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牛若丸の本懐

突然カウントダウンが始まった。かつてのハマの牛若丸、藤田一也が選手として現役を退く。

秋晴れのハマスタへ。残り試合は数試合、CSに向けてチケットの残りも少ない。彼のプレーを見る最後のチャンスとなるかもしれない。

8回裏二死一塁、大歓声と満場の藤田コールに迎えられた彼は、軽やかなバット捌きで戸郷の2球目をセンター前に落とす。キャリア1034本目のヒットだ。わずか17打数とはいえシーズン打率.353。0-6の試合でいちばんハマスタが盛り上がった時間だ。

粗さや若さが露出した今年のベイの守備や攻撃のつなぎの場面で、もっと藤田の出番があったら。
一塁上でスタンドに手を挙げる彼を見ながらそう思った。


みちのく修業に行ったあと鎌倉と横浜の違いはあれど、兄貴分の番長を助けに帰参する…
本家牛若丸の源九郎義経にも通じる、というのはこじつけ過ぎかもしれないが、FAを封印した彼の選手人生、何かに導かれたと考えるのも、当時、トレードに悔しい思いをしたファンの慰めになる。

「スカウトさんが熱心に練習や試合を見に来てくれていて愛情を感じていた。こういうスカウトさん、裏方さんのいるチームで野球をしたかった」※毎日新聞

出身は徳島、大学は関西なのにベイスターズ入団の夢をかなえたばかりの彼が、ハマの牛若丸と自ら銘打ったのは、義経のような野球人生を予見してのものだったのか。

新人から7年在籍したベイスターズでは、観客動員重視の編成や起用のあおりもあって、課題といわれた打撃力を向上させても、レギュラーに定着できなかった。
DeNAに経営が変わってようやく落ち着くか、と思った矢先の2012年シーズン中のトレード、以前も書いたが、その時は意味が分からないトレードだった。
甲子園遠征中にトレードを告げられ、本人も混乱しながら、愛すべきチームメイトと握手を交わし、横浜へ帰っていく彼らを見送ったのだ。

「スカウトの宮本さんが、大した魅力もない選手をプロの世界に引っ張ってくれた。このチームに入れてよかったと、一年、一年かみしめてプレーしていたし、横浜への愛がどんどん深まった。優勝できずにトレードになり、勝てなかった、強くできなかった悔しさがあった」※引退会見

星野監督と田中将大、大スターがいたイーグルスでは、監督に「 一也の守備は10勝以上の価値があった」 と言わしめた安心の守備力に加えて、高いミート技術、なにより優れた野球脳で、移籍早々に日本一をつかんだのだから、そこは東北で雌伏の日々を過ごした九郎義経も、彼にはかなわない。
静かな実力者として、闘将星野仙一の慧眼にかなったのだと、2013年のオフにはトレードの意味も野球ファンの視点で腹に落ちた。ちょっと悔しいが、今では藤田には6が似合うと思っている

選手としての本領は背番号6の時代に発揮されたが、それでいて、彼は僕やファンと同じベイスターズの偏愛仲間だ。だから僕らは彼に自分を投影する。憎めない。

2016年のベイスターズ初のCSでは、彼はひとりのファンとして、東京ドームのスタンドから応援していた。

「あの時は一緒に戦っていたメンバーがまだ半分くらい残っていましたし、彼らがCSの舞台に立つわけですからね。僕が入団した時にずっと思っていたベイスターズで優勝したいという戦いを叶えてほしいな、と、(中略)足は自然と東京ドームに向かっていました。
東京ドームで1塁側のコンコースにまでベイスターズファンがあふれている。こういう舞台で戦える選手たちが本当に羨ましかったし、僕自身も嬉しかったですよね。」※球団紙 Blue Print 2022.6

「こうやってもう一回、横浜のユニホームを着させてもらえるようになり、感謝しかない。かなえられなかった夢、横浜での優勝をかなえたい。」
2021.12 ベイスターズ入団会見

2021年、ベイスターズとイーグルスの監督が替わった。2022年には大河ドラマで鎌倉殿の放映が始まり、奇しくも藤田の運命も動いた。
"藤田プロ"として戻ってきた彼は、すでに牛若丸ではなく、精悍な義経だ。

2013年の日本一は藤田自らが勝ち獲った勲章だ。だからこそ、三浦監督を胴上げしたいという言葉に、説得力を感じた。

現役19年で1034本(2023.9.25現在)のヒットを積み上げた。守備職人と言われる選手には多すぎると言ってもいい数だ。好打者の指標、BB/Kレシオも中心バッター並みに高い。僕の記憶では、藤田は代打を出されたことはない。彼が打席に立つ時は、チームもファンも誰よりも期待する男だった。それは2022年にベイスターズに戻ってからも変わらず、監督も僕と同じ認識だったのだ。

だから、昨年のCS、タイガース戦の9回のあの場面に、代打として、本懐を果たすチャンスが訪れたのだ。
初球、打球音のあと、一瞬の静寂ののち、タイガースファンの歓声がハマスタに響いた。

「家族にはもうそろそろ引退かなという風にはいっていましたけど、子供たちは1年でも長くやってほしいといってくれていて、先日、甲子園が終わったときに引退しますと最初に言わせてもらいました」
「それでもまだ来年もやってといってくれましたけど、もうパパもいっぱい野球したから、来年は選手じゃないよと伝えて、納得してくれました 」※引退会見

昨年のCSのあと、グラウンドでの悔しさはグラウンドでしか晴らせないと言った。試合数こそ限られてはいたものの、満員のスタジアムの観客はグラウンドで懸命なプレーで悔しさを晴らそうとした彼のプレーを知っている。
史実では、九郎義経は摂津国や瀬戸内海で、宿敵の平家打倒に大いに活躍した。タイガースを平家に見立てるのはちょっと心苦しいが、最後の甲子園では、史実をなぞって昨年を上書きする八艘飛びの活躍で本懐を遂げていただきたい。


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