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【名作迷作ザックザク㉜】向かうところ敵無しの銭ゲババァ見参!! 大阪貧民街の簡易旅館を舞台にゼニと愛が飛び交う一周廻った道徳映画『がめつい奴』(1960)

 結論から言おう!!・・・・・・こんにちは。(●´д`●)
 "ゼニ"といえば『銭形平次』、それも北大路欣也さん版世代の、O次郎です。

※たしかイントロのところで北大路さん演じる平次が十手を口にくわえて腰に下げてる銭を敵に投げつけるんだけどそれがなんともクールで。
三波豊和さん演じるハチや伊東四朗さん演じる三の輪の万七といったコメディリリーフ陣が充実していて少年の僕にも毎回楽しめました。
個人的な幼少期の時代劇の思い出といえばコレと『名奉行 遠山の金さん』、そして『三匹が斬る!』でしたね。


 今回は1960年の邦画『がめつい奴についての感想です。
 CSの日本映画専門チャンネル"蔵出し名画座"枠の今月の放映作品が本作でした。
 元々は前年の芸術祭主催公演用に東宝芸術座に書き下ろされた戯曲で、延べ9か月間の異例のロングラン公演の大ヒットとなったことで本映画版が製作された、との経緯のようです。
 こうした往年の貧民街の物語となると"金は無いけど心は豊かだった"的な人情噺にもっていくのが定石と思ってしまいますが、本作の登場人物たちは主たるというかすべての行動原理がゼニ勘定であり、それを卑下するどころかむしろ誇って堂々と生きている姿が清々しいです。
 モラルも他人への情愛も他のすべてはゼニ勘定の先にあり、されど持たざる者から必要以上には取り立てず、逝んだ者からは後腐れなく頂戴する…狭い社会の中で持ちつ持たれつの循環型土着経済が確固として確立されています。
 ゆえになかなか這い出られないアリ地獄のようでありながら、果たしてそれは不幸せな生活なのか・・・ある種のユートピアの是非を問うた作品でもあるように思いました。
 

※ちなみに過去に書いた同放送枠の貴重作に関する記事はこちら。よかったら併せてどうぞ~。

 俳優陣については老壮青それぞれの年代の東宝出身俳優さん方がコテコテの関西弁で威勢の良い啖呵の応酬を見せつけてくれ、場面転換は少ないながらも迫力のシーンを展開してくれています。
 未ソフト化・未配信化のカルト作に垂涎の方々、読んでいっていただければ之幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・・・・・「華のうちに」!!

※他に主題歌で思い出深いのがこの曲。作詞作曲は吉幾三さんだったのね。
EDテーマだったんだけど、たしか延々桜吹雪が舞ってるだけの映像なもののそれゆえに逆に印象的だったわけで。


Ⅰ. 作品概要

※さすがに元々の戯曲が有名なうえに映画版の他にも二度もTVドラマ化されただけあってちゃんとWikiの作品ページが有るうえにあらすじまで載ってる!!・・・・・・"蔵出し名画座"枠の放映作品にしては珍しいことで。

 ちなみに画面カット写真はモノクロのものばかりですが、カラー作品です。
 冒頭からして、地域内での車同士の交通事故が発生するや周辺住民たちが俄かに色めき立ち、両車のドライバーを医者に連れて行った隙に車をみんなして素手や工具であっという間に解体して山分けしたスクラップを競りにかける、という破天荒な滑り出し。
 住民たちの貧しさゆえの突き抜けた逞しさ抜け目のなさを表象するとともに、壊れたものは頂戴するけれども他人様から直接奪ったりはしない、という線引きが共有されているモラルのローカルルール化も垣間見られて面白いところです。
 人生の紆余曲折を経て財産を失って此処へ流れ着いた者もいれば、生まれつきこの地域に住んでいる者もおり、他人からせしめることはあっても奪い取ることはしない、という自己完結した地域内経済を支える自然発生的な暗黙の取り決めを感じさせます。

