馬渕尭也

馬渕尭也

最近の記事

2023年12月14日

10月に亡くなった友人の死因がわかった。 11月はあんなに色々調べたのに何一つ出てこなかった、たったひとつの記事。嫌に現実味がある記事だなと思って読み終えた。どうやら彼はもうこの世にいないらしい 40メートルの高さから落ちた彼は、その瞬間、どんな風にこの世界を捉えただろう。 僕は今、石川県の茅葺き屋根の上で、その高さを、計り知れないであろうその高さを、少しだけ想像したりしている。 時々危ない瞬間なんてあったりしてね、そんな時はやはり生きているということを強く実感する。まだ

    • 2023年11月13日

      数ヶ月前、山小屋で数日を共に過ごした友人が亡くなったことをネットで知る。 詳細は知らない。 共有したものがあまりに大きくて、あまりに曖昧なのであの日僕らが話したことについてはもう誰一人として覚えていないだろう。 君があそこに居たということを、僕は忘れないでいようと思う。君を家に招待出来なかったことだけが心残りだし、もし仮にそんな時間があったら君はまだ今も元気だったんじゃないかと思ったりするよ どうしても10月は会えなかったね そうしてもう二度と会えなくなってしまったね

      • 2023年6月6日

        今日は、僕のことを忘れていった人のことを思いだした。また、明日でさようなら。気付いた時にそんな繰り返し。意識はいつも遅れてやってくるのだろう。きっと皆んな、悔いている暇もないのだろう。そうじゃない、そうじゃない。 僕が、忘れていった人のことについては上手く考えられなかった 夕方18時05分 富士見町の山小屋 ヒュッテ入笠にて くるりの「坂道」を聴く

        • 2023年6月3日

          仕事で長野に来ている。一週間も家を空けるのは初めてなので、色々な不安が頭を過ぎる。 山小屋での生活は充実している。 案外人というものは環境に慣れてしまうものなのだと思う。ここでの生活が不安で、豊かで、あまりにも充実しているので富士川へ帰りたいと全然思わない。思えない。 富士川でどうやって自分が暮らしていたのかわからない。トイレへはどうやって行っていたろう?ご飯は何を作っていたかな? そんな風にまた、台湾での生活を思いだしたりして。 自分はきっとまだまだ知らない景色を見てみたい

        2023年12月14日

          2023年5月18日

          坂口恭平の歌を今日も繰り返し聴いている ユリイカに載っていた「雨上がり」 どうやったらこんな唄を歌えるのだろう。 数日前からギターの練習をぼちぼちし始めた。 僕が惹きつけられるものは、もう、黙って動かないものではない気がしてきた。 16歳の頃既に分かっていたこと。僕は自分の言葉に一定のリズムを加えてみようと思う。 そうしたら、僕はきっと今よりもっと自分らしく生きられるだろうから

          2023年2月26日

          家のことがひと段落したので(そう思いたい)引っ越しを前に現状を残しておこうと久々にカメラに触れた。 日常でフィルムを使わなくなって丁度1年が経とうとしていた。これには驚き。自分にとっては5年もの間、肌身離さず持ち歩いていたその習慣が、何の前触れも無く突然消失したのだから。 約1年の間、僕は殆ど沈黙を貫いた。(こんな言い方をするのはとても恥ずかしいけれど) 話したいことが山ほどあった。誰かと語りたい思い、忘れたくない感情を。 もう既に、自分の考えていることを誰かに伝える手段を忘

          2023年2月26日

          2022年10月5日

          同じ年頃の人たちは今一体何を考えているのだろう?本当にそんなことばかり考えてしまう。だからといって、彼等と満足のいく会話が出来るだろうか?話さないことよりも話すことを、実は恐れているのかもしれない。 ふと、このまま自分は大人になってしまうのだろうかと思った。 とてつもない不安だ。自分は大学には行かなかったから。就職もしなかったから。自分で「この道」を選んだのだから。 ではその先にあるものはなんだろう?その先に一体どれほど素晴らしいものがあれば良いのだろう?あったとして、いま現

          2022年10月5日

          2022年9月22日

          久々にインスタグラムを開く。ちゃんと、開く。ふと高校の同級生のアカウントが目に留まる。僕は懐かしくなって、高校の頃聴いていたプレイリストを流す。Beatlesから始まり山猿、クリープハイプ、エド・シーラン、フジファブリック。ゆうすけに教えてもらった歌を今でも覚えているよ。 同級生のアカウントには、近況しか載っていない。僕が記憶していた彼らの、彼らと過ごした時の写真などは、もうとうの昔に消されていたのだ。僕が高1の頃は、15歳、もう平気で6、7年も経っちゃっているのね。おー、爺

