見出し画像

「住所」を探すこと【2024年6月2日】

皆さん、こんばんは!

今日のタイトルは、意味がわからないですよね。

「研究は住所を探すこと」

これは、大学のゼミの先生に言われた言葉なんです。

今、卒業論文に向けて色々と研究しています。

キーワードは、

平和教育、戦争文学教材、国語科

この辺りなのですが、まだふわふわした状態なんですよね。ガチっとは定まり切ってなくて。

で、隔週ごとにゼミで自分の研究について発表するのですが、やっぱり曖昧で。

その時、先生に言われたんです。

「研究は、広くはできないよ。住所と一緒で、今自分はどこの県にいて、何市にいて、何町にいて、何丁目にいるのか、って言うようにテーマをどんどん絞り込んでいくこと大事だよ」

と。知りたいことが沢山あって、好奇心が旺盛だからこそ、いろんな関心ごとに意識が向いてしまう。それゆえに、広く浅くなってしまう現状。

「洞窟に入ってみた方が面白い」

これもゼミの先生に言われた言葉。

研究をする上では、テーマを絞って深く突き詰めた方がより良いものになる、よりおもしろくなる、と。

洞窟の奥に進んでいくにつれて、洞窟の中の空気はどうなのか、肌触りはどうなのか、湿度は、暗さは、みたいに、一つ一つを検証していくこと。

まあ、これは研究の文脈での話だったけど、僕の中では、これは人間にも通じるんじゃないかと、どこかでリンクした。

この世界には、一生をかけても出会いきれないほどの人がいて。

自分より優れてる人、おもろいことやってる人、すげぇ経験をしている人、強烈なバックボーンを持ってる人。

すごい人なんて山ほどいて、そう言う人を見るたびに、「自分なんて」って思ってしまう。

周りを見れば、知らないことだらけで、すごい人だらけで、ものすごい大海原にいるみたいな感覚に陥ってしまう。

自分が何者なのかも、自分がどこにいるのかもわからなくなって、ただただ彷徨い続けるような瞬間がある。

だからこそ、「俺の『住所』」を探す必要がある。

俺は、今どこにいて、何をしていて、何を考えていて、何を目指しているのか。

この大海原の中で、たった1つ確かなことがあるとするならば、「俺はここにいる」と言う事実。

その「ここ」は自分で認識しなきゃいけない。

自分の存在を見失うのが、1番辛い。1番怖い。

すげぇ人なんて山ほどいるし、知らないことなんて死ぬほどあるし、越えられない山なんて数えられないほどある中で、

「俺はここにいる」

っていう自覚は俺にしかできない。

自分の「住所」を、現在地を、常に確かめる。

何回、引っ越してもいい。
むしろ、何回でも引っ越そう。

現状維持もいいけれど、どうせならいいところに住みたくない??

今日も読んでいただきありがとうございました!

さて、明日のテーマは「先生という存在」です!

どうぞ、お楽しみに!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?