考えたこと

▷とくにこの記事を読んで考えました


 前置きとして、震災と私について触れておく。
 当時は学生であり、関西から広島に帰省中だった。昼寝でまどろんでいたところでTwitterを更新したら(ツイ廃しぐさだ)、東京でたいへんな地震があったことをリアルタイムな大量のツイートの更新で知り、テレビをつけた。震源地は東京ではなかった。
 震災と私はここから始まっている。

 私は当然、当時はとても離れていた安全な場所でただメディアをみて傷ついただけである。ずっとそれを後ろめたいと感じていた。
 だから勝手ながら本当にこの数年、それでも傷は傷なんだとと言ってもらえるような、被災という点では非当事者であるということについて、どこか許されるような気がするのが救いに感じている。強烈な後ろめたさがある。
 『すずめの戸締まり』公開後、監督のインタビューもあり、震災と作品、そして当事者と非当事者について語られること、考えられる記事が増えたように感じており、個人的にここをずっとぐるぐる歩いている人間としては改めて考えることが多くありどこかホッとする。

 私の現在の作品群の形成は非当事者という観点から始まっていて、それはハッキリ震災以後として意識することができる。
 元々考えていたことが“ヒロシマ”であり、また私は当事者はわずかで非当事者が大半を占め「非当事者が語り継ぐこと」に課題が移行し始めた世代でもあった。
 そのため“非当事者”という点には目が向くところであり、東日本大震災はその意識と課題、観点を創作的な目線から私に強烈に植えつけたように思う。
 震災では原発事故により差別もあった。
 それらの衝撃、差別、いろいろなものがかつて私が学んできた、非当事者としての“ヒロシマ”に重なり、より心に留まることになった。
 精神的なショックとは別に、価値観として考え事として重く強く留まったのだ。これも、震災以後として私の中で価値観や作品の形成が変質したひとつの要因だろう。

 そうして10年経つ前後あたりから、震災をなぞる──なでるような、振り返るような、その上で空想に身を浸すような、そういう作品が映像作品でも漫画作品でも増えてきたような気がする。
 おそらくあの頃からモノづくりをしていた人間はあの衝撃から逃れようなく(それこそポスト震災という言葉が出るほど)、モノづくりをしていなくともあの時に生まれていた人間には大なり小なり爪痕を残しているだろう。
 そういった点では等しく誰もが“当事者”である。私は少なくともそう思う。もっとミクロに見れば、その中にさらに体験と非体験の当事者非当事者がある。
 しかし、これからはその逆で大きく広く見なければならないのだろう。
 ヒロシマのように、非当事者は増える。当然ながら。我々は石碑ではなく遺跡ではなく人間だからだ。その石碑や遺跡すら、人間が管理しなければ埋もれる人間の痕跡そのものである。
 誰が語り、繋いでいくのかという部分にフォーカスを当てなければならない。そのとき、当事者非当事者という分類はしがらみにほかならない。
 ヒロシマの語り部も、一般に向けた伝承者養成とは別に、親類に限定した継承活動を行っている(「家族伝承者」)。これは当事者というものにフォーカスした取り組みのひとつだ。これから“当事者”がいなくなる世界においてどう繋いでいくのか、今後を注視する活動だろう。

 震災はすこし性格が違うが。
 あの巨大な災害は情報伝達の発達にともない、地方都市の災害にとどまらず日本全国に即時衝撃をもたらした。目の前で喪失されるものを、液晶越しに観測できてしまった。
 現在の戦争における伝達も似たようなものだろう。繋がっているから、ほぼ即時リアルタイムでその場にいなくてもわかってしまう。知ってしまう。見ることができ、触覚を伴わず感じることができてしまう。
 そのような情報環境において、当事者非当事者という分類は以前よりずっとナンセンスなものになった。
 非当事者によって事象をなぞることの肯定は良いことだ。それは語り継ぐ点でも自由という意味でも。後ろめたさを抱えているならなおさら救いを感じる。冒頭の私のように。
 しかしだからこそ、その上で当事者の存在は? とふと考えることがあるのだ。非当事者と当事者の垣根は曖昧になり、ミクロにみた場合の当事者の存在がどこか揺らぐような矮小化されるような格好になっているのでは、とも思う。

 私は何事において、全て未だに非当事者の目線でしか語ることはかなわない。
 非当事者は、どうなっても当事者にはなれないし、なろうとしてなるものでもない。
 だからこそ、曖昧になったけれど溝はそのままのこの関係について、触れられはしなくてもわかることはできないとしても、知ることはできたらとも思うのだ。


 震災から今年で12年である。
 このあいだ、1年、3年、5年、10年──そう思っていたら干支をひとまわりしてしまった。
 改めてこういうことを考えているのははじめ少し触れたとおり、明確に『すずめの戸締まり』の影響だ。心に傷を抱えているため、フィクションから語られていたとしても私は鑑賞できないのだが。
 これからも、特に創作シーンにおいては『シンゴジラ』とは別のベクトルから、ポスト震災のひとつの楔になるのでは……もうなっているのではないかと思う。

 時間は待ってくれない。
 過ぎ去るものを掴み取ろうとするとき、どう掴めばいいのかだけは考え続けたい。
 すこし言葉がまとまったので記事にしておく。
 稚拙な思考と文章はご容赦いただきたい。

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