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【趣味人噺⑫】〈その②〉80年代に活躍して消息を絶った伝説のホラー漫画家川島のりかず先生の作品をレビューしてみる、の巻。

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。(●´д`●)メ
 近々報じられた堂本光一さんの熱愛報道でわりとショックを受けてしまった自分に驚いている、O次郎です。

僕が小学校高学年の頃にKinKi Kidsがデビューされてるのでまさしく世代…というわけで。
これまで数十年間、剛さんともどもこういったスクープを全くと言っていいほど
耳にしなかったのでそうしたストイックさに惚れ惚れしてましたし、そうした品行方正さも
ジャニーさんのお気に入り要素だったのでしょうが、何はともあれ。
でもまぁ、もしもお相手がめちゃくちゃ年下だったら"うわぁ……"と思っちゃってたかも。(⦿_⦿)

 今回も引き続き映画話から離れて閑話休題、マンガのお話です。
 直近の年末年始休暇期間に、kindle本で気になっていたとあるホラー漫画を購入して読んで俄然興味を持ったその著者川島のりかず先生について、こないだ国会図書館で別作品をまとめて閲覧してきたので、それらに関しての自分なりの感想のレビューの続きでございます。
 なお、唯一kindle本化されている『フランケンシュタインの男』についても本稿で感想を認めております。
 80年代に活躍されていたホラー漫画家さんなので、特にその頃、作品の主要ターゲット層たる女子小学生だった皆々様、ご自身の記憶を追いながらお付き合いいただければ幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・・『銀狼怪奇ファイル』!!

光一さんの初期の主演ドラマだと真っ先に思いつくのはコレ。
当時、小学校内で"銀狼モード"を皆で模倣すべく下敷きで髪を擦って逆立てたりしたなぁ…。
OP主題歌はマッチの「ミッドナイト・シャッフル」で、世代的に
いわゆる"金屏風会見"の悪評は知らなかったのでマッチといえば偏にこの曲のイメージでした。
そちらの曲のイメージが強過ぎたけど、ED主題歌の光一さんソロ曲の「僕は思う」も
優しい名曲でした・・・ドラマ本編がショッキングな内容ゆえに余計に癒されたわけで。(゜Д゜)


Ⅰ. 漫画家川島のりかず先生について

※先生ご本人に関しては前回記事に書かせていただいておりますので、そちらをご参照ください。

 以下、先日国会図書館で閲覧してきた川島先生作品の蔵書の数々の紹介と個人的おススメ度のレビューの続きでございます。極力発行年度順で列記しております。張り切ってどうぞ…。



Ⅱ. 川島先生の作品群、その二

①フランケンシュタインの男 〈1986.11刊行〉

[個人的おススメ度:★★★★★]

 都市生活に疲れたサラリーマンが、心療内科で少年時代を思い出す。
「フランケンシュタインの怪物」にご執心のお嬢さんと、禁じられた遊びに興じて…。

 昨年末に復刊された作品で、他の書籍が悉く絶版になっている中で今現在唯一手に入る一冊。ファンのリクエストを受けて再刊されただけあって、同じモチーフ・プロットを作品毎に形を変えて繰り返す川島先生の作品の中でも、猟奇性と幻想性が絶妙なバランスで溶け合っている秀作だと思います。
 刊行時期からして、キャリアの中でちょうど中間期の作品でしょうか。
 生来の気弱な性格や弟が生まれたことで両親から大人になることを過大に要求され抑圧の日々を送っていた少年が、洋館に住む深層の令嬢に出会う。
 体の不自由な彼女が内に秘めた傍若無人な支配衝動の顕現としてのフランケンシュタインへの憧憬と、彼女に使役されながらもフランケンシュタインの模倣によって稚気の著しい見せかけの権威に耽溺していく主人公の少年との、歪ながら蠱惑的な共依存関係。
 その彼女を不慮の事故で失ったことで主人公は終生それに縛られることになり、やがて自我境界を失っていきます。
 
 氏の書き下ろし作品では珍しく主人公が男性であり、それによって幼少期の変身願望により説得力が付与されているだけでなく、作中のファムファタール的な少女との関係にどことなく淫靡な雰囲気も加味されていてそれが他作品とは異質な薄気味悪さにも繋がっています。

"少年が浮世離れした洋館の美少女に心奪われて…"という
物語のとっかかりは『わが青春のマリアンヌ(1955)』を感じるかも。
よ~つゆ~にぬれ~る~ も~り~をぬけて~♪

 あと、CSの東映チャンネルで数年前の年末に『暗い穴の底で』(1981)という二時間テレビドラマが再放送されていましたが、特に序盤から中盤の展開はなかなかに本作と近いものを感じました。 ※画像が出て来ず失礼…