主人公の鹿婆さんの営む簡易宿泊所に暮らす人々。
ポンコツ屋にマッサージ師、麻薬屋に日雇い人夫にホルモン屋、
占い師に美人局と、ホワイトからグレーだけでなく完全にブラックな生業の人まで実に様々。
"1泊60円"というと、現在貨幣価値で700円程度でしょうか?
たしかに一人当たり畳一畳程度で雑魚寝状態ではあるのですが・・・良心的なのかケチなのか。

 主人公であるお鹿婆さん(演:三益愛子さん)は実の息子である健太(演:高島忠夫さん)からも例外無く家賃を徴収するほどの徹底した拝金主義ぶりで、息子が独立する際の資金供与の意思も無く、あくまで徹頭徹尾ビジネスライクです。
 夫は既に他界し、宿の切り盛りを任せている息子の健太の他には、事実婚状態の"通天閣の雄(演:藤木悠さん)"と一緒に美人局をやっている娘のお咲(演:原知佐子さん)が居ますが、若干頭の弱い戦災孤児のテコ(演:中山千夏さん)を引き取って育ててもいます。
 いわば自分のビジネスの後継者である健太はさておき、実の娘のお咲が美人局などというグレーな商売をやることには親の情からして諫めようものですがそのようなことはありません。
 そこにはただ、終盤にお鹿自身がテコに語って聞かせるように"人間は額に汗して働き稼ぎ、かいた汗の分だけ食べられるもの"という理念だけがあり、人生とはその哲学の実践であって、自らの子達にはその継承者であって欲しいというのがその真意のようです。

息子の健太と常宿客の絹(演:団令子さん)は相思相愛の仲ですが、
彼女の姉である初江(演:草笛光子さん)が元々の地主として土地の奪還を企図しているため
その結婚には反対しています。
後々の金銭トラブルを予期してのことであり、一切情に絆されることがないその態度は
逆説的に誠実ともいえるかもしれません。

 問題は初江と絹の小山田家が地域一帯を所有していたものの戦災で地方疎開しており、戦後に一家が舞い戻った際には既に焼け跡にかつての小山田家の奉公人であったお鹿が宿泊所を建てて事実上の権利者となっていたことに起因します。
 お鹿は奉公人時代に屋敷内で家財が無くなる事件が発生した折、当主夫妻から疑われて無実ながら寒空に放り出されて身ぐるみ剝がされる屈辱を味わったという過去が有ったのでした。

いわば物語の舞台となる簡易宿泊所はお鹿にとっての小山田家への
意趣返しだったわけですが、娘二人にまで復讐する魂胆は有りません。
ゆえに宿泊費を払う限りは姉妹を客として受け入れ、
ただし土地の所有権を巡って初江が裁判を起こした際には受けて立つ腹積もり。
されど初江が持つ土地の権利書を奪い取るような暴挙には出ない…。
お鹿なりのモラルで線引きが為されています。
しかし、草笛さん未だにお綺麗だけどお若い頃もこの高飛車な感じがなかなかどうして。

 その苦い経験から"がめつい奴"にはなりましたが、遺恨のある相手から奪い尽くすほどには至りません。あくまで"持ちつ持たれつ"です。

 しかしその一方で相手から絞り尽くそうとする人間には容赦が無く、義弟という関係性から情に訴えてお鹿の貯め込んだ財産を奪おうと企む彦八(演:森繁久彌さん)の姦計はあっさりと見破ったうえにテコとの連係プレーで大金が入っていると思い込ませた梅干しの壺をまんまと大量に買わせたりします。

