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9/1 自分の誕生日に載せるストーリーに付ける音楽問題

おはようございます。
誕生日から1夜明け、正式に22歳になりました。

さて、昨日ばかりは本当に生まれてきて良かったと思ったわたしですが、この思いは何時まで続くのやら。
できるだけ長くこの幸福感が続いてくれれば幸いですね。

インスタグラムに昨日の夜のストーリーを上げようとして、ふと思ったことがある。(ちなみに飾り付けなんかしてもらって、ああいうのとは無縁だと思ってたので激しく嬉しかったし、なんだか恥ずかしかった。)

自分の誕生日のストーリーにつける音楽、無くね??

YUIのHappy birthday to you youにしようかと思ったけど、
「いやこれはなんか、自分でめちゃくちゃ自分の誕生日祝ってるみたいでやだな、、」
と思い直してやめた。

KIRINJIにしようかとも思ったけど、
「なんか寂しすぎね?」
と思ってやめた。

スピッツ(最近ハマってるのでこの話もまた書く)にしようとも思ったんだけど、なんか違うくてやめた。

崎山蒼志と誕生日が一緒だったらしいから、崎山蒼志にしようかとも思った。やめた。

いや、自分の誕生日のストーリーにつける音楽、むずくね?てか、無くね?

江國香織の小説の一節とかを入れられたらいいのに。
なんか写真だけだと寂しい。
写真だけだと寂しいと思うこの思考こそが諸悪の根源なのかもしれないけど。
というか、そもそも(わたしはそもそもという話が好き)本当に幸せなことをインスタグラムで皆に見せつける必要があるのか?
なぜわたしはインスタグラムに昨日の写真を載せたいのだろう。

あんなもん自己承認欲求だろ、と勝手に断定しているので、自分の中の承認欲求に少々嫌気がさす。
まあこんなん人間誰しも持ち合わせているからね。いいんですけど。(noteを書いていること自体、承認欲求の現れだし、、)

インスタグラムはあまり好きじゃない。
高校生になって皆がインスタグラムに移行していく中、わたしは永遠にツイッターをしていた。まじで舐めないでほしい。
インスタライブが流行っても、なおツイキャスをしていたから、本当に舐めないでくれ。ちなみにインスタライブはしたことがない。

こういうことの積み重ねで、なんだかすごく生きにくくなっている気がする。ひねくれ陰キャゆえ、自分に課した十字架が時々すごく重たくなる。
尖ってるのがかっこいいと思っていた中高生の自分をぶん殴って、性格を矯正してあげたい。(これは嘘、そんなこと一切思ってない。)

昨日、白ワイン飲んだんだけど、全然酔わなかったな。これはまじでどうでいい話。
白ワインは、とても美味しい。好きな飲み物は水、白ワイン、コーヒー、緑茶と紅茶(特にミルクティーが好き)です。ジュースは嫌い。

そういえば、小山田壮平はコーラが好きで、それに憧れてコーラを飲んだことがあるけれど、炭酸が苦手だから美味しくなかった。わたしは小山田壮平にはなれない。志村正彦もコーラ好きだったっけ?いいなぁ、コーラ。

ああ、話が逸れてしまった。
わたしの憧れのバンドマンたちの小話はまたいつか書くとして、今はインスタグラムに載せる音楽を探そう。
と思ったけれど、結局探しても探しても見つからなさそうだから、江國香織の一節を写真に撮ってそれを切り取って、貼っておこうかな。

そういえば江國香織のせいで、イチゴのショートケーキに憧れがある。(わたしはショートケーキの味は嫌いだから、概念としてのイチゴのショートケーキ。)

昨日はワガママを言って、31のアイスケーキを買ってもらった。めちゃくちゃ甘くて、めちゃくちゃ可愛かった。幸せが味になったら、キャラメルの味をしているかもしれない。

自分の誕生日のストーリーと一緒に載せる音楽は22歳になってもわからないけれど、22歳は少し生きるのが楽しみになってきた。
素敵な恋人が、素敵な手紙をくれたから。大好きな先輩が(南葵さんというのだけど)、わたしの存在が嬉しいと言ってくれたから。カテキョ先の子が、誕生日プレゼントをくれたから。沢山の人が、わたしが生まれたことを祝ってくれたから。

ありがとうございました、皆さま。
お祝いしてくれた方々のおかげで、背筋がシャキンと伸びる9/1。

誕生日は、いつまでも特別。

(noteには飾り付けしてくれた写真を載せる。疲れてるのにありがとね、本当に。)

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