 (あらすじ引用)
宇佐美は、極度の閉所恐怖症である。それは20年前の彼がまだ少年の頃、松永マリ子という女の子と遊んでいて、彼女を古井戸の中に置き去りにし、翌日その古井戸に行くが、土砂で半分埋まっていたというトラウマのためだ。ある日、宇佐美は例の古井戸の中から人間の白骨が出たという新聞記事を読み、もう一度古井戸に行くが…

 というものです。年代的に参考にされた可能性はあるかもしれませんが、"幼少期に出会った奇妙な女の子の思い出"という道具立て自体がホラーの鉄板といえば鉄板ですね。(´・ω・`)

とかなんとか言ってたらこの娘を思い出しちゃったじゃないのよ…。
(゜Д゜)(゜Д゜)(゜Д゜)


②私の影は殺人鬼 〈1988.2刊行〉

[個人的おススメ度:★★☆☆☆]

全編通して影の無双ぶりが凄まじいんだけど、
その一方であっさりロープで拘束されるような
よくわからんフィジカルぶり。

 とある首都近県の田舎町に暮らす両親と小学生の娘。空き家だった郊外の一軒家を購入して移り住んでの町での生活だったが、主人公の少女は学校のいじめっ子たちの標的にされ、心身ともに痛めつけられるも強くは出られず耐えがたきを耐える日々。
 しかも自宅が地元ヤクザの度重なる嫌がらせでとうとう半壊させられ、それに巻き込まれて母が重傷を負ったことで父はすっかり弱腰になってしまい、泣く泣く東京へ引っ越すことに。
 時は流れて数年後、何かに導かれるように町を訪れた主人公の前に不気味な影が現れる。その影は必死に制止する彼女を他所に彼女が当時方々へ抱いた憎悪を引き継ぎ、かつてのいじめっ子たちを山に呼びつけて散々鞭打ち、地元ヤクザ連中に至っては凄惨な殺戮を繰り返すのであった…。

 現れた影は主人公の復讐心と嗜虐心を大いに煽りつつ残虐の限りを尽くすのですが、影ゆえか全くダメージが通らずヤクザ連中の刃物や警察の銃撃も全く歯が立ちません
 その一方で影は異様な怪力でヤクザを撲殺したり四肢を引き千切ったりと、"怪物"の称号すら生ぬるい振り切った暴力性で、警察が何とか抑え込む(複数人で抑え込んでロープで縛る……それで制圧できるの?!)のですが、彼らもその相当数がその過程で影の振り回す刃物の餌食になります。
 本作がユニークなのは、影が主人公の昏い感情から生まれ出たことが示唆されつつも、その決定的瞬間を描いていないことでしょう。
 それゆえに主人公は対処法も考えつかないままに、ただ影がかつての自分の仇敵達への陰惨な復讐を行いつつそれを阻止しようとする人々も巻き添えにしていく過程を罪悪感のままに見せつけられていきます。
 影だけでは今後は存在を存続できない(理由は不詳)ため、一度は主人公を飲み込むのですが主人公自身や周囲の邪魔立てによって果たせず、最終的には逆に主人公が影を飲み込むことで一応の決着を見ます。
 "自身の中の短絡的な破壊衝動にも眼を背けず、自身の感情の一部として暴発させないよう付き合っていく"という少年期の通過儀礼を殊更ショッキングに物語化した、ということなのかもしれませんが、まるでターミネーターの如き無敵状態の影によるジェノサイドをダークヒーロー的に楽しむのが本作の妙味なのかもしれません。
 ・・・が、個人的には自分から影が生まれ出る決定的で象徴的な事件をラストに描いてオチとしてくれればより物語性が高まったように思えて口惜しい一本でした。

ラストで主人公はどこか不敵な笑みを浮かべているようにも見えましたが…
アイデンティティークライシスがそのうち訪れたのやも?


③首を切られたいじめっ子 〈1988.5刊行〉

[個人的おススメ度:★★★☆☆]

主人公による十数年を経ての復讐劇!!
・・・というか、人形はあんまり物語に機能していないような?

