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カラヴァッジョ展―むしろ闇の画家

名古屋市美術館で開催されて間もないカラヴァッジョ展を見てきた。「才能か、罪か」というキャッチコピーはカッコよく決まり過ぎている、たぶん実物の5割増しと思っていたが、大げさでもなんでもなかった。

市美術館はものすごい力の入れようで、キャプションの充実度が素晴らしかった。特にヤマザキマリ氏のカラヴァッジョのイラスト入り&本人なりきりコメントが面白く、時代も場所も隔たっている絵の世界と現代日本とをうまく繋いでいたと思う。トリエンナーレを粛々と展示している裏で、着々と下準備をしていたに違いない。

16世紀終盤~17世紀始めのイタリアで、波乱に満ちた人生を駆け抜けたカラヴァッジョの人生を大きく4章に分けての展示。
①修行時代、
②華やかなローマ時代、
③殺人罪を犯しての逃亡時代、
④亡くなってなお次世代に大きな影響を残した時代。

恐ろしいほどの才能を持っていたカラヴァッジョだが、最初に展示されていた修行時代の静物画がすでに異様。非常にリアルで精密で、少々歪みのある野菜の根っこまでそのまんま再現。かと思えば画の中心にはなぜかトカゲがいて、妙に不自然な取り合わせで、この頃から絵の中に狂気が潜んでいるのが見て取れる。

キリスト教のお膝元、ローマで活躍したとあって、残された絵画は聖書のエピソードや登場人物を取り上げたものが非常に多く、また時にはギリシャ神話から題材をとったものもある。テーマ的には完全に古典絵画なのだが、表現方法が画期的だった。一言で言い表すとドラマ性が強く、観賞者に強烈なインパクトを与える。まず何よりリアリティがすごい。どこまでリアルかというと、聖書の中の登場人物を描くにあたってモデルを使うのだが、モデルが誰だったか推測できるレベルだし、また衣装についても画家と同時代(つまり17世紀初頭のイタリア)の服装をしているというぐらい。あたかも目の前で聖書の奇跡が起きたかのような臨場感が生まれるいっぽうで、「知らない/見たことのないものは描けない」を徹底していた画家とも言える。

だが、いちばん顕著な特徴は効果的な光の使い方だ。絵の主題がひと目でわかるように計算されて光が使われている。光を上手く使うということは、何を闇に沈めるかについてもきちんと計算がなされているわけで、それが「光と闇の画家」と言われる所以なのだろう。たとえば、今回展示されていたカラヴァッジョの作品は、首を切られるシーンや殉教のシーンなど、血を流す場面が多い(《ゴリアテの首を持つダビデ》《洗礼者ヨハネの斬首》《ホロフェルネスの首を斬るユディト》などなど)。しかも、背景はほとんど闇で、重要な箇所にだけスポットライトの如く光が当てられ浮かび上がっている。最初は光があたっているところに視線が行くが、ふと背景の闇に目をやると、そこに何かが蠢いているのが見えてしまう。狂気とか絶望とか諦念といったもの。闇は光を引き立てるためにあるのではなく、闇の中にこそ生命が宿っているかのようだ。

実は、「光と闇の対立」については、絵画の表現方法だけに留まらず、画家の人生についてもそっくりそのまま当てはまる。カラヴァッジョは、画家としての腕前は超一流だったが、人としてどうよ? 的な性格の持ち主だったらしく、絵を描いていない時間は外を出歩いては喧嘩沙汰を起こしていたという。ついには喧嘩のレベルを超え、殺し合いにまで発展して画家は殺人を犯してしまうわけだが、もちろん画家本人は人を殺したくて殺したわけではなく、また、喧嘩沙汰についても自分ではコントロールできない衝動に動かされていた印象を受ける。キャンバスの中の闇には、暗い衝動、後悔、悲嘆、絶望……そういった負の世界が押し込められているように見える。

そして光は単なる効果を超えて、正しい意志の力や救済をも表している。カラヴァッジョ本人が最後まで手放さなかったという《法悦のマグダラのマリア》が天から受けている光は、まさに救済の光であり、作家自身が心の底から求めていた光なのかもしれない。

才能と暴力に振り回され、波乱万丈の人生を送ったカラヴァッジョは、逃亡生活の末、39歳の若さで亡くなった。だが、彼が後世に与えた影響は計り知れない。今回の展示ではカラヴァッジョだけにとどまらず、同時代イタリアで彼の影響を受けつつ活躍した画家たちの絵も数多く紹介されている。その影響は同時代に留まらず、また、国境を超えて広がり、ルーベンスやレンブラントなどバロック時代の絵画へと引き継がれてゆく。

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