見出し画像

今日の私の死なせ方 殺し屋の話①

昨日程はメンタルは落ち着いているとはいえ、胸のうっすらとしたザワザワが止まらない。
1人で居るのも怖いので今日から数日間実家に戻ります。
家族には一切病気のことは話していないのでバレないように気をつけないと。

私の好きな作家さんの1人である伊坂幸太郎の作品に「殺し屋シリーズ」というものがあります。現時点で4作出ていてその名の通り殺し屋が沢山出てきます。主人公は違うのですがそれぞれの世界線も繋がっています。

そんな「殺し屋シリーズ」のうちの一つ『グラスホッパー』に出てくる殺し屋の1人・押し屋の槿(あさがお)。彼は文字通り、ターゲットを車道に押して事故に見せかけて殺します。私はこの槿が大好き。

さて、死にたい気持ちを抱えながら街を徘徊してるとこの槿のことが当然ながら頭に浮かびます。「今この信号待ちしてる瞬間、私を押し出して殺してくれないかな」と。同じ世界線で生きているなら間違いなく彼に依頼して自分を殺してもらったと思います。

私はうっすらと死後の世界的なものを信じていて、大体において自殺っていうのは一番悪い死に方であると。死んだ後の責苦みたいなのも自殺が一番重いらしいと。そういう話を聞くと「何でこの世の苦しみから解放される為に自殺なのに死んで尚苦しまなきゃいけないんだ!意味ないじゃん!最悪!」と思うわけです。

しかもさ、自殺となると残された家族とか友達とかが「何で気づかなかったんだ」「もっと他にしてやれたんじゃないか」なんて罪悪感を抱かせかねない。そんなの全く本意じゃない。

更にいうと自殺した後、その場の処理をするにあたって少なからず自殺なんかした私にヘイト感情が生まれます。私は自分が生きてちゃいけない人間だと思ってるから死にたいのに、死後も人様から迷惑がられるなんてあんまりだ。

でもこれが事故死なら?
突然の死で悲しみはあるかもしれないけど、罪悪感は待たれずに済む。
そしてあくまでも事故死、もしくは誰かに押されてしまったならそこで起きた事故は「私のせいで起きたものではない」んです。

そんなことを泣きながらしょっちゅう考えてたんですけど、こうして文字に起こしてみるとめちゃくちゃ自分本意だな。

でも好きな殺し屋に殺してもらえるのはやっぱかなり良いと思う。彼らはプロなので仕損じることもないだろうし、即死で苦しまずに済むかもしれないし。

こんな不健全な話題に伊坂さんのお名前と作品名出してしまって申し訳ないんですけど、シリーズ本当に面白いので読んでほしい。出来れば『グラスホッパー』『マリアビートル』『AX』『777』の順で。

それじゃあまた、死にたくなった時に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?