 主人公は弟のいる小学生の女の子。学校ではいじめっ子グループの標的になることがあり、"立ち向かう意思を示さないからなおさら標的にされるんだぞ!"と父から叱咤されるも、"自分さえ我慢すればいいんだ…"とただひたすらに耐え忍び、お小遣いを貯めてやっと買ったフランス人形をボロボロにされても泣きながらやり過ごした。
 そして時は流れて東京で働くOLの主人公は、同じく上京していたかつてのいじめっ子のリーダーの女の子と再会する。かつての蟠りが噓のように打ち解けて親友となる二人であったが…。

 本作も川島先生の作品の傾向としての中盤のクライマックスに重きが置かれており、長年心の奥底に封印していた恨みと大人になった現在に新たに積み重ねられた恨みが怒髪天を衝き、見開き二ページ使ってのいじめっ子の切り落とされた生首はインパクト絶大です。
 幼年期の乱暴狼藉を快く許して親交を結んだ主人公に対し、いじめっ子は彼女の恋人男性を寝取るという清々しいまでの周囲一貫したクズっぷりで返し、封印していたトラウマを健気に友情で上書き昇華しようとしていた主人公の純心さは一気に純然たる呪詛の念として仇敵の生首に叩き付けられます。
 いじめっ子は両親の不和ゆえにネグレクトの憂き目に遭い、それゆえに同年代の子どもに対して辛く当たったり持ち物を奪うなどしてその代償行為へと走ったのですが、その衝動は大人になった今でも抑えられず、主人公の恋人を脅迫してまで奪い取ろうとした姿は憐れとしか言いようがありません。
 だがしかし、積もりに積もった怨念で彼女を殺めた主人公に対し、歳老いた両親や成長した弟は一旦は激しく糾弾を加えるものの内心では彼女の出所を願い、恋人も彼女の悪意を跳ね除けられなかった自分にも責があるとして主人公への愛を貫こうとします。
 それに対して主人公は、両親にも恋人にも"自分のことは忘れて…"と背を向けます。
 大人になっても卑屈で屈折した人間性を矯正できなかったいじめっ子のように、主人公自身も、一度激発させてしまった自分の破壊衝動がその後の人生に於いても自分を支配し、周囲の人々ややがて持つであろう自分の子へもそれを敷衍させてしまうことを憂い、その負の連鎖を断とうとしたのかもしれません。
 強い負の感情は力の弱い者へと押し付けられていき、しかも連綿と受け継がれてしまう・・・それが幸せな記憶で以てしても完全には上書き出来ない恐ろしさを考えさせる逸品です。


④母さんが抱いた生首 〈1988.8刊行〉

[個人的おススメ度:★★★★☆]

主人公の少女に身体ハンディキャップがある、
ということで『恐怖(1961)』『見えない恐怖(1971)』のような
シチュエーションスリラーとしての楽しみも有り。

 主人公の少女は裕福な家庭で暮らす好奇心旺盛なごく普通の少女だったが、ある日の本の思い付きの行動で人生が激変してしまう。
 通学途中の寄り道で興味本位で覗いた建物の一室でヤクザが情婦を殺害する瞬間を目撃してしまい、必死に逃げるもそのヤクザに抱え上げられ高所から突き落とされてしまう。
 一命は取り留めたものの一生ものの半身不随で発話も不可能な車椅子生活を余儀無くされ、さらには程無くして父親が交通事故死してしまう
 母娘と使用人だけの生活で神経が疲弊していく中、亡き父の生前の部下だったという男性が現れるが…。

 冒頭からショッキングな展開の連続であり、父亡き後の母に巧みに言い寄ったうえに邪魔者として自分を事故死させようとする男を目の当たりにしても「殺すなら殺して…そうすれば苦しみから解放されてパパにも会える…」と小学生にして既に生きることに捨て鉢になっているばかりか、極悪人の所業にも大して動じない主人公の諦観ぶりにまずもって肝を潰されます。
 がしかし、その男の正体が自分を半身不随にしたヤクザ張本人であることが判ると一気に物語が躍動します。それまで使用人の女性が介助して食べさせてくれる料理もろくに食べず、干からびた枯れ枝のようだった身体に血が通い、俄然生きる活力を取り戻します。
 憎悪や復讐心がある面で人間の生きる原動力になる、という真理が見て取れますが、同時にこれまでは死ぬも上等だった怖いもの知らずの状況からなんとしても母の身と父が残してくれた財産を守り、そして何より自分を絶望のどん底に叩き落した仇敵に天誅を下したい執念から生に執着して怯えるようになる展開も上手いです。
 また、母が件の男に篭絡され身体を捧げ心酔していく中で彼との未来の重荷となる自分の存在を疎ましく感じるようになり、読唇術でなんとか男の正体を伝えようとするも激高した母に折檻される主人公の描写は、母への同族嫌悪あるいは性に対する忌避感を奉じた思春期の少女の心象としても読み応えがあり、主人公と同年代の少女読者にはよりダイレクトに訴求するものがあったと思います。

