作さんを誘う狐の妖艶さといじましさ。
伊集院さんはラブプラスに喩えていましたが、私としては”「自分にはキャバクラや風俗がある!」と刹那的な享楽に居場所を見つける中年男性”に見えました。狐の描き方が桃屋の缶詰や黄桜の焼酎の水墨画のCMテイストだったのも色っぽい幻想感に拍車を掛けているかもしれません。
〈想起された映画〉『砂の女』
人間の順応力と生命力、と言ったら言い過ぎか…。
岸田今日子さんは失礼ながら世代的に晩年の妖怪じみた役どころしか知らなかったので、本作での激しい媚態は衝撃でしたん。
三. 「雷さまと桑の木」(1976年4月10日放送)
伊集院さんが”作中やたらと「父親が5年前に死んだ」ことが強調されてるけど話の筋に何にも絡んで来ない”とツッコミを入れられていた話。
そして伊集院さんが「ジャックと豆の木+浦島太郎」と評されていましたが、たしかにそんなテイストですね。
歌で在りし日の父親を歌うだけでなく、父親との思い出のシーンまで途中に挿入されているのでやはり父親の話だと考えてみると、父親は男の子が出会った雷様ではなく、桑の木に生まれ変わったのかもしれません。恵みの雨を村に降らせる雷様と男の子との出会いの橋渡しをしていますし、ラストで雲から落ちてしまった男の子を桑の木が受け止めて助けています。
がしかし、「宴会はいつまでもいつまでも続きました。」というモノローグが有るように、浦島太郎的に考えれば、雲の上と地上では時間の流れが違っていて、男の子が雲の上で楽しい時間を過ごす間に既に地上では相当の時間が過ぎてお母さんは亡くなっていたかもしれません。ラストでは夜半の男の子が住んでいた家に明かりが灯っているだけで、実際お母さんの姿そのものは出てきません。
もしくは男の子が雲の上の世界に辿り着いた事自体が、男の子も亡くなってしまった事の暗喩かもしれません。歌の歌詞では
〇"父ちゃん死んだの5年前" → 男の子の回想での生前のお父さんと遊ぶ5年前の自分自身と、今現在の男の子との容姿に変化が無い
〇"それから母ちゃん泣き虫だ" → 夫に続けて息子も亡くしたことで、息子の幻影を見ている可能性も
と読めなくもないです。
どうとでも解釈出来る、まさに夢うつつのお伽噺然としたお話です。
〈想起された作品〉『無敵鋼人ダイターン3』
"父親への強い思慕の情が有る主人公"と"家の窓から明かりだけが漏れているラストシーン"繋がり、ということで。
映画ではなくテレビアニメですが…。( ^∀^)
家の窓に明かりが灯っているラストシーン、というとどうしてもコレを思い浮かべてしまうのでご容赦をば。
四. 「安珍清姫」(1977年7月30日放送)
伊集院さんが奥様である篠岡美佳さんから聞いて初めて知った、というメジャーな昔話の一つ。奥様はこの話のルーツの和歌山県出身なので当然のように知っていたそうですが、かくいう近隣の兵庫県出身の私も知りませんでした…。
まず、全編通しての淡い水墨画のような作画がなんとも幻想的で素晴らしいですね。調べると本作の演出・美術・作画を担当されている馬郡美保子さんは主だったところとしてはアニメ映画の『銀河鉄道の夜』の美術を担当されているようです。
で、若い僧の安珍に心ならずも裏切られた愛憎から龍になって彼を取り殺してしまう清姫の物語ですが、市原悦子さん演じる清姫の「あんちんさまぁ~~~~っ」というひたすら繰り返される叫び声が悲しくも怖すぎます。
「~というお話でした。」という語りのみで唐突に終わるラストももの悲しさを助長させて良い塩梅です。
〈想起された映画〉『東海道四谷怪談(1959)』
男に裏切られて異形に変貌を遂げた女の情念、ということで。
ラストに一瞬だけ美しい娘の頃の姿も甦る、という繋がりで新東宝バージョンです。
五. 「鳥になった傘屋」(1982年10月9日放送)
ラストの投げっ放し感に伊集院さんがただただ驚愕されていたエピソード。
変わり者が周囲の冷笑を尻目に己の”スキ”を追求し続けて、やがて自分だけの世界へ旅立っていった、という話ですが、本作が出色なのは彼の倫理観と人となりが一言でわかるセリフでしょう。
「ワシ、人殺しの道具に傘貼ったんとちゃうねん。戦の道具なんておそろしいもん、ワシ、よう作らんで。ワシ、人が死ぬの、怖いねん…。」
優しさと愚直さとひたむきさと、恋しさとせつなさと心強さと・・・・・
〈想起された映画〉『赤い風船』
主人公が自分だけの世界に飛び去って行く映画、まさにコレです。
本当に知る人ぞ知るなカルト作品ですが、90年代初頭に世間を騒がせて失踪した”風船おじさん”が愛してやまなかった映画、として有名です。
以前、彼に関する記事も書いておりますので、よろしければそちらもどうぞ…。
Ⅱ. おしまいに
というわけで前回に引き続いて今回も5本引き合いに出して語らせていただきました。
自分は放送当時ただ漫然と観ている子どもでしたが、克明にしかもご自身の記憶を交えてユーモラスに話されていた”ラジオの帝王”はやはり流石です。
ほかにも伊集院さんが言及されていたエピソードご存じでしたらコメントにてお教えいただければ恐悦至極にございます。
今回はこのへんにて。
それでは・・・・・・・・・どうぞよしなに。
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