今年は「あいトリ」と呼ばないで( その1)
あいちトリエンナーレあらため、「国際芸術祭あいち」として再出発した芸術祭は、夏の暑い真っ盛り、7月30日に開幕。会場は本拠地となる愛知県美術館をはじめ、一宮市、常滑市、有松(名古屋市内)など郊外の街に3箇所。今回のテイストはどんな味付けになるかとドキドキしながら、まずは本丸の愛知県美術館へ乗り込んだ。
さすがは本丸、展示のボリュームが半端ない。一度に見きれないので、10階フロアと8階フロア、別々の日に見に行った。今回はまず玄関口ともいえる10階の展示の紹介&感想から。
10階の印象はまさに「表玄関」。この芸術祭のタイトルともなった、河原温《I am still alive》はじめ、コンセプチュアル・アートの流れをひく奥村雄樹《7,502,733》など、現代芸術の正統派が並んでいる印象を受けた。
また、「Still Alive」にちなんで言葉をメイン要素として扱う作品も目についた。
もちろん、社会の問題に切り込んだ作品や、個人の体験をアートへ昇華させた作品も健在だ。ただし、前回のように社会的に過激な作品は影を潜め、代わりに「事態は深く静かに潜航中」みたく重みのある作品が見受けられる。
たとえば、ホダー・アフシャール《リメイン》。これはインタビュー式の映像作品で、舞台はオーストラリアのマヌス島。ここはオーストラリアが拒否した難民が抑留される島で、天然の監獄とも言える。2013年以降、約1500人の男性が収容されたという。この島で命を落とした12人を偲んで制作されたのが本作であり、生と死、悲しみや抑圧が美しい自然風景を背景に語られる、超ヘビー級の作品だ。
カデール・アティア《記憶を映して》で、幻肢痛をテーマにしたインタビューや考察が繰り広げられる映像作品。少々長いが、作品解説によると「不在の身体の一部が痛むように、辛い過去の出来事(虐殺や戦争の記憶、差別の経験)が、たとえ表面的には見えずとも、なおも人々を苦しめることについて語られます。」という。
そして、個人的に面白いと感じたのがジミー・ロベールの作品。自分を写した写真をわざとたわめて置き、それを県美術館所蔵の織部茶碗と並べて展示する。一期一会的な出会いの妙を演出するのが心憎い。
最後におまけの画像を。これは地下2階のロビーに展示されている小野澤峻《演ずる造形》。6つのボールが自動で動き始め、ぶつかりそうでぶつからないなぁ、と感心して眺めているうちに、「あっ、事故った!」という瞬間が来るという面白さ。計算通りにいかないのが世の中だし、もしも計算通りにすべてが動くなら、アートが生まれる余地はない。
※見出し画像
マルセル・ブロータース《政治的ユートピアの地図と小さな絵画1または0》(部分)
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