 そして本作のもう一つの魅力が共犯同士の友情、というべきものであり、クライマックスではヤクザに諸共殺されそうになった主人公およびヤクザの共犯の男が、憎きヤクザへの意趣返しのために共犯関係となって逆襲に転じるのです。
 放置された車の中に昏睡状態で放り込まれて火を放たれた主人公は死の土壇場でテレパシーを体得し、財産の取り分のためにヤクザに始末されそうになっていた同じく車中で昏睡状態の共犯の男を目覚めさせて九死に一生を得たのでした。
 そこからは共犯の男が日本刀を手に屋敷に乗り込んでヤクザを相手取りつつ主人公の母にネタ晴らし・・・共犯の男がヤクザに致命傷を負わせますが、母が刀を奪ってヤクザを斬首!!(表紙絵がコレ)
 最愛の娘の忠言に耳を貸さないばかりか謀殺に加担し、あまつさえ一家をどん底に叩き落したヤクザに入れ上げていた自身の愚かしさに耐えかねてそのまま母は発狂してしまいます…。

 母が病院送りとなったことで主人公は施設で暮らすことになりますが、体得したテレパシーで立派に一人で生きていく旨を元使用人に宣言した主人公の車椅子姿はなんとも頼もしく、共通の敵を得て奇妙な共犯関係となった男との別れのシーンはハードボイルドなテイストすら感じてしまう粋なラストです。
 テレパシーの唐突感こそありますが、道具立てを駆使したシチュエーションスリラーの展開を見せつつ最後は他作品ではあまり描かれない主人公の人間的成長も表現されており、一風変わった佳作です。

⑤私は生血が欲しい 〈1988.9刊行〉

[個人的おススメ度:★★★☆☆]

ちょっと宗教的な教訓を感じるところも?

 山へ遊びに来た主人公とその友達の少女。いじめっ子たちから逃げる途上で二人して異界に迷い込んでしまう。風景は現実そのものながら明らかに異質な出で立ちをしたそこに生きる人々は不気味な民間療法や習俗を信奉する民であった…。

 ということで川島先生には珍しい異世界ものです。異世界の人々が最初は二人に優しいものの彼らの迷信を否定する毎に態様が変わり、自分たちが生け贄に捧げられることがわかって命からがら逃げだす・・・という展開まではまずまず予想通りですが、そこからがなかなかどうしてユニークです。

 なんとか現実世界に戻るもののそれからほどなくして主人公の友人が異世界由来の奇病に罹るのですが、身体中が不気味に浮腫んでいくビジュアルがかなりセンシティブです。
 彼女のたっての頼みで再び異世界に行った主人公は彼方での民間療法である蛇の血の飲用で見事回復するのですが、父親が医者なこともあってか次に主人公が罹患した際には主人公はその効能を信じ切れずに蛇の血は効かず、身体がやがて液状化していきます

 クライマックスは病院の屋上から飛び降りて自死しようとする主人公を友人と両親が必死に止めるのですが、落下しつつある液状化した彼女の腕を友人が必死に掴むのに対し、異形の姿になり果てた我が子の生存を諦めようとする母の姿がなんとも尾を引きます。
 そしてさらにオーラスでは自宅の水槽の中に変わり果てた姿ながらも生きながらえた主人公の姿が…曰く、「身体の呪縛から解放されて自由になれた」そうです。
 全体としては"己の常識に囚われ過ぎるな"というテーマなのかもしれませんが、それであれば主人公を大人にした方がより生きたでしょうし、ファンタジーテイストに合わせてかスプラッター描写が抑えられているので他作品とまとめて読むと肩透かし感は有るかもです。

確か中学生ぐらいの頃に読んだ大友克洋さんの短編にも
そんな結末のヤツが無かったっけ…?
主人公が宇宙服の中でコールタールと一体化しちゃう、みたいな。


Ⅲ. おしまいに

 というわけで今回は80年代のホラー漫画家、川島のりかず先生の作品レビューの第2弾でした。
 作品間でテーマや筋立てが似通ってる、展開やゴア描写への持って生き方が些か強引、ジャンルによって得意不得意が如実にビジュアルに顕れてる…等々ツッコミどころはあるのですが、それらも含めてフックになっている忘れ難き作家さんだとあらためて思います。
 まだまだ読みたく、国会図書館関係蔵書でまだ未読の作品がいくつもあるので、閲覧次第順次感想を書く所存です。
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。




やっと暖かくなってきた・・・からには今度は花粉の季節。
少年期までは平気だったんですが、大学生ぐらいの頃から毎年
スギでムズムズ来るようになってしまいまして。
いわゆる"バケツがいっぱいになった"ってヤツですな。(´・ω・`)



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