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【最新作云々66】巨匠監督誕生までの前日譚!! スピルバーグ監督の少年期の葛藤と,モラリストたろうとした両親の苦悩をフィルムが淡々と捉えた青春愛憎映画『フェイブルマンズ』

 結論から言おう!!・・・・・・・・・こんにちは。(●´д`●)
 花粉症がなんとも辛くなってきたので市販の薬で横着せずに耳鼻科医院に行って三点セット(錠剤・点鼻薬・目薬)を処方してもらったら大分症状が改善してひと安心、なO次郎です。

結果的に受診したほうがコスト的にも安上がりだったりするわけで。
そういえば、先週の金曜日だかに青梅市で飛散した花粉が前年の同地の年間の飛散量を上回ってた
とかいうニュースを聞きましたが、数年間青梅市に住んでいたことがあるので
当時を思い出してなおのことゾッとしました…。(゜Д゜)

 今回は最新のハリウッド映画『フェイブルマンズ』です。
 巨匠スティーヴン・スピルバーグが映画監督として頭角を現す前の、少年期における人間形成の過程を描くドラマ映画であり、少年期の彼の投影であるサミー・フェイブルマンの成長が主軸ではあるのですが、主演はミシェル・ウィリアムズ演じるサミーの母リアであり、彼女が夫とともに"良き親・良き配偶者"であろうと努めつつもままならない現実に傷付き悩む等身大の大人たちの物語でもあります。
 また、幼年の折に映画の魅力に取りつかれてのめり込む豊かな好奇心の発露と成功体験、両親との相克や同年代の少年からの被差別によるコンプレックスと衝突、そして淡い恋…等々、実に瑞々しいジュブナイル的青春映画としても胸を打つ一本でした。
これまで大衆を楽しませる大スペクタクルや、艱難辛苦の末に大逆転を果たすカタルシス著しい娯楽作品を提供し続けた監督にとり、このある種内省的とも取れるドラマを晩年になって自身のフィルモグラフィーに加えたことはこれまでの作品で描かれた以上の冒険であり、意義深いことだと個人的に感じます。
 スピルバーグ監督作品好きはもとより、子を思うがゆえにその距離感に悩む不器用な大人たちに共感するそこのアナタ、読んでいっていただければ幸いでございます。
 それでは・・・・・・・・・屁怒絽!!

花粉症といえばで思い出しちゃったキャラクター。
ネタキャラの中では個人的にはハタ皇子が一番だったけど、彼もなかなかどうして。
かれこれもう5年以上前だけど、毎朝のすし詰めの通勤電車の中で
スマホでコツコツ一話ずつ、一年半掛けて全話観たなぁ・・・。(´・ω・`)


Ⅰ. 作品概要

 まずは第二次世界大戦後のアリゾナ州で育った幼年期のサミーですが、何かにつけて怖がりで泣き虫な彼を勇気づけようと両親が映画に連れて行きますが、その記念すべき初めての映画体験が『地上最大のショウ』(1952)でした。

華麗なサーカスショーと団員たちの人間ドラマを描いているものの、
サミーがとみに強烈に魅せられたのは作品のクライマックスの列車激突シーン。
そういう変化球な受け止め方をするのが子どもというもので。

 その後、父(演:ポール・ダノ)がコンピューター技師で母(演:ミシェル・ウィリアムズ)がピアニストという収入的に恵まれた環境ゆえにクリスマスプレゼントとして列車模型を買って貰うのですが、そこで早速件の列車激突シーンの興奮体験を何度も再現しようとし、玩具を乱暴に扱うのを見かねた母から8mカメラもプレゼントされて迫力の激突シーンを収めます。
 そうした偶然の重なりあるいは必然によってサミーは早くから映画撮影にのめり込むようになるのでした。

"大切な母からの終生を支える贈り物"
加えて、登場シーンは僅かながらもサミーのアーティスト的素養を
見出してその道を究めるよう叱咤した大叔父ボリス(演:
ジャド・ハーシュ)も
強烈な存在感
でした。