本作では数少ない根っからの悪人の彦八(お鹿の亡き夫の弟)。
未だ四十代の森繁久彌さんのセコい悪党ぶりがいい味出してます。

 そしてもう一人の悪党がポンコツ屋の熊吉(演:森雅之さん)で、ドヤ街気質に染まらずなんとか両家のお嬢様の誇りを保とうと気丈に振る舞う初江のプライドを巧妙にくすぐりつつ、弁護士を紹介すると言葉巧みに旅館へ連れ込んで操を奪ったうえに土地の権利書まで取り上げてしまいます。
 それが地域のヤクザである升金(演:山茶花究さん)に売り払われたと知ったことで初江は熊吉を刺してしまいますが、ここからがまた冒頭のシーン異常にすごい・・・。
 街の住人達は熊吉が死んだとみるや"死人に衣服は不要"とばかりにみぐるみ剥いだうえに空き家に埋めて殺人事件自体を無かったことにしてしまいます。
 事態を知った妹の絹だけでなく彼の内縁の妻おたか(演:安西郷子さん)や健太やお鹿まで「熊吉のような悪人は殺しても罪にならない」と宣い、その気高さゆえにそれでも自首しようとする初江に対し街の住人たちは「アンタが自首すると追い剥ぎしたことがバレるから止めてくれ」とまで。
 
 冒頭の車解体のくだりでも警察の聴取を住民一同で煙に巻き、今回の熊吉の殺人でも住民一同知らんふりで警察もうっかり手が出せません。
 「事件が起きたってここいらの住民で警察に通報する奴なんか誰も居ない」とのセリフが有りますが、だからといって完全な無秩序ではなく、彼らには彼らなりの互助のルールがあり、だからこそ"労せずして""他人が破滅するほど""奪い取ろうとした"彦八や熊吉は排除された、という見方も出来るでしょう。

 終盤、権利書がヤクザの土建屋に渡ったことでお鹿は彼らから土地をあらためて買うか立ち退くかを迫られます。
 そして結局、土地を買う方が得だとわかっているものの、立ち退けば初枝と争うこともなくなり、絹も健太と結婚して幸せになれると考え、升金に立退き料を支払ってもらうことにします。ここでは人情を優先させたかと思いきや、宿泊客向けの立ち退き料を秘かに値切り(そのあと更にみんなに直接支払う健太がさらに値切る)、結婚してうどん屋を出そうとする健太と絹には開店資金を供与するのではなくきちんと貸し付ける形にするあたり、どこまでもブレが有りません。

 とどのつまりこの街で生きていくのにはブレないこと、言い換えれば表と裏の顔を持たないことが大原則なのでしょう。そしてそうした人たちはたとえガメつかろうがみすぼらしかろうが誠実には違いありません。

最終的に健太と絹は街でうどん屋を、通天閣の雄とお咲は相変わらずポン引きを、
おたかは初江の出所後には二人でパン屋の約束を、そしてお鹿とテコは公園で物乞いを始めます。
どん底』で描かれた人々とは違い、互いに身を寄せ合って慰め合うのではなく
状況に合わせて古巣を捨てられるバイタリティーのある面々だと自分は思います。

 ただ、悲しいかな街の外の世界は表と裏の顔を持つことが当たり前なばかりか、"労せずして""他人から破滅させるほど""奪い取ろうとする"人間が大手を振って生きている世界なわけで・・・。
 ともあれ、誠実な彼らの人生が"額に汗して働いて、働いた分だけ食べられる"真っ当なものであらんことを。


Ⅱ. おわりに

 というわけで今回は邦画のカルト作『がめつい奴』(1960)について書きました。
 わかりやすい人情喜劇でなく、愚直に己の信念に真っ直ぐに生きる人々のふてぶてしさが却って利口にスマートに生きる普通の人々の滑稽さを暗に糾弾しているかのような洒落た構成がゆえに、当時としても評価されつつ長年愛されている由縁なのかも、と思った次第です。
 個人的には、本作品を戯曲・映画のみならずTV版でも演じられてライフワークとされた三益愛子さんの熱意に鑑み、後のTV版2作品でのお姿も是非拝見してみたくなったとともに、『Gメン'75』の謹厳実直な山田刑事役のイメージの強い藤木悠さんのナンパなキャラクターが拝めてなかなかのめっけもんでございました。
 今回はこのへんにて。
 それでは・・・・・・どうぞよしなに。




来月の"蔵出し名画座"のラインナップは『血とダイヤモンド』(1964)。
和製ノワールものはテンポやアクションの古めかしさで
今観ると失笑してしまうものも正直なところチラホラですが、本作は果てさて…。
観たらまたぞろ感想文書く所存でござい。(´・ω・`)

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