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24年4月25日の日記

 やっと帰る場所を見つけた気がした。

 母方の祖母が亡くなったとき、私は諦観に近い喪失を得た。そのとき私はもう広島を離れ京都に暮らしていた。祖母とはたまに文通をしていた(今もその手紙は手元にある)。
 私にとって「帰るべき場所」はずっと、祖母の暮らしていた島にあった。もちろん広島もずっと暮らしていた帰る場所なのだが、それよりもずっと心の深いところにある「帰るべき場所」だった。
 広島から離れて暮らしている間─それは祖母が亡くなったあとも─、身内はよく島に行き、墓や家主の不在となった家を掃除してくれたりしていた。帰省をしあぐねているうちに、コロナ禍がやってきて規制が明ければ身内には新しい家族ができた。久しぶりに広島に戻った私は、数年で目まぐるしく変わった広島への知的好奇心に塗れていたし、身内とのタイミングもうまくつかず、今もその家には帰れていない。
 なんだ、たかがそんな程度だったんじゃないのか。と思うのかもしれないが、しんどいのだ。家主のいない家が。思い出を想起するのも未だ心が苦しい。もう少しすれば7回忌にもなろうという頃なのに、私は踏ん切りがつかない。
 まあ、そんなことはどうでもいい。そのうち帰る。一人で船でもなんでも乗って帰るつもりだ。

 それで、祖母が亡くなって家主のいない家ができて、祖母と家とともに私は心理的な棲家を喪失した。
 いつかは来ると覚悟していたことだ。島で仕事をうまく見つけられなかったときにもなんとなく覚悟していたことだ。幼少期にはいつか来るこの日をおそれ夜な夜な泣いていたときにも、覚悟していたことだ。
 だがつらかった。
 ただ祖母が亡くなったという喪失だけでなく、精神の縁も喪った気がしたのだ。
 特段、広島を離れて住んでいることにこだわりもなく、なんなら帰る場所としても認識できていなくて、心理的な拒絶で不自然に何度も帰れなくなったことがある。広島に帰省しても、それぞれの暮らしがあって(断っておく必要もないかもしれないが、私には「実家」はない。そう思うと祖母の家は「実家」足り得たのかもしれない)居場所はなかった。解っていたことだけれど、それがつらかった。
 もちろん関西も楽しかった。だが根底には離れてもいいし離れなくてもいい、負担がないなら離れなくていいか……という諦観があったのに違いはない。

 前に、欲しいものはここにあったみたいなことを書いたと思う。
 今でもそのとおりだ。けれどそのときはまだ「帰るべき場所」という感じが薄かった。環境への愛着が大きかった。だから、昔家があったところに間違って帰りそうになったことが何度かあったし、帰る家がどれなのかわからなくなったりした。
 事情があって仕事を辞め、休養と求職をかねて1ヶ月ほど働かない日々を過ごした。当然だが生活は困窮する。そのときはじめて、本当にはじめて私は「この家を手放すことをしたくない」ことに執着していることに、この家から離れることをおそれていることに気がついた。
 私は困窮に際して、やっと帰るべき場所を見つけたのだ。以前は困窮に際してもこんな気持ちになることはなく、なるようになればいいと投げやりだったのに。まだ3ヶ月くらいのくせに。
 私の喪失を、この家が埋めていた。この家が「帰るべき場所」になっていた。前の家でもどこでもなく、ここが。こんなに居心地のいい家が、祖母の家以来だったのだ。
 祖母と一緒じゃなくても、すぐ目の前海じゃなくても、さみしくない、〈独りで〉穏やかにいられる、そういう「帰るべき場所」を見つけたのだ。
 この家はべつに祖母の家を何一つ凌駕などしていない。今でも私は、かなうなら祖母のいた家に住みたい。
 けれどそれは〈祖母と〉住みたかったのだ。おそらく。だから、祖母と家──居場所を喪失した。
 その穴を見事に少しずつ、〈独り〉でいることの安寧とともに埋めている、ここが。

 暮らすことが、住むことが、ただ居ることが、生きていることが楽しかったことを久しぶりに思い出した。私にとっての「帰るべき場所」はそういうところ、という意味でもあるのだろう。

 桜色の山はすっかり新緑にまぶしく輝いている。海の近くからは湿った磯の香りがし始めている。あらゆる生き物が、寒さを越えあるいは耐えて待ちわびたようにせわしなく生きている。
 なるべく永くここにいたいと思う。そのために頑張りたい。来年も同じような気持ちで、少し熟れながら、ひだまりに横たわって風を浴びていたい。まだいまいち頑張れていないので、もう少し頑張りたいのだ。
 私はやっと、また「帰るべき場所」を見つけた。それも、独りで生きていても大丈夫な居場所。これから先のことはあまり考えていない。ただ、永くここにいたい。
 今度の喪失は、自らの老いや死であることを願っている。

 8年ぶりの広島の春は、長く続いた桜のおかげで共演するツツジにツバキ、藤の花を楽しめた一方で、激しい黄砂や不可思議な寒暖差などに悩まされた。だが、なんだかこれもらしくていい。それはそれとして、県北のほうが連日暑いのは試され過ぎだと思うが。

 改めて季節をひとつずつ過ごしたい。

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