 数年後には早くも第二次世界大戦を題材にした短編のオリジナル作品にも挑戦していて、ボーイスカウトの仲間を集めてキャスティングしています。

※"地獄への脱出"
米軍と独軍のとある戦場での戦闘で、総力戦の末に独軍士官のみが生存するものの、自らの指揮の結果である周囲に横たわる友軍と敵軍の兵士の夥しい死体を目の当たりにして呆然自失で何処かへ去っていく、というもの。

 よくよく"アーティストの処女作にはその人の人間性が顕れる"と言いますが、アマチュアなりに創意工夫を凝らした迫力のエフェクトに加えて反戦・厭戦の強烈な気分を感じさせるラストはなんとも言えない余韻を残します。
 作中では多少盛られていますが、拙いながらも演技指導に四苦八苦している姿がなんとも微笑ましく。

 周囲からの理解と賞賛も得られて順風満帆かに見えた少年時代ですが、中高生の頃に父の栄転の関係でカリフォルニア州に転居したことで大いなる波乱が幕を開けます
 アメリカのマッチョイズムを体現するようなクラスメイト達から体格や出自を理由に虐めを受け、映画というインドアな趣味は周囲に理解されず、転勤族ゆえに守ってくれる友人にもなかなか恵まれず孤独を究めます。まさに子どもにとっての比類なき厳然たる弱肉強食の世界です。

"親の仕事の都合"というのは子どもにとってはまさに青天の霹靂で、
しかもそれが"より安定した生活のため"という大義名分の下のものであれば
ぐうの音も出ず・・・しかしながらそうしたままならない状況の中で
どうにか己の活路を見出す、というのも誰もが経験した少年期の通過儀礼でもあり。

 対して、家庭内にも問題が芽生え始めます。
 アリゾナ時代から父の右腕で居候だったベニー(演:セス・ローゲン)と母の距離感がどうにも近く、普段からキャンプ等の何気無い家族の一幕でフィルムを廻していたサミーがその映像の端々でそれを発見してしまいます。

フィルムは嘘を吐かない・・・偶然ながら母と居候のおじさんとの
親密な姿が写り込んでしまい、それを図らずも自分が収めてしまったという苦悩。
自分がそれまで心血を注いできた映画芸術が公然の秘密すら白日の下に曝してしまう
力を帯びていること
に恐れ戦きます。

 思春期の少年にとってそうした母の行動は到底容認出来るものでなく、途端に母との接触を避けるようになりますが、彼の意味深な態度に業を煮やした母が激高し、悩んだ末にサミーは秘かに編集した二人の親密な一コマ一コマのフィルムを彼女だけに見せるのでした。

曰く、「不義密通をしたことは一度も無いものの、気持ちが向いていたのは事実」と。
天下のIBMからお声が掛かるほど優秀でしかも絶えず妻を愛し崇拝の眼差しを向ける父と自分との
差をしきりに感じて息苦しさを感じ、凡庸ながら大らかで人並に欠点もあるベニーに
気持ちが揺れてしまったのでした。
アッパー層の夫婦といえど、人間的に完璧なわけでも最初から母と父なわけでもなく、
子どもと同じように悩み傷付く劣等感塗れの人間なのだということ
が伝わってきます。
喩えるなら…急速にニュータイプとして非凡な戦士として覚醒していく
幼馴染みのアムロを遠くに感じるようになって、卑屈で鈍臭いながらも
人間的なハヤトに寄り添うようになったフラウ・ボゥ、みたいな?(=^・ω・^=)
どんどん豪華になっていく我が家と反比例するように、
少しずつお互いのお互いに対する気持ちがズレていく家族たち。
いったんは子どもたちのために今までの夫婦関係を維持する両親の
我慢と努力がなんとも見ていていじましい限りです。

 結局、物語終盤には両親は離縁することとなり、母はベニーのもとへ行くのですが、そのまま夫婦関係を続けて形だけの親睦を見せるのも子どもたちには辛かったことでしょう。
 とどのつまりどちらにしても子どもたちには強いショックを与えてしまうことにはなったのですが、両親も完璧超人ではなく、彼らの不完全さとそれを補おうと必死に家族と向き合った姿をあらためて懐古し、子どもたちは大人になっていったのだと思います。

