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珈琲の思い出

私にとって珈琲とは「格好が良い」「大人の飲み物」「どす黒い苦い液体」であって、決して「美味しい」飲み物ではなかった。

アメリカの映画によく珈琲を飲んでいる場面がありどんな飲み物かもしれないが雰囲気だけで憧れていました。

そんな中でも、子供の頃にテレビで放送していたアメリカの「ローハイド」というドラマがあって、アメリカ大陸を牛を連れ横断するという物語。そこには青年のクリント・イーストウッドが出ていた。カウボーイ達がキャンプに戻ってくると料理人のウィッシュボーン爺さんが淹れてくれた珈琲を飲んでいる姿を今でも思い出す。

その珈琲は焚き火の上に吊るされている鉄のケトルに入っていて、粉を煮出したワイルドなスタイルのものだった。カウボーイ達は、ケトルから直接珈琲をコップに注いで飲んでいて、なんだかとても格好が良いと思っていた。

後に自分でも煮出した珈琲を飲んでみたが、粉が邪魔でなかなかうまく飲めず、ペーパーフィルターの便利さを思い知った。

ずいぶん昔に珈琲の歌もあって、この曲はブランドイメージを私の記憶に刷り込んでしまって今でも忘れない。西田佐知子のコーヒールンバという歌です。

♪昔アラブのえらいお坊さんが〜
♪それは素敵な飲み物コーヒーモカマタリ


こんな歌詞で、今でもモカマタリは私にとって特別なコーヒーです。

他にも高田渡のコーヒーブルースという歌には、

♪三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね〜

というのがありつい最近、京都旅行のついでにイノダコーヒに行っておいしい珈琲を飲んで来ました。雰囲気を含めての美味しい珈琲ですけどね。

このように、私にとっての珈琲は、格好良さと憧れから始まったアイテムなんです。

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