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ハクビについてのひとりごと for Biz

三国志のお話で失礼します🥺三国志は現代にも通ずる、示唆に富んだ面白いお話がたくさんあります。このnoteはBizのためのひとりごとです。

中国三国時代の故事成語で、兄弟、あるいは集団の中で優れている者を「白眉(ハクビ)」と言います。

白眉(ハクビ)の語源

三国時代、荊州に「馬氏五常」と呼ばれた馬家の俊英の5兄弟がおりました。 「北斗4兄弟」みたいでカッコいいですね🥺。

5人とも字(あざな:いわゆる呼び名)に「常」がついているのでそう呼ばれたそうです。

四男の馬良季常は5人の中でもっとも優れていたそうで、眉が白かったことから白眉(はくび)と呼ばれていました。

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ですから、

「馬氏の五常 白眉もっとも良し」

と言われています。

つまり、秀才揃いの兄弟や、優れた集団の中でも抜きん出た能力を持つ者が、ホントの意味での「白眉」さん、ということになります。

私はどうしても白いというイメージだけで「トキ兄さん」を思い浮かべてしまいますが…🥺。

さらに末弟の馬謖幼常は、諸葛孔明に早くからその才能を見出だされ、自分の後継者候補として、たいそう可愛がられたそうです。

ひとりごと

馬氏五常とはいえ、実は三国志演義に馬良、馬謖以外の上兄3人は、はっきり登場しません。

白眉こと馬良は、荊州の官僚として内政、外交に優れた才能を発揮したと思われますが、三国志演義に登場する他のスターに比べるとやや地味な印象を受けます。史実では夷陵の大戦で36歳の若さで戦死しておりますが、三国志演義ではその時代よりも、もう少し後に病死?となっています。

遠征中に弟の馬謖から死を伝えられた諸葛孔明が、その才能を惜しんだとの描写があります。

末弟の馬謖は諸葛孔明に従い、ちょこちょこと登場しますが、のちに国家存亡を掛けた大戦で致命的な軍律違反を犯してしまいます。諸葛孔明率いる蜀軍は大敗を喫し、馬謖はその咎により処刑されました。

かの諸葛孔明が一目置く人物でしたので、馬謖もやはり優秀だったと思いますが、そんな悲しい最期を迎えました。

このいわゆる「泣いて馬謖を斬る」の逸話については、またいずれお話したいと思います。

まとめますと、ハクビは優秀な集団の中でもさらに優れたな人物のたとえですが、実際の馬氏五常のご兄弟が皆優れていたかはわかりません。

劉備(諸葛孔明が仕えた君主)が荊州を統治したときに、「領地広くなっちゃったね。地元の人材を登用したいけど、誰かいる?」と、諸葛孔明に尋ねたところ、「それでしたら『馬氏五常』の噂がありますよ。その中でも馬良と馬謖はいいですよ。」と進言した描写があります。もしかしたら諸葛孔明のお目当ては最初からその二人だったのかもしれません。

その後の結果がどうであれ、諸葛孔明の慧眼あればこそ「白眉」は世に出ることになり、そして後世の我々も知ることになったわけでして、「白眉」は諸葛孔明のエピソードとも言えるのではないでしょうか🥺。

エピソードを紐解くと、「クセの強い人物が周りに多すぎて、優れていても才能が霞んでしまうたとえ」に思えてしまう今日この頃。

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