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雲門の昔


お茶の稽古、
時折、お仲間が皆さんお休みで、わたしひとり、先生にお稽古見ていただける日があります。

初炭、濃茶、薄茶
と、ひととおり、贅沢な稽古。

2月初めの今週のみ、小間(2畳と少し)のお稽古でした。

小さく、無駄なく動くための、
右手左手、右足左足。
回転の方向、手の運び、

お軸には、「和」の文字
お花は水仙

間の和。

この小さな宇宙に繰り広げられる、茶の湯の世界に浸っていると、

「茶杓の置き方が歪んでしまった、汗」
「お茶の粉が少しこぼれたー、汗」
「はっ、、間違えたぁ〜、汗汗」

などと言うことは、
本当に無駄な雑念だということが分かる。
分かるんだけれども、
雑念は払えない、まだまだ。

お稽古が終わってから、
先生が仰っていた。

- お庭と茶室の掃除から、室礼を考え、お菓子の用意、食事の用意をして、
冬は暖かなように、夏は涼しいように。
お客さまの食事の速度を、膳の上げ下げの時に何気なく察して、合間に汁を温めたり、盛り付けをしたり。そのような事を亭主がひとりで、本来はするのよ。
 もてなしのため、無駄なく粗相のない所作を、何十年もかけて日常の中にも浸透するようやっているのが茶道。
そういった、人と人の心の、温かなやりとりは本当に大切だし、それはきちんと残していかなきゃいけないと思う。-

先生の、大切な事を残していかねばという、根底に流れる意志に触れて、
感動。
85歳の先生が、しゃんとされている理由のひとつ。

型の中にある世界は、一見不自由なように見えるけれど、その世界を深く知った先の面白さ、本当に自由になれる可能性に触れた気がしました。
世界や、生命を超える自由さ。

その先の世界を利休さんなどは、見ていらっしゃったのかもしれない。

お稽古用とは違う、濃茶が少しあるから、今日はそれを点てましょう、と仰って、
「雲門の昔」 うんもんのむかし
というお茶をいただきました。
甘みのある、深いお茶の味が、豊かに口の中に広がって、鼻に抜ける時には心地の良い余韻。

思いを乗せた冬のいちにち。

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