ツイッター依存症の私が依存から抜け出すために考えたこと
タイトルの通り、私は朝起きてツイッターを見て、夜寝るまでベッドでツイッターをする、完全なツイッター依存症である。そんな私がツイッターについて考えるきっかけになったできごとを、ここでは書いていこうと思う。私と同じようにツイッターに依存しすぎて悩んでいる方や、いつかそうなってしまうのではないか、と不安を抱えている方などに是非読んでもらいたい。
離れたい、と思うことは多々あるけど、私はやっぱり辞めることができなかった。現実世界にはツイッターで仲良しのフォロワーさんたちのように、私に話しかけてくれ、褒めてくれたり、そんな風に仲良く話せる人なんていない。だからフォロワーさんたちをどこか神様のようにに思っていた。それでも心のどこかで、離れなければならないということは十分わかっていた。
仲良しだと思っていて、さらにもっと仲良くなりたいフォロワーさんが二人いる。ここではAさんBさんとしよう。AさんとBさんは二人共私より年上だ。そして、よく二人で遊んでいる。そんな二人に私は憧れている。けれど二人が遊んだことをツイートすると、それを見るだけでつらい。どうして私は遊べないの、どうして私はこの人たちともっと仲良くなれないの、と日常生活を送るのも億劫になってしまう。二人は関東に住んでいて、私は関西に住んでいるからまだ二人に会ったことも無いし、声すら聞いたことがない。それなのに、私もAさんやBさんと、あんな風に遊んだりお話ししてみたい、そう思ってしまう。
以前東京で、私、Aさん、Bさんがいるジャンルの同人イベントがあった。もちろん私は行けなかった。金銭的に余裕があった訳でもないし、一番の理由は遠いから。イベントが始まり、TLは参加している人たちの楽しげなツイートで溢れていく。それを眺めているだけでもつらかった。が、イベントが終わり、AさんとBさんを含めた数人は、オフ会に行った。みんなで楽しそうに話したり食べたりしていて、私は気が狂いそうな程羨んだ。すごくつらかったし、今でも思い出すだけでつらい。
半年後、今度は私の行ける範囲内で同様のイベントがある。AさんとBさんも来てくれるらしい。二人に会えるのがすごく楽しみだし、初めてそういったイベントに参加するので、ワクワクしている。そんな矢先、AさんがTLに、とあることを呟いた。
「承認欲求が強い人はツイッターから離れた方がいい」
これを見た私は、一気に私のことを言ってるのかな、と不安になった。何しろ私は、Aさんに、流石によく遊ぶBさんほどではないが、事あるごとに話しかけ、AさんやBさんの作品は必ずいいねしていた。一日一度でも話さなければ勝手に不安になる。Aさんは
「誰かを思い浮かべて言った訳ではないです」
とも言っていたが、これがきっかけで、自分が依存しやすいということを改めて考えさせられた。
もともと色々なことに興味を持ち、熱中する方だった。そんな私がツイッターを始めたのは、とあるアニメを好きになり、この気持ちを共有したい、それに素敵な絵を描く方がツイッターにはたくさんいる、という点に惹かれてだった。私も絵や文をかくことは小さい頃から得意で、二次創作は自然と始めていた。自分が好きな作品のifを考えるのは楽しかったし、作り出すことで満足感が得られた。それなのに、いつからか絵や文章を投稿する理由が、反応を貰いたい、に変わりつつあった。勿論、書きたくて書くこともある。けれど、誰かにいいねを貰いたい、感想が欲しい、というのが理由で書き始めることも多かった。勿論それが悪いこととは言わない。クリエイターの多くはそうやって活動を続けていくものだと思っているから。けれど、今の私は違う。承認欲求が高く、構って欲しくて、仲良くして欲しくて、ツイッターをしている。それは違うのではないか?Aさんの言う通り、私のような種類の人間はツイッターに向いていないのではないか?そんなことを沢山考えさせられた。
では、ツイッターをやめるのか?
結論から言うと、私はツイッターをやめない。ツイッターで沢山の出会いがあって、それなりに話せる人もできて、好きなクリエイターさんの作品が読めるから。ツイッターで誰かと話したり自分の投稿を褒めてもらうのは、私の活力だから。人生に刺激を与えてくれる、それがツイッターだと思う。私のように、誰かに依存し過ぎたり、承認欲求だけでツイッターをするのは違うけれど、良い意味で、ツイッターに影響を受けたい。誰かを見て、私も頑張ろう、と思いたい。結局ツイッターは、どこまで行っても独り言ツールでしかないのだ。それを過度なコミュニケーションの場だと勘違いしてはいけない。これからはそのことを忘れずに、楽しいツイッターライフを送りたいと思う。