このある意味での微妙な三角関係を経て
三人の関係性が破綻しなかっただけでも
立派な人たちだと思えます。
その後、ベニーと母がどのようなパートナーシップを結んだかは
詳しくは描かれませんでしたが、そこはそれぞれの家庭を築くための戦い、ということで。

 そしてクライマックスはサミーがそれまでの鬱屈した高校生活を挽回するための一大チャンス‼
 卒業生一同で行った夏のバカンスの記録映像をサミーが監督することとなり、蟠りを捨てて自分をこれまで苛んできたパリピたちのはしゃぎっぷりを楽しく明るくカメラに収め、彼らの思い出を色褪せないように残すよう力を尽くします。

本来ならば自分自身もその被写体となって然るべきだったのですが・・・
己の複雑な心中を押し殺して黙々と黒子に徹する男の美学。

 そして青春映画としての本作の最大の見せ場はその後のプロムの一幕。
 完成した記録映像で盛り上がる卒業生一同を他所に廊下で一人黄昏ていたサミーを探し当てたマッチョオブマッチョのいじめっ子が彼に喰ってかかります。「あんなに俺をヒーロー然として映しやがって!! 俺がどんなにそのイメージに苦しんでたか…。」と。
 それに対しサミーも負けじと「最後ぐらいは打ち解けたかった!」と返し、お互いのコンプレックスの秘密を共有した二人は卒業の間際に微かに友情を結ぶ・・・いかにも古臭い男の友情ではあるのですが、時代が時代だけに非常に板についています。

またまた喩えるなら…愛憎相半ばする友人が
最後に自分の去り際に見送りに来てくれた『少年時代』みたいな?(・∀・)
"な~つがす~ぎ~ かぁぜ~あ~ざみ~♪"
一時ばかりのロマンスも経験してめでたしめでたし…?

 その後は大学生活を送りながらTV局での採用を心待ちにやきもきする日々ですが、奇しくも面会の機会を得たジョン・フォード監督(演:デイヴィッド・リンチ)にアドバイスを得てスタジオの外で喜びを爆発させるところで物語は幕を閉じます。
 その後、スピルバーグ監督が手掛ける数々の傑作フィルムの話は出てきませんし、そのヒントとなるようなエピソードもハッキリとは出て来ないので傑物の前日譚としては些か片手落ちというかコレジャナイ感はあるかもしれませんが、悩める家族の愛の物語としては面白く観られました。

強いて言うなら三人の妹たちとの交流のエピソードが希薄だったかも。
まぁ、逆ならともかく"兄妹の中で自分だけが男"というのは
無意識に色々と遠慮が働くものでしょうて。


Ⅱ. おしまいに

 というわけで今回は最新のハリウッド映画『フェイブルマンズ』について語りました。
 前述のようにホームドラマとして、そして青春映画として非常に楽しめたのですが、スピルバーグ監督は大衆を楽しませるエンターテイナーとしての側面がかなり強いということが本作であらためてよく解りました。
 つまりは、己の存在理由を掛けて、世の中への挑戦状のように自身の内奥のマグマを叩き付けるような内省的な作家とは対極に位置するであろう、ということです。
 職業選択に際しても、母の後押しで父からも映画業界に進むことを全面的に支持されており、その点、両親や周囲の反対を押し切って己の信じる道に飛び込む類の人生形成を経た人のギラつきのようなものは感じられません。
 もちろんそれが悪いということではなく、それがゆえに広範な人々が享受出来る娯楽のチャンネルを掴みえたということでしょうが、そうした創作活動の源泉を垣間見られたという意味でも意義深い作品でした。
 最近仕事が立て込んだりして更新が遅れがちですが、地道にコツコツ頑張りますので何卒ご容赦をば。
 それでは・・・・・・・・・どうぞよしなに。




日本公開日は5月末って聞いたけどホントかね?
早く観たいのは勿論ながら、その時期は結構大作が待ち構えてるので
若干後でも…と思うのもこれまた事実。(´・ω・`)




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