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Wの帽子と幸せな甲子園ライフ

「帽子、カッコえぇな!自分、大洋ファンなん?」

小学校高学年にして、ベイスターズファン人生で最大の岐路を迎えた。

5年生の春に父の転勤都合で横浜市から西宮市に転居したのだ。
新居の住所は甲子園七番町、7階の居室は窓を閉めてもナイターの歓声や六甲おろしが聞こえてくる。7回ウラのファンファーレは風呂に入る号令だ。

転居してまず、地域児童に好評の「阪神こどもの会」に入会した。小学生会員は甲子園球場の阪神戦に無料で入場できる。今はららぽーとになっている遊園地、阪神パークもフリーパスだ。ご近所には若トラの虎風荘があり、夏休みには高校野球も自由自在と、野球好きの子供にとって、その場所は文字通り、甲子園という名のパラダイスだ。

時代はホエールズの頃。中塚や長崎など、小学生としては玄人好みの選手達と意外性溢れる大洋野球の沼の淵にいた僕は、転校初日からWマークの野球帽をドヤ顔でかぶって登校した。Wの帽子は横浜でも実は本流ではなかったけれど、個性的でカッコいいじゃん!のノリは転居先でも通じるはずだった。

転校生となった息子を気遣って、父が開幕早々に甲子園球場のレフトスタンドの一角に連れて行ってくれた。視界が開けば、新緑と漆黒のコントラストに巨大な手書きのスコアボード、その威容に圧倒された。聖地を感じながら、大洋も勝って最高の甲子園デビューとなった。しかし、何も知らなかったWの帽子の少年が現場で存分に試合を見るという夢がかなうのは、そこまで。

新しい学校に慣れたと見るや父も多忙となり、引率役は同級生のお母さんに継投リレー。もちろん母子ふたりとも、いやむしろ、お母さんがガチのトラキチだ。

最初の試合は阪神の快勝。虎ママは満面の笑みで「次は大洋が勝つ番やね」なんて言ってくれたけど、悔しくてうまくお礼も言えなかった。
夏の次戦は虎ママの予言が当たって、心なしかぎこちない笑顔の彼女に、今度はお礼を言えた。でも、Wの帽子をかぶらずにライトスタンドで見た試合は、勝ってもなぜだか、ほとんど楽しくなかった。

(勝っても負けても、大洋戦はよくない)それが、子供心に出した結論だった。

とはいえ、ほかのチームの試合は小学生には少々退屈だ。野球よりも大洋が好きなのだ。ファンファーレが鳴る頃には大洋の途中経過が気になって、球場から徐々に足が遠のいた。

そして、楽しみだった中塚や長崎のプレーは、現場から指呼の距離での自宅TV観戦がメインとなった。
阪神がタイムリーを放てば、屋内外から歓声のオーケストラだ。阪神劣勢の最終回でも、クマさんが「大洋のリリーフ陣やからまだこれからやね」とボヤくと、スタンドにいる「甲子園のおっさんと一緒やな。解説が何をいうてんねん」と毒吐く。サンテレビのおかげでことばをすぐに体得した。そして反骨精神も涵養された。自分が最後の砦のような使命感で沼落ちし、小学生の手足が届く深さで「推し活」をする。

大洋が勝った試合は関テレのプロ野球ニュースを録画して、翌日は新聞記事をスクラップだ。一般紙の記事がスカスカなら、甲子園駅へとスポーツ紙を買いに行くことも厭わない。小学生の財政的には、強いチームでなくて助かった。
友達には内緒の孤独な作業だったが、母の提案でユニフォームのある少年野球チームに入ったから、帽子はひとりぼっちではなくなっていた。

6年生になっても、阪神こどもの会は続けたが、行先は阪神パークへと変わった。入園は無料でもアトラクションは有料だ。回数券で弟とコースターに乗ったあとは、ライオンとヒョウのハーフ、レオポンを見た。鑑賞対象はトラからレオポンに変わって、中学生になると部活に打ち込み、球場の照明に見守られながら塾に通い、3年生になる頃に横浜へと戻ってきた。
結局、岐路で道に迷うことはなかった。
以来、甲子園球場でベイスターズの試合は見ていない。

阪神ファンに転じれば、甲子園ライフを満喫できたのに、と大人になった今は惜しい気もする。白地だった3歳下の弟は当然のように阪神ファンになった。
もし大洋が、巨人や阪神に連戦連勝の強いチームだったら、僕も宗旨替えをしていたかもしれない。だけど、多くのホエールズそしてベイスターズファンが古今、そうであるように、チームが強くなる過程を修行することが情熱なのだ。
タイガースの今年のスローガンみたいだが、「それ」は追い求めるものであり、向こうからやってこないことを生意気にも魂で知っていた。

令和5年5月のこどもの日。この記事のためにレオポンを検索していたら、子供を甲子園球場に連れて行くことは、野球ファンの父親の大事なミッションのような気がしてきた。
八月は夢花火、私の心も夏模様。僕が虎ママからの継投をつないで、大学生になった息子を甲子園のレフトスタンドに連れて行こう。小学5年生だった自分の代わりに。そのときにはきっと、ベイスターズファンも当時の数十倍はいるはずだ。

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