          2022年9月22日

          2022年9月18日

          ゆうきさん。 あの時の楽しみはもう無くなってしまったみたい。何時だったか明るい光が見えた気がして、毎日僕らウキウキしてた。ゆうきさんも本当はそうじゃ無かった?夏芽が仕事を辞める決断をしたのは、あそこに4人がいたから。一人だって欠けちゃいけなかった。 僕はいつまでも子どものままだよ。 富士川町に引っ越してから約4ヶ月が経つんだけれど、僕はまだ20〜30代の人と関わったことがない。 まだゆうきさんと過ごしたあの数ヶ月のことを想っているのだと思う。そのことがきちんと精算できていない

          2022年9月18日

          忘れてしまうこと/叁朝屋へ

          「思い出しかた」には多くの種類があると思う。 それは年齢を重ねることで変わっていくものもあると思うし、そうでないものもあると思う。 例えば僕は、そうだなあ。台湾のことを思い出してみよう。 もう、二年が経つ。日常を地元で過ごしていて、台湾のことを思い出すことは少なくなってしまった。少なくなってしまった、だって?いいや、本当のところそれは、全くなしと言ってもいいんじゃないかな。 口惜しいけれどね。そういったことは。 僕はねえ、本当に歳を取ってしまったんだよ。叁朝屋で過ごした僕は

          忘れてしまうこと/叁朝屋へ

          コーチングを学んでひと月の私が読んで衝撃を受けたコーチング本

          著者紹介今回紹介する「コーチングの技術」は、2003年講談社現代新書から出ている。著者の菅原裕子は京都精華短期大学卒業後、英国ウエストロンドンカレッジ等に学び、現在は(有)ワイズコミュニケーション代表取締役。リーダーシップ、組織開発、ファシリテーション、コーチングを専門とし、研修、講演、企業文化構築のコンサルティング活動を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの『amazonより』) 著書に「聞く技術・伝える技術」(オーエス出版)などがある。 章立ては

          コーチングを学んでひと月の私が読んで衝撃を受けたコーチング本

          小林秀雄の一節

          小林秀雄についてあまり良いイメージを持っていなかった。高校の頃、中也を溺愛していたこともあってか、ぼくにとって当時の彼は、紛れもない大敵であった。それだけの印象をつけておきながら、そんな彼の作品も祖父の書庫にポツリと淋しく置いてあった「考えるヒント」、それから中也の死後、彼が中也を詠った詩を一つ読んだだけであった ぼくはよく好んで、近代小説を読むのだけれど(大した考察もせず)、興味に任せおおよその数を重ねていくとその時代の作家同士の関係なんかが少しづつ分かってくる。例えば三

          小林秀雄の一節

          復習

          台灣にきてから、もうすぐ三週間が経つ。ここに来るまでには本当に多くの人に支えてもらった。感謝してもしきれないほど。大切な人との別れがあった。けど今はその寂しさを埋めてしまうほど、こっちでは面白いことが日々おこっている。きっと寂しさとかそういった感情は後になって、今よりもっと大きなものになり僕に衝撃を与えてくるんじゃないかと思う。僕は、ずるいからね。まあこっちの話をしよう。最近は本当に面白い。例えば今日驚くような体験をしても、明日にはまたその上をいく体験が待っている。そんな日々

          私のこと

          まずはじめに、私自身のことについてかいてみようとおもう。 私のこれまで17年間の人生、それは幸福の追求への模索、だったと思う。どうしてか、幼い頃の記憶というものが私にはあまり無い。思いだそうにも、中々思い出すことができない。日常の中で、ふと記憶の断片を思いだすことはあったりするのだが。ただ、このことについては、私自身まだよく分かっていないので、またの機会に書こうと思う。私は幼い頃から、興味のないことに対しては、まるで身体が受け付けようとしないどころか、思考すら働かないことが

          私のこと

          これから

          私はこの春、3年間の高校生活を終えた。高校生活を送る中で私が学んだこと、感じたこと。これまでの私の人生。その経験。これからの私はどんなことをして生きていきたいのか、ゆっくりかいていこうと思う。

          これから