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再び、恥ずかしさの先頭に立つ

原典は©山田ズーニーさん

前回日記でタイトルにしていた『理解という名の愛がほしい』。
「(そんなことは)誰も言ってない」…とさも”自分オリジナル”みたいに言っていたけど、全然言っていた…山田ズーニーさんが。
本のタイトルだった。
大変申し訳ない。

初版は2006年刊。これは文庫版。矢部太郎さん絵の表紙。

とにかくこの『理解という名の愛がほしい』は読んだことがなかったので、ソッコー借りてきて読んだ。『ほぼ日』の連載だったようだ。
「ほぼ日」に少しも触れてこない人生だったので素通りしていたけど、どこかで見聞きしたこのタイトルを自分の言葉と思い込んでいたよう。
自分で考えたにしては語感も良すぎな”パンチライン”だったため疑ったのがそもそもの発端。気づいてよかった。ホッ。

書くことは、恥ずかしさとともに。

この↑本を読む前から、次は「再び、恥ずかしさの先頭に立つ」ということをテーマに書こうと宣言していた。

そしてこの本を読んでみたら「正直に書く」ということは「恥ずかしさ」をともなう行為なのだとおもった。書かなければ無かったことになる四方山をあえて書いて表出するということは当然「評価」もされる。

ズーニーさんほどのプロでさえ、それこそ消え入りたいような恥ずかしさや自意識にさいなまれる様子が赤裸々に書いてあって「そうだよなあ」って思いました。

「恥ずかしさの先頭に立つ」
↑このフレーズは11年前に会社を辞めた私、正社員を止めた私が心に誓ったコトバなのでした。
このnoteのサポートメッセージ?(↓一番下に表示されるやつ)にもこの言葉を入れています。改めて自分で読んでみて「そうだ、そうだ」と納得したし改めて宣言しておこうと思ったのです。

保守的な自分の人生に「会社を辞める」という選択があるなんて、想像もしていませんでした。そのときに強くこう思ったのです。

恥ずかしさの美学。

何を恥ずかしいと思うかは千差万別、十人十色。
そこにその人の美学や哲学があると思うのです。
「お天道様に対して恥ずかしい」というのもひとつでしょう。

自分の考えるこの”恥ずかしさ”を語り切れたのなら
それは一つの到達点だと思います。
でもその”恥ずかしさ”が一体何なのか?としつこく問い続けることが
「自分の書く旅路」であり、書くモチベーションにつながると思うんです。

ワタクシこと奥光子の書く旅路…
奥の細道
"The Narrow Road into Oku" 
”Narrow Road to the Deep Oku”
でござーぃ!?
なんつって。

講談社学術文庫表紙がいい感じ。

逃げない? or 逃げる?

花占い…「逃げない・逃げる・逃げない…」
岐路で逃げるのか逃げないのか。
反証性があるのが科学ならどちらも真なり。

それでも所信表明するなら
「恥ずかしいからという理由では逃げない自分でいる」そっちを選びたい。いや選ぶことにする。

いつか迷って泣いてもこの指針を思い出したい…
がために書いた、この日記。

2023年現在の恥ずかしさ

矛盾しているけど「何を恥ずかしいと思うか?」を問い続ける毎日なら
そもそもの指針がブレるんじゃないか?

ただ自分の奥底で気づいてる・感づいているハズでそれ結局「人の目線」だ。
「損したくない、バカって思われたくない」
それだけ。
ウットリと「ユリイカ!」なんて言ってる場面でない。
何にも言ってない。でも書かねばならん!

今日誰かにあやまれなかったこと、ムカついたこと。
書かないこと・出さないこと…
ぜんぶそれって自分のプライドから降りてないからでは?
それは逃げてんじゃないのかしらん?

うさぎとかめ

わかりやすい力強い言葉からも
小さな「さとり」からも距離を置きたい。

今年はうさぎ年じゃん?
だから「跳躍の年」。
それもいいじゃん?
でも『うさぎとかめ』だと最後かめ先頭じゃん?
それもいいじゃん?

だから…
だから…?
恥ずかしさの先頭に立てればそれで結果オーライなのでーす!

なんにも言ってないけど、言っている。
わたしだけが知っているわりきれないワタシ。

次はもっと「今年やること!」を書こうと思う~。
書いたそばからもうこわい~。
恐怖!
凍える!雪の日の今日も比じゃないほどに。
(完)

~余談~

前回の日記で”なまはげ”👹を例に出してみた。
そしたらナント次の日、駅のエスカレーターで前の人のリュックになまはげピンが付いていた。「えっ?ちょっとなにこのシンクロニシティ!」とあまりにも衝撃的な出来事にビビった。なまはげに呼ばれている?!

”なまはげ”印
事実捏造ナシ。noteが先で翌日がコレ☝
現実は奇なり


表:書いたもので「恥ずかしさの先頭に立つ!」 裏:読んだあとに「なんとはなしにおしゃべりしたりお散歩したくなるような…」そんな”かの地”まで帆走おねがいします。